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キンパプとのりまき

私が初めてキンパプを食べたのは、韓国旅行をしたときでした。
15年前ですね。

親しい後輩に韓国籍の子がいて、彼女の恋人がちょうど兵役で(?)韓国に帰ってたんで、
「案内させます!!!」
と言うてくれたんですが、本当にまる一日私たちのガイドをしてくれました。

彼は、
「お邪魔じゃないですか?せっかく二人で楽しんでるのに」
と何度も言うてましたが、
「夫婦はいつも一緒だから、案内してくれるのはとてもうれしい」
と答えると、
「なるほど!結婚するといつも一緒にいられるんですね」
と目をキラキラさせてました。

私たち夫婦は、結構「案内好き」なので、
「大阪が好き」「奈良が好き」
などと言われると、ついつい喜んで一日べったり案内の計画をたてたりしますが、そうすると、
「ここまでしてもらっていいんですか?」
などという反応をされたりします。

多分、そこまで案内するような文化は、日本にはあんまりないのかなとも思ったり。

……そうでもないか(笑)

よくわかりませんが、とにかく韓国を案内してくれたのは、あくまでも後輩の彼氏であり、私とも旦那とも初対面でした。
なのに、
「とにかく楽しんでほしい。そのためならなんでもしたい」
という雰囲気がありました。
もちろん、たまたま彼が「すっごいいい人」だったのかもしれませんが(笑)

なんていうか、「親切さが熱い」っていう感じがしたんですね。

会社のそばに韓国料理のお店があり、私は定期的にランチに通ってたんですが、たまたま忙しくて会社で弁当を喰らう日々が続いたら、会社にお店の人から電話がかかってきました。
「病気してるの?!」
って。

会社の電話番号などは知らせておらず、
「あのビルにある特許事務所」
としか教えてなかったですから、電話帳で調べたんでしょうね。

前述の韓国人の後輩曰く、
「韓国人は熱い人が多いんですよ」
とのことでした。

……ってことで、文化的違いは間違いなくあると思うんですよね。
でもそれは、決して、相容れないものじゃない。
むしろ、その違いは、お互いにとって好刺激になりえるものじゃないのかなと感じました。

ましてや、「違い」は「優劣」では決してありません。

ただ、仕事で歌手のKさんにインタビューしたとき、
「大阪の人は韓国人に似てて、熱い人が多いですね!!」
って言ってたから、大阪人は韓国人に対してなじみやすいのかもしれないですけどね。
でも、「優劣ではない」というのは、どこの文化に対しても同じだと思う。

科学の発達と文化はなんの関係もありません。

正直なところ、李明博大統領の発言と行動に端を発した一連の騒動は、「政治家の身勝手」としか考えられません。

今までも、韓国大統領は、支持率が下がると、反日的な発言をする傾向がありました。
そういうのを見れば、はっきりきっぱり
「恥ずかしい政治家だ」
って思ってました。

だってさ。共通の敵を作り上げて、「いっしょに怒ろう」と民意をまとめあげるなんて。
ちょっとあんまりにも安易すぎやしませんか?

ポピュリズムそのものは、悪いものではないでしょう。
っていうか、国民の声を一切聞かない支配者では、独裁者になってしまいます。

ただ、その「国民の声」さえも、支配者が作り上げたものだとしたら、それは、ポピュリズムとさえ呼べません。

「ラポール」って言葉があります。
心理学の場面で、相談者との間に一度良い関係を築き上げることに成功したら、その時の「符号」をすくいだすんですね。

たとえば、野球の話題で盛り上がったのなら、その符号は「野球」です。

一度この符号を見つければ、便利なんですって。
関係がギクシャクしたときに野球の話題を出すといいそうな。

韓国の場合、政治家と国民の間の「ラポール」が、「反日」だったらやだなぁとか思ってました。

日本で活躍した韓流スターが祖国に帰ってから大変だという話は、パク・ヨンハさんの自殺のとき、ニュースで読みました。
「裏切り者」という目で見られることもあるとかないとか。

だから、日本に進出した韓流スターは、却って反日をきっぱり表明しなくては、自国での活躍が難しいとも、最近のニュースで読みました。
韓流スターの「KARA」が、竹島問題で質問され、その質問を司会者が遮っただけで、「裏切り者!」という非難が出てるというニュースも今朝読みました。
でも、これって、KARAにとっては不可抗力ちゃうん(^^ゞ?
いや、私はKARAってどんな人たちだか知らないので、どういうシチュエーションだったのか見当もつきませんけどさ。

これってすごくしんどいことだろうなと思います。
反日を表明してしまったら、今度は日本でも活動しにくいでしょう?
大変だなと思う。

「反日」というラポールを政治家たちが作ることによって、こういうところで犠牲が出てるんじゃないのかな。
だとしたら、ひどい話だなと思う。
そんなセコいことで支持率あげるんじゃなく、堂々と政治手腕で勝負すりゃいいのにね。
もし本当に、彼らが指示を得るための「ラポール」として反日感情を煽り、そのせいで犠牲になる文化人たちがいるのなら、「許せん!」とも思います。

実際のところ、どうなんでしょうね?

正直なところ、他の国のことはわかりません。

ただ、自分の国が同じようになるのは、絶対いやです。

日本の首相が、支持率アップのためだけに、韓国や中国、ロシアなど、領土問題で敵対する国に対し、強い口調で攻撃するまねをするのは、絶対にやめてほしい。
ラポールを作るのは、政治的手法として「アリ」かもしれませんが、「共通の敵を作る」という形でそれを実現するなら、あんまりにも幼稚です。

人気とりをするのではなく、将来の日本のことを考えて、断固とした行動をしてほしいものだと思います。

とにかく、野田首相には、
「No performance. Action!」
と言いたい。

支持率のことなんか考えず、将来の日本のことを考えて行動していただきたいものです。

なんで英語なのかというと、ブルース・リーの、
Don't think. Feel!
が頭に浮かんだからで、特に意味はありません(笑)

ブルース・リーは、日本が大嫌いだったそうですけどね(^^ゞ

どちらにしても、韓国の政治家が「日本」というとき、それはあまりにも記号化された「日本」であるように思います。
そして日本人や日本の政治家が「韓国」を、大衆を煽るための記号にしないことを祈ります。

クールにいきたいじゃないですか、だって。

さて、今日は打ち合わせです。
そろそろでかけま~す。

苦行

あほ犬のえさ、固いうちに粉々にする案、実行しました。
ビニール袋に入れて、上からすりこぎで叩いたんですが……。
あきまへんわ(T_T)
袋が破れる(>_<)

でも、そこでまたふっと思いつきましたよ。

「ビニール袋に入れるまではよかったんちゃうん?」
って。

餌をビニール袋に入れてから水も入れ、手でもんでぐちゃぐちゃにすれば早いんちゃうん?
ねぇ。
これ、ほとんど正解ちゃいます?

ってことで、今朝はこの手法を実験。
お~楽だ!!

これで朝の支度、大幅時間短縮できるかもよ??

さて。
昨日は午後からずっと、「インド神話」を読んでました。

うちにはヴェーダ神話やらウパニシャッドなどもありますが、これらは詩ですからねぇ。
雰囲気はわかるし、何が崇拝対象かまではわかりますが、全体的な流れはイマイチ理解できませんでした。

そこで購入したのが、ちくま文庫の「インド神話」。
マハーバーラタや、ラーマヤナ、あとはジャータカなどからインド神話を引っ張ってきて、比較&紹介された本です。

すごくわかりやすく作られてるんだと思いますが、なんせインド人の名前って覚えづらいんすよ(>_<)
ヴァイシュラヴァナ、ヴァイシュラヴァス、ヴィシュヴァーミトラ。

三柱とも、別神格です。
ひ~ん、こんなん覚えられるわけないやろ~~~~~~!!!!!!

……ってことで、何度も読み返さなくてはならず、たった300ページほどの本にてこずっております(^^ゞ

ちなみに、ヴァイシュラヴァナの別名は、クベーラ。
毘沙門天の別名とも書かれています。

ここもややこしいんですよね。
ヒンズーの神々は、日本にやってきて、仏教神となってたりしますが、もともとの性格と変わってるんですよ。

毘沙門天と言えばどんな神様だと思います?
武神じゃありません?
黄金の鎧を身にまとい、虎に乗り、大きな槍を持つ、力強いお姿を連想します。

が。

クベーラの別名は「財主」なんですよね(^^ゞ
なんか違うでしょ?

ここでまた、頭がぐっちゃぐちゃになる(笑)

でもいちばんの問題は、そこじゃありません。
私をもっとも悩ませているのは、道徳観の違いです。

日本の場合、神は正義であり、至高の存在です。
だからこそ、乱暴者のスサノオが、神々の悪を一身に背負わねばなりませんでした。

でもインド神話はそうではない。

神は罪のないものを殺すし、無責任なことを言う。
でも一番の相違は、神よりバラモンの方が力を持っているということでしょう。

バラモンが苦行をすると、その身に威光を身に付け、神の力を凌駕してしまう。
だから神は苦行の邪魔をしに来るわけですね。

その根底には、厳然たるカーストがあります。
社会科が大の苦手だった私でさえ、カーストのことはよく覚えていますから、ほとんどの方がカーストとはいかなるものかご存知じゃないかとも思うのですが、蛇足ながら説明しておくと、カーストには二つの種類があります。

一つはジャーティと呼ばれる区分。
これは「職業」とほぼ同じ意味みたいですね。
たとえば、「靴職人のジャーティ」みたいに。

もう一つは、ヴァルナと呼ばれる分け方。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4種類からなります。
バラモンは僧侶、クシャトリアは武士や王族、ヴァイシャは平民、シュードラは奴隷ですね。
でも実は、ヴァルナを持たない人も相当数存在し、彼らは、アチュート、不可触民と呼ばれますね。
ダリットという呼び名の方が知られているんでしょうか?

インドでは、建前上、「カーストはなくなった」とされています。
が、それは嘘らしいですね。
まだまだカーストの感覚は残っており、ダリットたちは、とんでもない境遇で暮らしているようです。

つまり、何をされても文句が言えない。
もちろん警察も動かない。

よく一緒に仕事をするカメラマンが、
「ネパールの人々を撮影に行ったんですが、カーストだけはどうしてもなれませんでした。上位カーストが下位カーストを殺すなんてことが日常茶飯事なんですよ」
と眉をしかめながら教えてくれました。

差別はくっきり残っているのですね。

現代でさえ、です。
その昔はもっとひどかったと想像しても、あながち間違ってないんじゃないでしょうか。

バラモンは、何をやっても許されるようです。

たとえば、バラモン教最高の神であるところのインドラは、クシャトリアの階級にあたるそうなんですが、神々をおびやかすバラモンを殺すと、インドラは力を失ってしまいました。

インドラは最高神ですよ?
それでも、クシャトリアである限り、バラモンより力がないのですね。

う~ん……。

また、苦行さえすれば、どんな人間でも、ブラフマン(宇宙原理)の恵みを受けることができるという思想もなじめない(^^ゞ

ある人食い鬼は、10の頭を持っていて、その一つ一つを切り離し、火に投入するという苦行を行いました。
すると、ブラフマンは彼に、不死身の肉体という恩寵を与えたのでした。

……ね?
日本神話だったら、人(それは同時に神をも意味すると思います)喰い鬼がどんなに苦行をしたって、不死身の体を与えるなんてことはあり得ないと思うんだな。

しかしまぁ、それが「宇宙原理」なのだという発想なのかなぁ???

もういろいろつっこみどころが多すぎて(笑)

ただ、こういう土壌があったからこそ、お釈迦様は「解脱したい」と考えたのだなとも納得できます。
「解脱」ってわかります?

カーストでは、現世では決して位を変わることができません。
ただ、現世で苦行を積めば、生まれ変わったとき、上位カーストに生まれ変われるのだと考えます。

つまり、バラモンたちが大手を振って悪行を行うのは、
「過去に苦行をしたんだから、これぐらいの悪行は当然だ」
という発想があるんですね。

ムカつく~~~~~~!!!!!!

で、「解脱」ってのは、「もう生まれ変わらない」ってことなのだそうです。
……と、橋本治は「宗教なんて怖くない」で書いてはりましたし、インド神話を読めば、「そうなんだろうな」と思います。

なんにせよ、バラモンたちは、「自分たちは神より偉い」って思ってるわけですよね。

なんだかなぁ。

宗教にはいろいろな面があり、それぞれ一長一短あると思います。

が、「自分より偉いもん」(BY某知人)のない宗教って、害悪しかない気がする。

せめて、「一番偉い人たち」は、他の人たちの手本となるよう、自覚をもってふるまってもらいたいものだと、読みながらつくづく思ったのでありました。

今週からちょっと忙しくなるので、今日の午後には読み終える予定です。
……読めるかなぁ(^^ゞ

Quatre Saison

スペルが違ってたらすんません(^^ゞ

チェッカーズの歌にあったんですよね。

当時私は高校生でしたが、それなりに頑張って調べたところ、「四つの季節」という意味だそうでした。
まぁつまり「四季」ですね。

あと、
Jai guru deva
ビートルズの歌ですね。

タイトルは、across the universe。

guruはグル。
つまり尊師ですよ、尊師。

日本人にとってグルOR尊師って言うたら、あのひげもじゃを一番に連想する現実が悲しい(^^ゞ

直訳すると、「尊師、神に勝利あれ」ぐらいの意味だそうで。

この二つの曲に共通点はあるのかって?
いや、ぜ~んぜん(笑)

ただ、私にとっては、あります。

「意味不明の異国語が謳われてる」
ってこともあるんですけどね。

それだけじゃありません。

両方とも、よく聴いたのは、高校生のときです。

私が一番「あ~しんど」と感じたのは中学時代だったと思うんですよ。

なんせ、エホバの証人の王国会館に通うぐらいでしたから(^^ゞ
「人生ってなんだろう?」
って考えてました。

宗教に入れば、答えが出ると思って通ってました。

で、
「あ、宗教に答えはないみたい」
って気づいたのが中三の終わりごろ。

「な~んだ、誰にもこたえなんか見えてないんだ」
と少しだけ開き直りました。

私の高校時代は、「開き直りの時代」だった気がします(^^ゞ
だからしんどいはずがないんですよね~……。
なのに、なぜか、「明るい曲」を探して聞いてた気がします。

across the universeは、歌詞のNothing's gonna change my world を聞いてました。
繰り返し、何回も。

何物も、私の世界を変えることはできない。
何物も……って。

呪文のように(^^ゞ

チェッカーズに関しては、「能天気」という印象があったんだと思います(^^ゞ
今思えば、ごっつい失礼ですが(笑)
高校時代の私には、「深く考えたくない」というときに聞く歌手でした。

でも、なぜか、Quatre Saisonは、「万物は流転する」の意味で私の心に届き、それが心の支えになったんですよ。
「無常」は「無情」ではないってことでしょうか。

……うまい(笑)?


大人になった私は、そんなに不安定でもなきゃ、しんどくもないんですが。
Nothing's gonna change my world
という言葉はいまだに、自分を鼓舞する呪文なのであります。

今日は畑仕事です。
そのお弁当を朝からしゃかりきで作ってたんですが……。

「思いつき」
でやったらあきまへんな(T_T)
無残なものができあがってしまいました。

うゎあああああああ。
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world
Nothing's gonna change my world




ふぅ(笑)

今日の仕事は多分、結構きついはず(笑)

頑張るぞ!!

ピカピカ

ひ~ん……(T_T)
泣くかと思うほどの雷でした。

畑主さんが、
「最近の雷は地響きするから怖い」
とおっしゃってました。

雷の質が変わったってわけじゃないでしょうが、それだけ激しい雷が鳴ることが増えたってことかもしれませんね。

さて、私が子供のころ、
「雷が鳴ったらすべての家電からコンセントを抜きましょう」
って言われました。

でもさ。
無理と思いません???

私は思いっきり無理があると思います。

すべてのコンセントって……狭い我が家でも、どんだけあんのか数えられません(^^ゞ

ただ、電線に雷が落ちた場合、高電圧がコンセントを介して侵入し、家電を壊すことは事実です。

ですから、「いかにも繊細そうな機械」のコンセントを選んで抜くのが一番正解に近いのかもしれません。

でも、繊細な機械って何よ(>_<)

まずはパソコンでしょ?
テレビでしょ?
エアコンもそれっぽいし……。

うわああああああああん。
わからんわぁああああ!!!!!!!!



雷にしても台風にしても、地震にしても、人間はただ、危険からなるべく遠ざかる努力をするしかないんですよね。

使い古された言い回しではありますが、大自然の前に、人間は無力ですよ。ほんま。

そういう意味では、昔の人と現代人は、なんら変わりがありません。

神話中では、雷はまさに「神の鳴り物」ですよね。
ギリシャ神話のゼウスは稲妻の形をした槍を持ってます。
北欧神話では、トールの槌が雷なんですよね。
そういや、雷を「いかづち」って言うのは、日本でも「槌」だと思ってたんだろうか?
(後記:Susanooさんからコメントをいただきました。「いかづち」は「厳つ霊」であり、「槌」とは関係なかったです。すいません(^^ゞ)

聖書の中でも、エホバが雷を落とす場面があったような記憶があったんですが、調べてみてもよくわかりません。
ロトがソドムから脱出するシーンに雷が光っていたように思うんですが……。
今読み返すと、全然ちゃいました(>_<)

ひ~ん。

……ハルマゲドンで、夥しい雷が落ちるそうですから、まぁ、エホバの怒りの表出として雷があると考えても、あながち間違いではないか、と。

で、インド神話では、インドラが雷を操る神とされます。

いわゆるインド神話ってなんだと思います?
インドの神々と言えば、ヒンズー教の神々でしょ?
でもね、そんな単純な話でもないんですよ。

インドでは、バラモン教、仏教など、いろいろな宗教が生まれましたよね。
それがいろいろ混ざってできたのが、インド神話。

ヒンズー教は、狭義には、バラモン教の発展形みたいですが……。
もちろんそんな単純なもんではございませんわ。

ただ私たち日本人は、古代インド人と同じくアニミズムの感性を有していますから、理解するに有利かもしれませんけどね……。
でももちろん、気候やら地形やらにより、アニミズムのあり方はまったく変わりますから、そんな単純なものではありません。

インドラは、時代によりその凋落が激しい神の一柱だと言われています。

古いバラモン教では最高神であったのに、時代が下るにつれ、
「あ、そんな神様もいたっけ。覚えてるおぼえてる。忘れてないって!!」
な存在になってしまった、と。

ヒンズー教では、ブラフマン・シヴァ・ヴィシュヌが主要な神だとされますよね。
つまり、知恵と、創造&破壊、そして勇気の神様だと要約してしまったらあんまりにも乱暴(^^ゞ?
でもなんにせよ、人間の社会生活、文化生活にかかわりの深い神々です。

ただ、なんてんだろ。
ちょっと考え込んでしまうんです。

雷という大自然の神様が、知恵や創造、破壊、勇気などという人間的な神様にとってかわられてしまうということに。

なんてんでしょ(^^ゞ
文化ってそういうものなのかな~って……。
直感的な物言いですいません。

でも、そう思いません???

複合要素

私が漫画というメディアが苦手なのは、変に賢こぶってるわけでは決してなく、単純に苦手だと感じる漫画が相当数あるからなのでございます。

とすれば、好きな漫画家さんの漫画は当然好きなわけで、漫画が嫌いってわけじゃないんですよ。

ただ、
「面白いから!」
と強く勧められて読んで、最後まで読み通すのが苦痛だという場合があるので、人から勧められた漫画はなるべく読まないようにしております(^^ゞ

でも、なんででしょうね?
今まであんまり深く考えてなかったんですが、最近、ちょっとしたきっかけで「ベルサイユのばら」を読み直してわかりました。

漫画って、大きな二つの要素で成り立ってるでしょう?
絵の美しさ(見易さ)と、ストーリーテリングのうまさ。

いや、違うな。
最低でも三つの要素が必要ですね。
絵の美しさ、ストーリー、ストーリーテリングのうまさ。

でも、「良い漫画」と呼ばれてるものの中には、絵が美しいけれど、ストーリーはどこかで見たようなものだったり。
ストーリーは面白くてもストーリーテリングが下手すぎる(失礼)ものが結構多いんじゃないか……と。


諸星大二郎という漫画家さんをご存知でしょうか?
私はひそかに、
「ビッグマイナーとは、吾妻ひでおより、諸星大二郎にふさわしいコピーだよな」
と思ってます。

つまり、知ってる人は「あの人はすごい!!」と絶賛するけど、知らない人はさっぱり知らないという(^^ゞ

しかも、知らない人は、その絵をみても、ストーリーを聞いても、
「見たことも聞いたこともない」
と答えるでしょう(笑)

テーマがマニアックすぎるってのもあるけど、なにより絵が………………………下手…………………………
いや、下手っていうと語弊がありますね。
ただ、一般受けする絵柄じゃあない。

ってかねぇ、ときどきむちゃくちゃ雑いと感じることがあります(^^ゞ
「魔障ケ岳」なんかでは、「これ、下書きでしょ?下書きのまま印刷したの?」っていう回もあった。

噂ではありますが、彼が集英社の新人漫画賞で、毎回、「アイデア」「ストーリー」は最高評価され、「絵」は最低評価されている人がいて、それがのちの諸星大二郎となったという話を聞いたことがあります。

さもありなんと思う(^^ゞ

漫画の場合「ネーム」と呼ばれるものがあって、この段階では、絵のうまい下手はあまり関係ないはずだと思うんですが、なぜか「絵だけで乗り切ってるなぁ」と感じてしまうものが結構あるのはなんでなんでしょうか。

それで私は「漫画」と聞くと、思わず身構えてしまうのでございます。


さて。
漫画の場合は、「ストーリー」「ストーリー運び」「絵」という少なくとも三つの要素が必要だと思うのですが、それはどんなメディアでも同じだと思うんですよ。

たとえばライターの場合は、「読みやすい文章」「知識(好奇心)」かと思います。
たとえば、取材の際、取材対照の話にどれだけ興味を持てるか、そしてそれを補てんする下知識があるか、で、読者へのアピールはかなり違ってくると思うんですよ。
普段から、いろいろなものに好奇心をもって調べておくという作業は、結構大事か、と。

小説家さんの場合は、「読みやすい文章」「ストーリー創出力」「ストーリーテリングのうまさ」なんでしょうか?

……ね?
気づきません?

どれかが非常に優れてても、どれかが欠落している「プロ」も結構いてはりませんか?

小説家の場合、ストーリーには好き嫌いがありますよね。
私がすごく印象に残ってる言葉に、「額縁だけあって、絵が入っていないような小説」という小説評があります。
サマセット・モームの「人間的要素」という小説の中にあるセリフです。

短大時代、英文で読まされたので、正しく理解しているかどうか自信がありません(^^ゞ
ただこの言葉は、サマセット・モーム自身の思いが表れているんでしょうね。

「雰囲気だけはある。でも中身がない小説が多すぎる!」
って。

この言葉を聞いたとき、真っ先に浮かんだのが、キャサリン・マンスフィールドだったんですが……(^^ゞ
彼女の作品は、好きだという人はものすっごく好きだと思う。
そして私はそうでもありません(笑)
わかりやすいものの方が好き。

ただ、彼女の小説を「中身がない」と言うのは間違いだろうと今は思います。
彼女には伝えたいメッセージがあり、それをするために絶妙な場面を切り取り、表現しておられるのでしょうから。

要は好き嫌いなんですよね。

でも、ストーリー云々以前に、文章下手すぎなんじゃ!!(←ほんと失礼なこと言ってすいません)
……と言いたくなる作家さんも……いてはると思うんすわ(>_<)

漫画の場合は、ストーリーとストーリーテリングさえよければ、絵が下手でも全然平気なんですけど、小説の場合、文章下手だと読めません(^^ゞ
これも好みの問題っすね。

なんかこう、そういうことを考えると、世の中っていろんな要素でできあがってるんだと思いますね(笑)

昨日、「帝都妖怪新聞」なる本を読みました。
つまり、主に明治時代、新聞に掲載された妖怪話を集めたものです。

たとえば、「○○村の△△の内儀が、狐に憑かれた」なんて話が載ってるんですけど、面白いのは、
「でもたぶん、これは神経症のなせるものだろう。この科学の世に、ばかばかしい」
と結論づけられているものがほとんどだということです。

文明開化の世に妖怪だとかお化けなんてことを信じてたら恥ずかしいという、記者の思いがひしひしと伝わってくるんですよ(笑)

でも、この時代よりさらに科学が発達した現代の人間なら、「科学は万能じゃない」という意識も強く持っていることでしょう。

以前も書きましたが、動物科学の分野では、まだ、「人間以外の動物には感情なんかない」という意見が主流のようです。
悲しいとかうれしいという感情はなく、生き延びるために本能的に行動しているだけだ、と。
でも、エラそうな学者さんがなんと言おうが、動物を飼ってる人間なら、「感情ないわけないやろ」と思うでしょ?

私もそう思います。

でもそれを証明しろと言われたら、
「直感的かつ本能的にわかるだけだ」
としか説明しようがない(^^ゞ

ただ、この「直感的かつ本能的」が科学を凌駕することだって、往々にしてあると思うんだな。

とまぁ、ここまでダラダラ書いてきて、
「だから、すべての要素を無視することなく大事に扱うべし」
なんて凡庸な結論に達する私って、文章下手(^^ゞ?

……どうしましょ(笑)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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