ペッツ
うちにはあほ犬とあほ鳥がいます。
あほはあほなりに、いいところもあるものですが、もちろん、悪いところもあります。
たとえば、あほ犬の方は、本当~に食い意地がはっている。
前庭疾患が治った途端、盗み喰いをして怒られ、
「キャン!!」
って鳴いてました(笑)
でもいじらしいと思えるところもあるんですよ。
どんな眠そうでも、私が顔を覗き込むと目を開け、しっぽを振ってみせる。
病気でしんどくて仕方ないときでも、頭をあげて、
「大丈夫!!」
という表情をし、ゆるりとしっぽを振っていました。
このとき、あほ犬は本当に動けなかったんですよ。
おしっこもそのまま垂れ流しで。
寝返りも打てないので、私が体勢を変えさせてました。
が、そのとき……しっぽを思いっきり踏んでしもたんですよ(T_T)
普段なら、相当痛がったと思います。
でもこのときは反応もせず。
されるがままになってました。
それぐらいしんどいのに、飼い主には、しっぽを振って見せるんですよ。
犬という種類全般に言えることかもしれませんが、健気なんですよね。
あほ鳥は、本当~にわがままです。
私が仕事をしているときでも、籠の中から、
「出せ~!!出せ~~~~~!!!」
と大声で呼ぶ。
そのくせ出てきても、私がパソコン画面ばかり見てると、
「こっち見ろ!!」
とつつくんですよ。
それが痛いのなんの(T_T)
でも、私が病気で寝ているときは、なぜかそれがわかるらしく、おとなしくじっとしています。
籠を開けると私の肩に飛び乗りますが、私が布団に戻ると枕の上に移り、静に私の顔をじっとみてたりするんですよ。
なんとなく、
「大丈夫?」
と言ってるように見えたりして(笑)
そういうときはやっぱり
「可愛いな」
って思います。
もちろん、動物学者さんはこう言うでしょうね。
「犬は、集団行動をする動物だ。リーダーに嫌われたら生きていけないから、リーダーの機嫌をとるのだ。犬に感情や愛情があるわけではない。ただの生存本能だ」
「鳥は弱者なので、日常の違いに敏感だ。飼い主がいつもと様子が違うのは、鳥にとっては異常事態。だから様子を見ているだけ。心配しているわけではない」
なんてね。
そうなのかもしれませんけどさ(^^ゞ
でも、私はそういう人たちにこう言いたい。
「ま、そう思いたいなら思ってなさいってこった」
って。
昔の人たちも、
「ペットは飼い主を思いやる」
と考えていたようです。
「科学の発達してない時代だから、勘違いしただけだ」
って言われるかもしれませんが、私も言ってやりますとも。
「ま、そう思いたいなら(以下略)」
さて、「昔の人たちも」と言いましたが、それがいつからかはわかりません。
はっきりしているのは、江戸時代みたい。
猫は犬や鳥、金魚などに並んで人間に愛されてきたペットですが、その中でも群を抜いて「神秘的」と思われてきたようでもあります。
だから、「猫がしゃべった」という話は、江戸時代の怪談にたくさんあるみたい。
有名なのは、『耳嚢』の話ですよね。
和尚さんが飼い猫の様子を見ていると、鳥を狙っているようである。
そこで、
「おいおい」
と声をかけると、鳥が逃げてしまい、猫は思わず
「残念ナリ」
と声を出してしまうんですね。
和尚さんが驚くと、猫は、
「猫は10年生きるとしゃべるようになる、狐との混血ならもっと早くからしゃべる」
と教え、ふつりと姿を消してしまうのです。
しゃべっているところを見られた猫が、その日限りで姿を消すというのは、お約束のようですね。
いわゆる「見るなのタブー」に近いものがあるのでしょう。
さてさて。
昨日やっと、柴田宵曲の本を入手しました。
「すごい良い」
という評判を目にしてから探してたんですが、どこの本屋にもないんですよね、これが。
ネットで購入すれば早いってなもんだけど、一応物書きのはしくれとしては、本屋さんを大切にしたい。
……な~んて言ってみてますが、本当は単純に、図書券があるから本屋で買いたいってだけなんですけどね(^^ゞ
でも、なるべく本屋さんで買った方がいいのは本当なんで、むちゃくちゃ重たい本や、ジュンク堂へ行ってる暇がないのに珍しい本が欲しい場合を除いては、なるべく本屋で購入しようと思ってます。
で、ジュンク堂や丸善は、ネットで取り寄せ手続きができるので、近所の丸善に取り寄せてもらってたんですね。
そして昨日、打ち合わせで丸善のそばに行ったので、やっと入手できたってわけ。
購入したのは三冊。
『妖異博物館』『続妖異博物館』『奇談異聞辞典』
まずは『妖異博物館』から読み始めました。
そこに紹介されていたのが、『新著聞集』にある猫の怪。
ここにも「しゃべる猫」が登場します。
あるお寺の住持が熱を出して寝込んでいると、外から戸を叩く音が聞こえます。
住持が立ち上がることもできずにいると、寺で飼っている猫が何やら応対しているよう。
耳を澄ますと、外の猫は、
「今日はおまつりだ。一緒に行こう」
と誘っています。
でも、飼い猫は、
「御主人様が寝込んでおられるから、お傍にいる」
と答えるのです。
すると外の猫は、
「それでは手ぬぐいを貸せ」
と別の要求をしますが、
「ご主人様の汗をふかなくてはいけないから、貸せない」
と。
いじらしいですよね(T_T)
住持は聞かないふりをすべきでした。
でもその会話を聞くと、黙っておれず猫を呼んでしまうんですよ。
そして、
「おまつりを楽しみにしていたのではないのか?私は大丈夫だから、行ってきなさい」
と優しく頭を撫でてしまうのです。
バカなんだからっもうっっっ!!!!!
猫がしゃべったのを聞いたってバラしてるようなもんじゃん!!!!!
はたして猫は、家を出て行ったきり、戻ってこなかったのでした(>_<)
猫にとっては、楽しみにしていた祭りを断ってまでそばにいたかったご主人様ですよ。
そばにいるのが一番幸せに決まってるじゃん!!!
なんでつまらないことをしゃべっちゃうんだろ。
ついつい人間の前でしゃべってしまった猫よりもずっと、この住持の方がうっかりしてるっつうねん!!!!!!
読みながら、思わず身悶えしちゃいましたよ(^^ゞ
でもね。
新著聞集の作者は、
「猫は愛情深い動物だ」
と考えていたのでしょう。
「飼い主がいないとくいっぱぐれるので、甘えて見せるだけだ」
なんていうしょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~むないっ!!ことは考えてなかったに違いありません。
そして私は、科学の発達してなかったこの時代の人たちに、大いに共感するのであります。
あほはあほなりに、いいところもあるものですが、もちろん、悪いところもあります。
たとえば、あほ犬の方は、本当~に食い意地がはっている。
前庭疾患が治った途端、盗み喰いをして怒られ、
「キャン!!」
って鳴いてました(笑)
でもいじらしいと思えるところもあるんですよ。
どんな眠そうでも、私が顔を覗き込むと目を開け、しっぽを振ってみせる。
病気でしんどくて仕方ないときでも、頭をあげて、
「大丈夫!!」
という表情をし、ゆるりとしっぽを振っていました。
このとき、あほ犬は本当に動けなかったんですよ。
おしっこもそのまま垂れ流しで。
寝返りも打てないので、私が体勢を変えさせてました。
が、そのとき……しっぽを思いっきり踏んでしもたんですよ(T_T)
普段なら、相当痛がったと思います。
でもこのときは反応もせず。
されるがままになってました。
それぐらいしんどいのに、飼い主には、しっぽを振って見せるんですよ。
犬という種類全般に言えることかもしれませんが、健気なんですよね。
あほ鳥は、本当~にわがままです。
私が仕事をしているときでも、籠の中から、
「出せ~!!出せ~~~~~!!!」
と大声で呼ぶ。
そのくせ出てきても、私がパソコン画面ばかり見てると、
「こっち見ろ!!」
とつつくんですよ。
それが痛いのなんの(T_T)
でも、私が病気で寝ているときは、なぜかそれがわかるらしく、おとなしくじっとしています。
籠を開けると私の肩に飛び乗りますが、私が布団に戻ると枕の上に移り、静に私の顔をじっとみてたりするんですよ。
なんとなく、
「大丈夫?」
と言ってるように見えたりして(笑)
そういうときはやっぱり
「可愛いな」
って思います。
もちろん、動物学者さんはこう言うでしょうね。
「犬は、集団行動をする動物だ。リーダーに嫌われたら生きていけないから、リーダーの機嫌をとるのだ。犬に感情や愛情があるわけではない。ただの生存本能だ」
「鳥は弱者なので、日常の違いに敏感だ。飼い主がいつもと様子が違うのは、鳥にとっては異常事態。だから様子を見ているだけ。心配しているわけではない」
なんてね。
そうなのかもしれませんけどさ(^^ゞ
でも、私はそういう人たちにこう言いたい。
「ま、そう思いたいなら思ってなさいってこった」
って。
昔の人たちも、
「ペットは飼い主を思いやる」
と考えていたようです。
「科学の発達してない時代だから、勘違いしただけだ」
って言われるかもしれませんが、私も言ってやりますとも。
「ま、そう思いたいなら(以下略)」
さて、「昔の人たちも」と言いましたが、それがいつからかはわかりません。
はっきりしているのは、江戸時代みたい。
猫は犬や鳥、金魚などに並んで人間に愛されてきたペットですが、その中でも群を抜いて「神秘的」と思われてきたようでもあります。
だから、「猫がしゃべった」という話は、江戸時代の怪談にたくさんあるみたい。
有名なのは、『耳嚢』の話ですよね。
和尚さんが飼い猫の様子を見ていると、鳥を狙っているようである。
そこで、
「おいおい」
と声をかけると、鳥が逃げてしまい、猫は思わず
「残念ナリ」
と声を出してしまうんですね。
和尚さんが驚くと、猫は、
「猫は10年生きるとしゃべるようになる、狐との混血ならもっと早くからしゃべる」
と教え、ふつりと姿を消してしまうのです。
しゃべっているところを見られた猫が、その日限りで姿を消すというのは、お約束のようですね。
いわゆる「見るなのタブー」に近いものがあるのでしょう。
さてさて。
昨日やっと、柴田宵曲の本を入手しました。
「すごい良い」
という評判を目にしてから探してたんですが、どこの本屋にもないんですよね、これが。
ネットで購入すれば早いってなもんだけど、一応物書きのはしくれとしては、本屋さんを大切にしたい。
……な~んて言ってみてますが、本当は単純に、図書券があるから本屋で買いたいってだけなんですけどね(^^ゞ
でも、なるべく本屋さんで買った方がいいのは本当なんで、むちゃくちゃ重たい本や、ジュンク堂へ行ってる暇がないのに珍しい本が欲しい場合を除いては、なるべく本屋で購入しようと思ってます。
で、ジュンク堂や丸善は、ネットで取り寄せ手続きができるので、近所の丸善に取り寄せてもらってたんですね。
そして昨日、打ち合わせで丸善のそばに行ったので、やっと入手できたってわけ。
購入したのは三冊。
『妖異博物館』『続妖異博物館』『奇談異聞辞典』
まずは『妖異博物館』から読み始めました。
そこに紹介されていたのが、『新著聞集』にある猫の怪。
ここにも「しゃべる猫」が登場します。
あるお寺の住持が熱を出して寝込んでいると、外から戸を叩く音が聞こえます。
住持が立ち上がることもできずにいると、寺で飼っている猫が何やら応対しているよう。
耳を澄ますと、外の猫は、
「今日はおまつりだ。一緒に行こう」
と誘っています。
でも、飼い猫は、
「御主人様が寝込んでおられるから、お傍にいる」
と答えるのです。
すると外の猫は、
「それでは手ぬぐいを貸せ」
と別の要求をしますが、
「ご主人様の汗をふかなくてはいけないから、貸せない」
と。
いじらしいですよね(T_T)
住持は聞かないふりをすべきでした。
でもその会話を聞くと、黙っておれず猫を呼んでしまうんですよ。
そして、
「おまつりを楽しみにしていたのではないのか?私は大丈夫だから、行ってきなさい」
と優しく頭を撫でてしまうのです。
バカなんだからっもうっっっ!!!!!
猫がしゃべったのを聞いたってバラしてるようなもんじゃん!!!!!
はたして猫は、家を出て行ったきり、戻ってこなかったのでした(>_<)
猫にとっては、楽しみにしていた祭りを断ってまでそばにいたかったご主人様ですよ。
そばにいるのが一番幸せに決まってるじゃん!!!
なんでつまらないことをしゃべっちゃうんだろ。
ついつい人間の前でしゃべってしまった猫よりもずっと、この住持の方がうっかりしてるっつうねん!!!!!!
読みながら、思わず身悶えしちゃいましたよ(^^ゞ
でもね。
新著聞集の作者は、
「猫は愛情深い動物だ」
と考えていたのでしょう。
「飼い主がいないとくいっぱぐれるので、甘えて見せるだけだ」
なんていうしょ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~むないっ!!ことは考えてなかったに違いありません。
そして私は、科学の発達してなかったこの時代の人たちに、大いに共感するのであります。
キンパプとのりまき
私が初めてキンパプを食べたのは、韓国旅行をしたときでした。
15年前ですね。
親しい後輩に韓国籍の子がいて、彼女の恋人がちょうど兵役で(?)韓国に帰ってたんで、
「案内させます!!!」
と言うてくれたんですが、本当にまる一日私たちのガイドをしてくれました。
彼は、
「お邪魔じゃないですか?せっかく二人で楽しんでるのに」
と何度も言うてましたが、
「夫婦はいつも一緒だから、案内してくれるのはとてもうれしい」
と答えると、
「なるほど!結婚するといつも一緒にいられるんですね」
と目をキラキラさせてました。
私たち夫婦は、結構「案内好き」なので、
「大阪が好き」「奈良が好き」
などと言われると、ついつい喜んで一日べったり案内の計画をたてたりしますが、そうすると、
「ここまでしてもらっていいんですか?」
などという反応をされたりします。
多分、そこまで案内するような文化は、日本にはあんまりないのかなとも思ったり。
……そうでもないか(笑)
よくわかりませんが、とにかく韓国を案内してくれたのは、あくまでも後輩の彼氏であり、私とも旦那とも初対面でした。
なのに、
「とにかく楽しんでほしい。そのためならなんでもしたい」
という雰囲気がありました。
もちろん、たまたま彼が「すっごいいい人」だったのかもしれませんが(笑)
なんていうか、「親切さが熱い」っていう感じがしたんですね。
会社のそばに韓国料理のお店があり、私は定期的にランチに通ってたんですが、たまたま忙しくて会社で弁当を喰らう日々が続いたら、会社にお店の人から電話がかかってきました。
「病気してるの?!」
って。
会社の電話番号などは知らせておらず、
「あのビルにある特許事務所」
としか教えてなかったですから、電話帳で調べたんでしょうね。
前述の韓国人の後輩曰く、
「韓国人は熱い人が多いんですよ」
とのことでした。
……ってことで、文化的違いは間違いなくあると思うんですよね。
でもそれは、決して、相容れないものじゃない。
むしろ、その違いは、お互いにとって好刺激になりえるものじゃないのかなと感じました。
ましてや、「違い」は「優劣」では決してありません。
ただ、仕事で歌手のKさんにインタビューしたとき、
「大阪の人は韓国人に似てて、熱い人が多いですね!!」
って言ってたから、大阪人は韓国人に対してなじみやすいのかもしれないですけどね。
でも、「優劣ではない」というのは、どこの文化に対しても同じだと思う。
科学の発達と文化はなんの関係もありません。
正直なところ、李明博大統領の発言と行動に端を発した一連の騒動は、「政治家の身勝手」としか考えられません。
今までも、韓国大統領は、支持率が下がると、反日的な発言をする傾向がありました。
そういうのを見れば、はっきりきっぱり
「恥ずかしい政治家だ」
って思ってました。
だってさ。共通の敵を作り上げて、「いっしょに怒ろう」と民意をまとめあげるなんて。
ちょっとあんまりにも安易すぎやしませんか?
ポピュリズムそのものは、悪いものではないでしょう。
っていうか、国民の声を一切聞かない支配者では、独裁者になってしまいます。
ただ、その「国民の声」さえも、支配者が作り上げたものだとしたら、それは、ポピュリズムとさえ呼べません。
「ラポール」って言葉があります。
心理学の場面で、相談者との間に一度良い関係を築き上げることに成功したら、その時の「符号」をすくいだすんですね。
たとえば、野球の話題で盛り上がったのなら、その符号は「野球」です。
一度この符号を見つければ、便利なんですって。
関係がギクシャクしたときに野球の話題を出すといいそうな。
韓国の場合、政治家と国民の間の「ラポール」が、「反日」だったらやだなぁとか思ってました。
日本で活躍した韓流スターが祖国に帰ってから大変だという話は、パク・ヨンハさんの自殺のとき、ニュースで読みました。
「裏切り者」という目で見られることもあるとかないとか。
だから、日本に進出した韓流スターは、却って反日をきっぱり表明しなくては、自国での活躍が難しいとも、最近のニュースで読みました。
韓流スターの「KARA」が、竹島問題で質問され、その質問を司会者が遮っただけで、「裏切り者!」という非難が出てるというニュースも今朝読みました。
でも、これって、KARAにとっては不可抗力ちゃうん(^^ゞ?
いや、私はKARAってどんな人たちだか知らないので、どういうシチュエーションだったのか見当もつきませんけどさ。
これってすごくしんどいことだろうなと思います。
反日を表明してしまったら、今度は日本でも活動しにくいでしょう?
大変だなと思う。
「反日」というラポールを政治家たちが作ることによって、こういうところで犠牲が出てるんじゃないのかな。
だとしたら、ひどい話だなと思う。
そんなセコいことで支持率あげるんじゃなく、堂々と政治手腕で勝負すりゃいいのにね。
もし本当に、彼らが指示を得るための「ラポール」として反日感情を煽り、そのせいで犠牲になる文化人たちがいるのなら、「許せん!」とも思います。
実際のところ、どうなんでしょうね?
正直なところ、他の国のことはわかりません。
ただ、自分の国が同じようになるのは、絶対いやです。
日本の首相が、支持率アップのためだけに、韓国や中国、ロシアなど、領土問題で敵対する国に対し、強い口調で攻撃するまねをするのは、絶対にやめてほしい。
ラポールを作るのは、政治的手法として「アリ」かもしれませんが、「共通の敵を作る」という形でそれを実現するなら、あんまりにも幼稚です。
人気とりをするのではなく、将来の日本のことを考えて、断固とした行動をしてほしいものだと思います。
とにかく、野田首相には、
「No performance. Action!」
と言いたい。
支持率のことなんか考えず、将来の日本のことを考えて行動していただきたいものです。
なんで英語なのかというと、ブルース・リーの、
Don't think. Feel!
が頭に浮かんだからで、特に意味はありません(笑)
ブルース・リーは、日本が大嫌いだったそうですけどね(^^ゞ
どちらにしても、韓国の政治家が「日本」というとき、それはあまりにも記号化された「日本」であるように思います。
そして日本人や日本の政治家が「韓国」を、大衆を煽るための記号にしないことを祈ります。
クールにいきたいじゃないですか、だって。
さて、今日は打ち合わせです。
そろそろでかけま~す。
15年前ですね。
親しい後輩に韓国籍の子がいて、彼女の恋人がちょうど兵役で(?)韓国に帰ってたんで、
「案内させます!!!」
と言うてくれたんですが、本当にまる一日私たちのガイドをしてくれました。
彼は、
「お邪魔じゃないですか?せっかく二人で楽しんでるのに」
と何度も言うてましたが、
「夫婦はいつも一緒だから、案内してくれるのはとてもうれしい」
と答えると、
「なるほど!結婚するといつも一緒にいられるんですね」
と目をキラキラさせてました。
私たち夫婦は、結構「案内好き」なので、
「大阪が好き」「奈良が好き」
などと言われると、ついつい喜んで一日べったり案内の計画をたてたりしますが、そうすると、
「ここまでしてもらっていいんですか?」
などという反応をされたりします。
多分、そこまで案内するような文化は、日本にはあんまりないのかなとも思ったり。
……そうでもないか(笑)
よくわかりませんが、とにかく韓国を案内してくれたのは、あくまでも後輩の彼氏であり、私とも旦那とも初対面でした。
なのに、
「とにかく楽しんでほしい。そのためならなんでもしたい」
という雰囲気がありました。
もちろん、たまたま彼が「すっごいいい人」だったのかもしれませんが(笑)
なんていうか、「親切さが熱い」っていう感じがしたんですね。
会社のそばに韓国料理のお店があり、私は定期的にランチに通ってたんですが、たまたま忙しくて会社で弁当を喰らう日々が続いたら、会社にお店の人から電話がかかってきました。
「病気してるの?!」
って。
会社の電話番号などは知らせておらず、
「あのビルにある特許事務所」
としか教えてなかったですから、電話帳で調べたんでしょうね。
前述の韓国人の後輩曰く、
「韓国人は熱い人が多いんですよ」
とのことでした。
……ってことで、文化的違いは間違いなくあると思うんですよね。
でもそれは、決して、相容れないものじゃない。
むしろ、その違いは、お互いにとって好刺激になりえるものじゃないのかなと感じました。
ましてや、「違い」は「優劣」では決してありません。
ただ、仕事で歌手のKさんにインタビューしたとき、
「大阪の人は韓国人に似てて、熱い人が多いですね!!」
って言ってたから、大阪人は韓国人に対してなじみやすいのかもしれないですけどね。
でも、「優劣ではない」というのは、どこの文化に対しても同じだと思う。
科学の発達と文化はなんの関係もありません。
正直なところ、李明博大統領の発言と行動に端を発した一連の騒動は、「政治家の身勝手」としか考えられません。
今までも、韓国大統領は、支持率が下がると、反日的な発言をする傾向がありました。
そういうのを見れば、はっきりきっぱり
「恥ずかしい政治家だ」
って思ってました。
だってさ。共通の敵を作り上げて、「いっしょに怒ろう」と民意をまとめあげるなんて。
ちょっとあんまりにも安易すぎやしませんか?
ポピュリズムそのものは、悪いものではないでしょう。
っていうか、国民の声を一切聞かない支配者では、独裁者になってしまいます。
ただ、その「国民の声」さえも、支配者が作り上げたものだとしたら、それは、ポピュリズムとさえ呼べません。
「ラポール」って言葉があります。
心理学の場面で、相談者との間に一度良い関係を築き上げることに成功したら、その時の「符号」をすくいだすんですね。
たとえば、野球の話題で盛り上がったのなら、その符号は「野球」です。
一度この符号を見つければ、便利なんですって。
関係がギクシャクしたときに野球の話題を出すといいそうな。
韓国の場合、政治家と国民の間の「ラポール」が、「反日」だったらやだなぁとか思ってました。
日本で活躍した韓流スターが祖国に帰ってから大変だという話は、パク・ヨンハさんの自殺のとき、ニュースで読みました。
「裏切り者」という目で見られることもあるとかないとか。
だから、日本に進出した韓流スターは、却って反日をきっぱり表明しなくては、自国での活躍が難しいとも、最近のニュースで読みました。
韓流スターの「KARA」が、竹島問題で質問され、その質問を司会者が遮っただけで、「裏切り者!」という非難が出てるというニュースも今朝読みました。
でも、これって、KARAにとっては不可抗力ちゃうん(^^ゞ?
いや、私はKARAってどんな人たちだか知らないので、どういうシチュエーションだったのか見当もつきませんけどさ。
これってすごくしんどいことだろうなと思います。
反日を表明してしまったら、今度は日本でも活動しにくいでしょう?
大変だなと思う。
「反日」というラポールを政治家たちが作ることによって、こういうところで犠牲が出てるんじゃないのかな。
だとしたら、ひどい話だなと思う。
そんなセコいことで支持率あげるんじゃなく、堂々と政治手腕で勝負すりゃいいのにね。
もし本当に、彼らが指示を得るための「ラポール」として反日感情を煽り、そのせいで犠牲になる文化人たちがいるのなら、「許せん!」とも思います。
実際のところ、どうなんでしょうね?
正直なところ、他の国のことはわかりません。
ただ、自分の国が同じようになるのは、絶対いやです。
日本の首相が、支持率アップのためだけに、韓国や中国、ロシアなど、領土問題で敵対する国に対し、強い口調で攻撃するまねをするのは、絶対にやめてほしい。
ラポールを作るのは、政治的手法として「アリ」かもしれませんが、「共通の敵を作る」という形でそれを実現するなら、あんまりにも幼稚です。
人気とりをするのではなく、将来の日本のことを考えて、断固とした行動をしてほしいものだと思います。
とにかく、野田首相には、
「No performance. Action!」
と言いたい。
支持率のことなんか考えず、将来の日本のことを考えて行動していただきたいものです。
なんで英語なのかというと、ブルース・リーの、
Don't think. Feel!
が頭に浮かんだからで、特に意味はありません(笑)
ブルース・リーは、日本が大嫌いだったそうですけどね(^^ゞ
どちらにしても、韓国の政治家が「日本」というとき、それはあまりにも記号化された「日本」であるように思います。
そして日本人や日本の政治家が「韓国」を、大衆を煽るための記号にしないことを祈ります。
クールにいきたいじゃないですか、だって。
さて、今日は打ち合わせです。
そろそろでかけま~す。
苦行
あほ犬のえさ、固いうちに粉々にする案、実行しました。
ビニール袋に入れて、上からすりこぎで叩いたんですが……。
あきまへんわ(T_T)
袋が破れる(>_<)
でも、そこでまたふっと思いつきましたよ。
「ビニール袋に入れるまではよかったんちゃうん?」
って。
餌をビニール袋に入れてから水も入れ、手でもんでぐちゃぐちゃにすれば早いんちゃうん?
ねぇ。
これ、ほとんど正解ちゃいます?
ってことで、今朝はこの手法を実験。
お~楽だ!!
これで朝の支度、大幅時間短縮できるかもよ??
さて。
昨日は午後からずっと、「インド神話」を読んでました。
うちにはヴェーダ神話やらウパニシャッドなどもありますが、これらは詩ですからねぇ。
雰囲気はわかるし、何が崇拝対象かまではわかりますが、全体的な流れはイマイチ理解できませんでした。
そこで購入したのが、ちくま文庫の「インド神話」。
マハーバーラタや、ラーマヤナ、あとはジャータカなどからインド神話を引っ張ってきて、比較&紹介された本です。
すごくわかりやすく作られてるんだと思いますが、なんせインド人の名前って覚えづらいんすよ(>_<)
ヴァイシュラヴァナ、ヴァイシュラヴァス、ヴィシュヴァーミトラ。
三柱とも、別神格です。
ひ~ん、こんなん覚えられるわけないやろ~~~~~~!!!!!!
……ってことで、何度も読み返さなくてはならず、たった300ページほどの本にてこずっております(^^ゞ
ちなみに、ヴァイシュラヴァナの別名は、クベーラ。
毘沙門天の別名とも書かれています。
ここもややこしいんですよね。
ヒンズーの神々は、日本にやってきて、仏教神となってたりしますが、もともとの性格と変わってるんですよ。
毘沙門天と言えばどんな神様だと思います?
武神じゃありません?
黄金の鎧を身にまとい、虎に乗り、大きな槍を持つ、力強いお姿を連想します。
が。
クベーラの別名は「財主」なんですよね(^^ゞ
なんか違うでしょ?
ここでまた、頭がぐっちゃぐちゃになる(笑)
でもいちばんの問題は、そこじゃありません。
私をもっとも悩ませているのは、道徳観の違いです。
日本の場合、神は正義であり、至高の存在です。
だからこそ、乱暴者のスサノオが、神々の悪を一身に背負わねばなりませんでした。
でもインド神話はそうではない。
神は罪のないものを殺すし、無責任なことを言う。
でも一番の相違は、神よりバラモンの方が力を持っているということでしょう。
バラモンが苦行をすると、その身に威光を身に付け、神の力を凌駕してしまう。
だから神は苦行の邪魔をしに来るわけですね。
その根底には、厳然たるカーストがあります。
社会科が大の苦手だった私でさえ、カーストのことはよく覚えていますから、ほとんどの方がカーストとはいかなるものかご存知じゃないかとも思うのですが、蛇足ながら説明しておくと、カーストには二つの種類があります。
一つはジャーティと呼ばれる区分。
これは「職業」とほぼ同じ意味みたいですね。
たとえば、「靴職人のジャーティ」みたいに。
もう一つは、ヴァルナと呼ばれる分け方。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4種類からなります。
バラモンは僧侶、クシャトリアは武士や王族、ヴァイシャは平民、シュードラは奴隷ですね。
でも実は、ヴァルナを持たない人も相当数存在し、彼らは、アチュート、不可触民と呼ばれますね。
ダリットという呼び名の方が知られているんでしょうか?
インドでは、建前上、「カーストはなくなった」とされています。
が、それは嘘らしいですね。
まだまだカーストの感覚は残っており、ダリットたちは、とんでもない境遇で暮らしているようです。
つまり、何をされても文句が言えない。
もちろん警察も動かない。
よく一緒に仕事をするカメラマンが、
「ネパールの人々を撮影に行ったんですが、カーストだけはどうしてもなれませんでした。上位カーストが下位カーストを殺すなんてことが日常茶飯事なんですよ」
と眉をしかめながら教えてくれました。
差別はくっきり残っているのですね。
現代でさえ、です。
その昔はもっとひどかったと想像しても、あながち間違ってないんじゃないでしょうか。
バラモンは、何をやっても許されるようです。
たとえば、バラモン教最高の神であるところのインドラは、クシャトリアの階級にあたるそうなんですが、神々をおびやかすバラモンを殺すと、インドラは力を失ってしまいました。
インドラは最高神ですよ?
それでも、クシャトリアである限り、バラモンより力がないのですね。
う~ん……。
また、苦行さえすれば、どんな人間でも、ブラフマン(宇宙原理)の恵みを受けることができるという思想もなじめない(^^ゞ
ある人食い鬼は、10の頭を持っていて、その一つ一つを切り離し、火に投入するという苦行を行いました。
すると、ブラフマンは彼に、不死身の肉体という恩寵を与えたのでした。
……ね?
日本神話だったら、人(それは同時に神をも意味すると思います)喰い鬼がどんなに苦行をしたって、不死身の体を与えるなんてことはあり得ないと思うんだな。
しかしまぁ、それが「宇宙原理」なのだという発想なのかなぁ???
もういろいろつっこみどころが多すぎて(笑)
ただ、こういう土壌があったからこそ、お釈迦様は「解脱したい」と考えたのだなとも納得できます。
「解脱」ってわかります?
カーストでは、現世では決して位を変わることができません。
ただ、現世で苦行を積めば、生まれ変わったとき、上位カーストに生まれ変われるのだと考えます。
つまり、バラモンたちが大手を振って悪行を行うのは、
「過去に苦行をしたんだから、これぐらいの悪行は当然だ」
という発想があるんですね。
ムカつく~~~~~~!!!!!!
で、「解脱」ってのは、「もう生まれ変わらない」ってことなのだそうです。
……と、橋本治は「宗教なんて怖くない」で書いてはりましたし、インド神話を読めば、「そうなんだろうな」と思います。
なんにせよ、バラモンたちは、「自分たちは神より偉い」って思ってるわけですよね。
なんだかなぁ。
宗教にはいろいろな面があり、それぞれ一長一短あると思います。
が、「自分より偉いもん」(BY某知人)のない宗教って、害悪しかない気がする。
せめて、「一番偉い人たち」は、他の人たちの手本となるよう、自覚をもってふるまってもらいたいものだと、読みながらつくづく思ったのでありました。
今週からちょっと忙しくなるので、今日の午後には読み終える予定です。
……読めるかなぁ(^^ゞ
ビニール袋に入れて、上からすりこぎで叩いたんですが……。
あきまへんわ(T_T)
袋が破れる(>_<)
でも、そこでまたふっと思いつきましたよ。
「ビニール袋に入れるまではよかったんちゃうん?」
って。
餌をビニール袋に入れてから水も入れ、手でもんでぐちゃぐちゃにすれば早いんちゃうん?
ねぇ。
これ、ほとんど正解ちゃいます?
ってことで、今朝はこの手法を実験。
お~楽だ!!
これで朝の支度、大幅時間短縮できるかもよ??
さて。
昨日は午後からずっと、「インド神話」を読んでました。
うちにはヴェーダ神話やらウパニシャッドなどもありますが、これらは詩ですからねぇ。
雰囲気はわかるし、何が崇拝対象かまではわかりますが、全体的な流れはイマイチ理解できませんでした。
そこで購入したのが、ちくま文庫の「インド神話」。
マハーバーラタや、ラーマヤナ、あとはジャータカなどからインド神話を引っ張ってきて、比較&紹介された本です。
すごくわかりやすく作られてるんだと思いますが、なんせインド人の名前って覚えづらいんすよ(>_<)
ヴァイシュラヴァナ、ヴァイシュラヴァス、ヴィシュヴァーミトラ。
三柱とも、別神格です。
ひ~ん、こんなん覚えられるわけないやろ~~~~~~!!!!!!
……ってことで、何度も読み返さなくてはならず、たった300ページほどの本にてこずっております(^^ゞ
ちなみに、ヴァイシュラヴァナの別名は、クベーラ。
毘沙門天の別名とも書かれています。
ここもややこしいんですよね。
ヒンズーの神々は、日本にやってきて、仏教神となってたりしますが、もともとの性格と変わってるんですよ。
毘沙門天と言えばどんな神様だと思います?
武神じゃありません?
黄金の鎧を身にまとい、虎に乗り、大きな槍を持つ、力強いお姿を連想します。
が。
クベーラの別名は「財主」なんですよね(^^ゞ
なんか違うでしょ?
ここでまた、頭がぐっちゃぐちゃになる(笑)
でもいちばんの問題は、そこじゃありません。
私をもっとも悩ませているのは、道徳観の違いです。
日本の場合、神は正義であり、至高の存在です。
だからこそ、乱暴者のスサノオが、神々の悪を一身に背負わねばなりませんでした。
でもインド神話はそうではない。
神は罪のないものを殺すし、無責任なことを言う。
でも一番の相違は、神よりバラモンの方が力を持っているということでしょう。
バラモンが苦行をすると、その身に威光を身に付け、神の力を凌駕してしまう。
だから神は苦行の邪魔をしに来るわけですね。
その根底には、厳然たるカーストがあります。
社会科が大の苦手だった私でさえ、カーストのことはよく覚えていますから、ほとんどの方がカーストとはいかなるものかご存知じゃないかとも思うのですが、蛇足ながら説明しておくと、カーストには二つの種類があります。
一つはジャーティと呼ばれる区分。
これは「職業」とほぼ同じ意味みたいですね。
たとえば、「靴職人のジャーティ」みたいに。
もう一つは、ヴァルナと呼ばれる分け方。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4種類からなります。
バラモンは僧侶、クシャトリアは武士や王族、ヴァイシャは平民、シュードラは奴隷ですね。
でも実は、ヴァルナを持たない人も相当数存在し、彼らは、アチュート、不可触民と呼ばれますね。
ダリットという呼び名の方が知られているんでしょうか?
インドでは、建前上、「カーストはなくなった」とされています。
が、それは嘘らしいですね。
まだまだカーストの感覚は残っており、ダリットたちは、とんでもない境遇で暮らしているようです。
つまり、何をされても文句が言えない。
もちろん警察も動かない。
よく一緒に仕事をするカメラマンが、
「ネパールの人々を撮影に行ったんですが、カーストだけはどうしてもなれませんでした。上位カーストが下位カーストを殺すなんてことが日常茶飯事なんですよ」
と眉をしかめながら教えてくれました。
差別はくっきり残っているのですね。
現代でさえ、です。
その昔はもっとひどかったと想像しても、あながち間違ってないんじゃないでしょうか。
バラモンは、何をやっても許されるようです。
たとえば、バラモン教最高の神であるところのインドラは、クシャトリアの階級にあたるそうなんですが、神々をおびやかすバラモンを殺すと、インドラは力を失ってしまいました。
インドラは最高神ですよ?
それでも、クシャトリアである限り、バラモンより力がないのですね。
う~ん……。
また、苦行さえすれば、どんな人間でも、ブラフマン(宇宙原理)の恵みを受けることができるという思想もなじめない(^^ゞ
ある人食い鬼は、10の頭を持っていて、その一つ一つを切り離し、火に投入するという苦行を行いました。
すると、ブラフマンは彼に、不死身の肉体という恩寵を与えたのでした。
……ね?
日本神話だったら、人(それは同時に神をも意味すると思います)喰い鬼がどんなに苦行をしたって、不死身の体を与えるなんてことはあり得ないと思うんだな。
しかしまぁ、それが「宇宙原理」なのだという発想なのかなぁ???
もういろいろつっこみどころが多すぎて(笑)
ただ、こういう土壌があったからこそ、お釈迦様は「解脱したい」と考えたのだなとも納得できます。
「解脱」ってわかります?
カーストでは、現世では決して位を変わることができません。
ただ、現世で苦行を積めば、生まれ変わったとき、上位カーストに生まれ変われるのだと考えます。
つまり、バラモンたちが大手を振って悪行を行うのは、
「過去に苦行をしたんだから、これぐらいの悪行は当然だ」
という発想があるんですね。
ムカつく~~~~~~!!!!!!
で、「解脱」ってのは、「もう生まれ変わらない」ってことなのだそうです。
……と、橋本治は「宗教なんて怖くない」で書いてはりましたし、インド神話を読めば、「そうなんだろうな」と思います。
なんにせよ、バラモンたちは、「自分たちは神より偉い」って思ってるわけですよね。
なんだかなぁ。
宗教にはいろいろな面があり、それぞれ一長一短あると思います。
が、「自分より偉いもん」(BY某知人)のない宗教って、害悪しかない気がする。
せめて、「一番偉い人たち」は、他の人たちの手本となるよう、自覚をもってふるまってもらいたいものだと、読みながらつくづく思ったのでありました。
今週からちょっと忙しくなるので、今日の午後には読み終える予定です。
……読めるかなぁ(^^ゞ
冬野菜へ移行
昨日は10時に都祁集合でした。
が、私たちは10分ほど遅刻(^^ゞ
お弁当が思ったより手こずったのと、あほ犬のご飯に時間がかかったのが原因でございます。
今、療養食とウェットフードの割合は、8:2程度になってきていますが、療養食はやっぱりおいしくないんでしょうね。
粒のまま与えると、残すんですよ。
なので、水にふやかしてつぶし、ウェットフードとグチャグチャに混ぜてます。
この「つぶす」作業が時間かかりましてね~……。
普段時間をはかってなかったんですが、ちゃんとはかってみると、10分ぐらいかかってた(^^ゞ
ほぼ丸一日留守するわけで、もし食べなかったら困るし……と、手を抜けずにやってたら、遅れてしまいました。
すいませんm(__)m
で、今ふっと思ったんだけど、ふやかしてからつぶすより、固い間に粉々にして水でふやかす方が楽で早く、きれいにつぶれるんじゃないか?????
……次からそうしよ(笑)
さて。
畑へ行くと、畑主さんが飛んできて、
「ほんまにトラクター使わへんの?」
と聞いてきはります。
先週の段階では、
「トラクターでは勉強にもならへんから、鍬で作る?」
とおっしゃってたんですが、鍬ではたくさん作れないわけで。
そうなると、子どもたちが来たとき、楽しみが少ない……という考えにならはったみたいですね。
この間、子どもたちがたくさん来たときのことがよっぽど楽しかったみたい(^^ゞ
でも、あまりにも畑が広すぎると私たちが責任もって世話することもできないし(というか今までも世話できてない(^^ゞ)、一家族一畝が精いっぱいなんですよね~……。
ってことで再度みんなで相談し、トラクターで4畝、鍬で2畝。
春もそんな感じで、思いっきり野菜の種類増えたんだったことを思い出しました(笑)
まずはトラクターでの作業です。
トラクターは一度に2畝作ってくれるので、幅広く、肥料や殺虫剤を撒いていきます。

肥料は、10-10-10。
リン酸、カリウム、窒素が10ずつ入っているという意味です。
そして、殺虫剤はダイシストン。
これを撒かないと、大根に黒い点がついちゃうそうです。
あと、カルシウムを撒き、トラクターで耕していきます。

できた畝はこんな感じ。

4本筋ができてるでしょ?
ここに種を播くんです。
まずは根切り虫対策。
この薬は、エチメトンという名前でした。

その上に種を20センチ感覚で播き、レーキで土をかぶせます。

たったこれだけの作業だと思うでしょ?
慣れない人間には難しいんですよ。
小さな種を20センチ間隔で播くのって、思いのほか難しいですよ?????
すべての作業に1時間以上かかりました(^^ゞ
その後お昼ご飯です。

左端のぐちゃぐちゃしたのが私作(^^ゞ
おむすび大会にしよっか~……と言ってたんですが、
「せっかくだから、うちらしい何かを」
とか思っちゃったのが間違いでした(T_T)
「普通じゃないおむすびってなんだろ?」
って考えたときに、お向かいの奥さんに、韓国海苔をいただいたんですよ。
大きなのじゃなくて、8ツ切りサイズのもの。
おむすびに巻くにはちょうど良いですよね。
なので、
「それならキンパプもどきにしよう」
と決めました。
が、ごはんにごま油を少し混ぜ、塩も混ぜ込んでから握るのはよいとして、何を具にするかで悩みました。
キンパプと言えば、キュウリでしょ?
キュウリをおむすびの中に握りこむのって至難の業じゃないですか?
それくらいなら、海苔を並べて上にごはんを乗せ、巻き簾で巻く方が楽だと思いません?
……ってことで、8ツ切り海苔3枚を並べてごはんを乗せ、巻いたのがこの作品でございます。
試行錯誤した分、時間がなく焦ってしまい、おもっきり爆発してます(>_<)
具は三種類。
煮にんじん、きゅうり、カニカマ、卵を巻いたオーソドックスなもの。
カニカマ、卵、キュウリ、マヨネーズのサラダ巻。
マヨシーチキン、キュウリの、これまたオーソドックスなサラダ巻。
つまり、すべてにキュウリが入ってるんですが、「ゆきちゃん」は、キュウリが大の苦手だそうで(^^ゞ
「なんで?味がないから?」
と聞いたら、
「あるあるあるあるあるあるあるある!!」
とむっちゃ早口で否定してはりました(笑)
きゅうりの味……そういわれてみれば、青臭いか。
でも、ズッキーニは平気だそうなんですよ。
……………。
人間の嗜好って、本人以外は理解できないもんですよね(^^ゞ
私は子供のころ、クリームコロッケが泣くほど嫌いでしたが、なんでだったか今ではさっぱり思い出せません。
多分……、給食のクリームコロッケは粉っぽかったから、そこが苦手だったのかなぁと思います。
給食のクリームコロッケを今食べたら、どんな感想を持つだろう?
多分「粉っぽさ」よりも、「クリームコロッケらしさ」が勝って、結構おいしく食べられるんじゃないかという気もします。
ゆきちゃんは旦那の元同僚で、私より旦那との付き合いが長いんですが、旦那がしみじみ言うに、
「前世で河童に悪さしたんやと思う」
だそうです。
それほどまでにキュウリが嫌いだってことでしょう(笑)
全然関係ありませんが、ゆきちゃんは旦那より先に結婚して、旦那様のことを「ダーリン」と呼んでたみたいで、旦那はゆきちゃんの旦那様を「ダーリン」と呼びます。
私もそれを真似して「ダーリン」と呼んでたんですが、都祁の畑での作業を冷静に見たら、ちょっと妙な感じでしょうね(笑)
ええ年した男女が、一人の男性を一斉に「ダーリン」と呼んでいるという。
特に、旦那が彼を「ダーリン」と呼ぶのは、知らない人が見たら、かなり奇異ではないか、と(笑)
もとい。
皆で持ち寄ってのお弁当は楽しいですよね。
畑主さんも、
「いつもは一人やけど、皆で食べると楽しいなぁ」
と喜んでくれてはったと思います。
そして午後からは、鍬での作業。
これがまた、大変なんだ(^^ゞ
まずは午前中と同じように、肥料と殺虫剤を。
鍬で耕す場合、一度に1畝しかできませんから、幅は狭めに撒いていきます。
そして鍬で耕す!!
畑主さんは、
「一度トラクターで耕してあるから土が柔らかい。簡単」
とおっしゃってましたが、私たちにとっては、決して「簡単」じゃなかったですよ(T_T)

土って重いよ(>_<)
その後、三角ホーを使い、筋をつけます。

後は同じ。
薬、種の順に播いて、レーキで土をかぶせます。
土をかぶせる際、少ないよりは多い方がベターだそうです。
かぶせる量が多くても、芽が出るのが遅れるだけですが、少ないと乾燥しちゃうんだそうですね。
そうなると、種が死んじゃう。
去年、大根を撒いたとき、畑主さんはこんな風にもおっしゃってました。
「畑の教科書では、土は2~3ミリほどしかかけたらあかんって書いたある。
でも、僕らは5ミリ以上かけるねん。そしたら芽が出るのは遅れるけどその分根が強くなる。まっすぐできれいな大根ができるねん」
って。
畑の作業は教科書より経験。
習うより慣れろってことなんだと思います。
そして水の散布。

あとは夏野菜の収穫などをして、終了です。
汗かいた~!!
その後は日陰で一休みです。

これは、「緑だけ抽出する」というカメラの機能を使って撮影したもの。
肖像権を考えて、顔つきがはっきりわからないものを選んだら、この写真になっちゃいました(^^ゞ
畑仕事の後、私たちは源九郎稲荷に立ち寄り、野菜を奉納。
神社の御祭日だったんです。
私たちを畑に誘ってくれた後輩も、去年は参加してたんですよね……。
今年は、ご家族が参加されるとのことだったので、多目にお野菜を置いてきました。
家についたらあほ犬を病院へ。
体重は前回より少し増えましたが、まだベスト体重より800グラムほど軽いなぁ(>_<)
もともと痩せ犬なので、背骨が浮き出ちゃってるんですよね~~~~~~~……。
心配というより、妬ましい(笑)
でも、お医者様には、
「あ、いいですね。熱もないし。これからは心臓の薬だけでいいですよ」
と言われたんで、前庭疾病での通院はこれでおしまいです。
発病したときはどうなることかと思いましたが、良いお医者様がいてくださって、本当に良かった!!
今日は旦那が仕事なので、私は午後から読書です。
上向きに寝転んで本を読んだら、腕ぷるぷるするんだろうなぁ(^^ゞ
が、私たちは10分ほど遅刻(^^ゞ
お弁当が思ったより手こずったのと、あほ犬のご飯に時間がかかったのが原因でございます。
今、療養食とウェットフードの割合は、8:2程度になってきていますが、療養食はやっぱりおいしくないんでしょうね。
粒のまま与えると、残すんですよ。
なので、水にふやかしてつぶし、ウェットフードとグチャグチャに混ぜてます。
この「つぶす」作業が時間かかりましてね~……。
普段時間をはかってなかったんですが、ちゃんとはかってみると、10分ぐらいかかってた(^^ゞ
ほぼ丸一日留守するわけで、もし食べなかったら困るし……と、手を抜けずにやってたら、遅れてしまいました。
すいませんm(__)m
で、今ふっと思ったんだけど、ふやかしてからつぶすより、固い間に粉々にして水でふやかす方が楽で早く、きれいにつぶれるんじゃないか?????
……次からそうしよ(笑)
さて。
畑へ行くと、畑主さんが飛んできて、
「ほんまにトラクター使わへんの?」
と聞いてきはります。
先週の段階では、
「トラクターでは勉強にもならへんから、鍬で作る?」
とおっしゃってたんですが、鍬ではたくさん作れないわけで。
そうなると、子どもたちが来たとき、楽しみが少ない……という考えにならはったみたいですね。
この間、子どもたちがたくさん来たときのことがよっぽど楽しかったみたい(^^ゞ
でも、あまりにも畑が広すぎると私たちが責任もって世話することもできないし(というか今までも世話できてない(^^ゞ)、一家族一畝が精いっぱいなんですよね~……。
ってことで再度みんなで相談し、トラクターで4畝、鍬で2畝。
春もそんな感じで、思いっきり野菜の種類増えたんだったことを思い出しました(笑)
まずはトラクターでの作業です。
トラクターは一度に2畝作ってくれるので、幅広く、肥料や殺虫剤を撒いていきます。

肥料は、10-10-10。
リン酸、カリウム、窒素が10ずつ入っているという意味です。
そして、殺虫剤はダイシストン。
これを撒かないと、大根に黒い点がついちゃうそうです。
あと、カルシウムを撒き、トラクターで耕していきます。

できた畝はこんな感じ。

4本筋ができてるでしょ?
ここに種を播くんです。
まずは根切り虫対策。
この薬は、エチメトンという名前でした。

その上に種を20センチ感覚で播き、レーキで土をかぶせます。

たったこれだけの作業だと思うでしょ?
慣れない人間には難しいんですよ。
小さな種を20センチ間隔で播くのって、思いのほか難しいですよ?????
すべての作業に1時間以上かかりました(^^ゞ
その後お昼ご飯です。

左端のぐちゃぐちゃしたのが私作(^^ゞ
おむすび大会にしよっか~……と言ってたんですが、
「せっかくだから、うちらしい何かを」
とか思っちゃったのが間違いでした(T_T)
「普通じゃないおむすびってなんだろ?」
って考えたときに、お向かいの奥さんに、韓国海苔をいただいたんですよ。
大きなのじゃなくて、8ツ切りサイズのもの。
おむすびに巻くにはちょうど良いですよね。
なので、
「それならキンパプもどきにしよう」
と決めました。
が、ごはんにごま油を少し混ぜ、塩も混ぜ込んでから握るのはよいとして、何を具にするかで悩みました。
キンパプと言えば、キュウリでしょ?
キュウリをおむすびの中に握りこむのって至難の業じゃないですか?
それくらいなら、海苔を並べて上にごはんを乗せ、巻き簾で巻く方が楽だと思いません?
……ってことで、8ツ切り海苔3枚を並べてごはんを乗せ、巻いたのがこの作品でございます。
試行錯誤した分、時間がなく焦ってしまい、おもっきり爆発してます(>_<)
具は三種類。
煮にんじん、きゅうり、カニカマ、卵を巻いたオーソドックスなもの。
カニカマ、卵、キュウリ、マヨネーズのサラダ巻。
マヨシーチキン、キュウリの、これまたオーソドックスなサラダ巻。
つまり、すべてにキュウリが入ってるんですが、「ゆきちゃん」は、キュウリが大の苦手だそうで(^^ゞ
「なんで?味がないから?」
と聞いたら、
「あるあるあるあるあるあるあるある!!」
とむっちゃ早口で否定してはりました(笑)
きゅうりの味……そういわれてみれば、青臭いか。
でも、ズッキーニは平気だそうなんですよ。
……………。
人間の嗜好って、本人以外は理解できないもんですよね(^^ゞ
私は子供のころ、クリームコロッケが泣くほど嫌いでしたが、なんでだったか今ではさっぱり思い出せません。
多分……、給食のクリームコロッケは粉っぽかったから、そこが苦手だったのかなぁと思います。
給食のクリームコロッケを今食べたら、どんな感想を持つだろう?
多分「粉っぽさ」よりも、「クリームコロッケらしさ」が勝って、結構おいしく食べられるんじゃないかという気もします。
ゆきちゃんは旦那の元同僚で、私より旦那との付き合いが長いんですが、旦那がしみじみ言うに、
「前世で河童に悪さしたんやと思う」
だそうです。
それほどまでにキュウリが嫌いだってことでしょう(笑)
全然関係ありませんが、ゆきちゃんは旦那より先に結婚して、旦那様のことを「ダーリン」と呼んでたみたいで、旦那はゆきちゃんの旦那様を「ダーリン」と呼びます。
私もそれを真似して「ダーリン」と呼んでたんですが、都祁の畑での作業を冷静に見たら、ちょっと妙な感じでしょうね(笑)
ええ年した男女が、一人の男性を一斉に「ダーリン」と呼んでいるという。
特に、旦那が彼を「ダーリン」と呼ぶのは、知らない人が見たら、かなり奇異ではないか、と(笑)
もとい。
皆で持ち寄ってのお弁当は楽しいですよね。
畑主さんも、
「いつもは一人やけど、皆で食べると楽しいなぁ」
と喜んでくれてはったと思います。
そして午後からは、鍬での作業。
これがまた、大変なんだ(^^ゞ
まずは午前中と同じように、肥料と殺虫剤を。
鍬で耕す場合、一度に1畝しかできませんから、幅は狭めに撒いていきます。
そして鍬で耕す!!
畑主さんは、
「一度トラクターで耕してあるから土が柔らかい。簡単」
とおっしゃってましたが、私たちにとっては、決して「簡単」じゃなかったですよ(T_T)

土って重いよ(>_<)
その後、三角ホーを使い、筋をつけます。

後は同じ。
薬、種の順に播いて、レーキで土をかぶせます。
土をかぶせる際、少ないよりは多い方がベターだそうです。
かぶせる量が多くても、芽が出るのが遅れるだけですが、少ないと乾燥しちゃうんだそうですね。
そうなると、種が死んじゃう。
去年、大根を撒いたとき、畑主さんはこんな風にもおっしゃってました。
「畑の教科書では、土は2~3ミリほどしかかけたらあかんって書いたある。
でも、僕らは5ミリ以上かけるねん。そしたら芽が出るのは遅れるけどその分根が強くなる。まっすぐできれいな大根ができるねん」
って。
畑の作業は教科書より経験。
習うより慣れろってことなんだと思います。
そして水の散布。

あとは夏野菜の収穫などをして、終了です。
汗かいた~!!
その後は日陰で一休みです。

これは、「緑だけ抽出する」というカメラの機能を使って撮影したもの。
肖像権を考えて、顔つきがはっきりわからないものを選んだら、この写真になっちゃいました(^^ゞ
畑仕事の後、私たちは源九郎稲荷に立ち寄り、野菜を奉納。
神社の御祭日だったんです。
私たちを畑に誘ってくれた後輩も、去年は参加してたんですよね……。
今年は、ご家族が参加されるとのことだったので、多目にお野菜を置いてきました。
家についたらあほ犬を病院へ。
体重は前回より少し増えましたが、まだベスト体重より800グラムほど軽いなぁ(>_<)
もともと痩せ犬なので、背骨が浮き出ちゃってるんですよね~~~~~~~……。
心配というより、妬ましい(笑)
でも、お医者様には、
「あ、いいですね。熱もないし。これからは心臓の薬だけでいいですよ」
と言われたんで、前庭疾病での通院はこれでおしまいです。
発病したときはどうなることかと思いましたが、良いお医者様がいてくださって、本当に良かった!!
今日は旦那が仕事なので、私は午後から読書です。
上向きに寝転んで本を読んだら、腕ぷるぷるするんだろうなぁ(^^ゞ
Quatre Saison
スペルが違ってたらすんません(^^ゞ
チェッカーズの歌にあったんですよね。
当時私は高校生でしたが、それなりに頑張って調べたところ、「四つの季節」という意味だそうでした。
まぁつまり「四季」ですね。
あと、
Jai guru deva
ビートルズの歌ですね。
タイトルは、across the universe。
guruはグル。
つまり尊師ですよ、尊師。
日本人にとってグルOR尊師って言うたら、あのひげもじゃを一番に連想する現実が悲しい(^^ゞ
直訳すると、「尊師、神に勝利あれ」ぐらいの意味だそうで。
この二つの曲に共通点はあるのかって?
いや、ぜ~んぜん(笑)
ただ、私にとっては、あります。
「意味不明の異国語が謳われてる」
ってこともあるんですけどね。
それだけじゃありません。
両方とも、よく聴いたのは、高校生のときです。
私が一番「あ~しんど」と感じたのは中学時代だったと思うんですよ。
なんせ、エホバの証人の王国会館に通うぐらいでしたから(^^ゞ
「人生ってなんだろう?」
って考えてました。
宗教に入れば、答えが出ると思って通ってました。
で、
「あ、宗教に答えはないみたい」
って気づいたのが中三の終わりごろ。
「な~んだ、誰にもこたえなんか見えてないんだ」
と少しだけ開き直りました。
私の高校時代は、「開き直りの時代」だった気がします(^^ゞ
だからしんどいはずがないんですよね~……。
なのに、なぜか、「明るい曲」を探して聞いてた気がします。
across the universeは、歌詞のNothing's gonna change my world を聞いてました。
繰り返し、何回も。
何物も、私の世界を変えることはできない。
何物も……って。
呪文のように(^^ゞ
チェッカーズに関しては、「能天気」という印象があったんだと思います(^^ゞ
今思えば、ごっつい失礼ですが(笑)
高校時代の私には、「深く考えたくない」というときに聞く歌手でした。
でも、なぜか、Quatre Saisonは、「万物は流転する」の意味で私の心に届き、それが心の支えになったんですよ。
「無常」は「無情」ではないってことでしょうか。
……うまい(笑)?
大人になった私は、そんなに不安定でもなきゃ、しんどくもないんですが。
Nothing's gonna change my world
という言葉はいまだに、自分を鼓舞する呪文なのであります。
今日は畑仕事です。
そのお弁当を朝からしゃかりきで作ってたんですが……。
「思いつき」
でやったらあきまへんな(T_T)
無残なものができあがってしまいました。
うゎあああああああ。
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
ふぅ(笑)
今日の仕事は多分、結構きついはず(笑)
頑張るぞ!!
チェッカーズの歌にあったんですよね。
当時私は高校生でしたが、それなりに頑張って調べたところ、「四つの季節」という意味だそうでした。
まぁつまり「四季」ですね。
あと、
Jai guru deva
ビートルズの歌ですね。
タイトルは、across the universe。
guruはグル。
つまり尊師ですよ、尊師。
日本人にとってグルOR尊師って言うたら、あのひげもじゃを一番に連想する現実が悲しい(^^ゞ
直訳すると、「尊師、神に勝利あれ」ぐらいの意味だそうで。
この二つの曲に共通点はあるのかって?
いや、ぜ~んぜん(笑)
ただ、私にとっては、あります。
「意味不明の異国語が謳われてる」
ってこともあるんですけどね。
それだけじゃありません。
両方とも、よく聴いたのは、高校生のときです。
私が一番「あ~しんど」と感じたのは中学時代だったと思うんですよ。
なんせ、エホバの証人の王国会館に通うぐらいでしたから(^^ゞ
「人生ってなんだろう?」
って考えてました。
宗教に入れば、答えが出ると思って通ってました。
で、
「あ、宗教に答えはないみたい」
って気づいたのが中三の終わりごろ。
「な~んだ、誰にもこたえなんか見えてないんだ」
と少しだけ開き直りました。
私の高校時代は、「開き直りの時代」だった気がします(^^ゞ
だからしんどいはずがないんですよね~……。
なのに、なぜか、「明るい曲」を探して聞いてた気がします。
across the universeは、歌詞のNothing's gonna change my world を聞いてました。
繰り返し、何回も。
何物も、私の世界を変えることはできない。
何物も……って。
呪文のように(^^ゞ
チェッカーズに関しては、「能天気」という印象があったんだと思います(^^ゞ
今思えば、ごっつい失礼ですが(笑)
高校時代の私には、「深く考えたくない」というときに聞く歌手でした。
でも、なぜか、Quatre Saisonは、「万物は流転する」の意味で私の心に届き、それが心の支えになったんですよ。
「無常」は「無情」ではないってことでしょうか。
……うまい(笑)?
大人になった私は、そんなに不安定でもなきゃ、しんどくもないんですが。
Nothing's gonna change my world
という言葉はいまだに、自分を鼓舞する呪文なのであります。
今日は畑仕事です。
そのお弁当を朝からしゃかりきで作ってたんですが……。
「思いつき」
でやったらあきまへんな(T_T)
無残なものができあがってしまいました。
うゎあああああああ。
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
ふぅ(笑)
今日の仕事は多分、結構きついはず(笑)
頑張るぞ!!