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夏風邪ひきました~(T_T)

明日から旦那がお盆休みなのに(>_<)

異変は昨日から起きてたんですよね。
朝起きたら咽喉が痛い。

すぐうがいして、風邪薬飲んで、昨日は午後からずっと寝てたのに!

今朝起きたら、咽喉の痛み悪化(-"-)
もっかいうがいして、のどにスカーフ巻いてますけども。

多分アレが悪かったんだよなということはわかってます。

今、「空海の風景」を読んでるもんで、なんか興が乗っちゃって(^^ゞ






織田無道の真似をやり続けてたもんで……。


「キェエエエエエエエイッ!!」
の部分でかなり咽喉に負担がかかったものかと。
クーラーかけてる中でのことでしたしね。
多分、あれでしょう、きっと。





早く大人になりたいなぁ。


なにはともあれ、空海の風景は佳境を迎えております。
なかなかスイスイとは読めないんですよ。
なんせ知らない用語がぎょうさん出てくるんで、1時間に50ページほどしか進みません。

司馬遼太郎さんなんかはすっごく速読の人だったらしいですね。
文庫本一冊をあっという間に読んだとか。

速読の方法論にはいろいろなものがあるようですが、私個人で言わせてもらえば、面白い本はスイスイ読めるし、面白くない本は全然進まない、もしくは必要以上にサッサと読み終わります(笑)

この空海の風景に限って言えば、最初のころ、司馬さんの文法になかなかなじまず、あまり進みませんでした。

この小説が発表された1965年当時、空海の一生を追うなんて大変なことをやってのけるなんてこと、誰も考えなかったようで、それに挑むため、司馬遼太郎さんは多分、膨大な資料を読まれたと思います。
でもなんせ、平安時代初期の話しですからね。
資料が少ない。
書かれた資料も残ってない……というわけで、空海の生涯の中で、1年乃至数年、「空白の時間」があります。
また、資料に残ってるとしても、それは空海が書いた書物や、空海の弟子が彼の死後に書いた書物がほとんど。
つまり、「空海側の見解」なわけで、いきおい「~であろう」「~に違いない」「~だと思いたい」などの文末が増えるんですね。

文章のうまい方なんで、それが気になるというほどじゃないんだけど、読んでて不安になるんですよね(^^ゞ

でも、折り返し地点を過ぎたころから、司馬さんの頭の中の空海像がクッキリしてきたんでしょう。
だから、彼がイメージし、伝えたい空海像が、読み手にも明快になり、スラスラ進むようになりました。



面白いのよ~。
すっごく。


空海という人は、いわばスーパースターですから。
言ってみれば、アクション映画で、主人公が次々難なく敵を倒していくような感覚。

短い準備期間で遣唐使船に乗り込むことに成功し、予定された20年のたった10分の1の期間で(唐では既に古い仏教とされてはいたけれど)日本においては最新流行であるところの両部密教の後継者としてすべてを授かり、皇帝からも愛されて、なおかつ阿倍仲麻呂のようにそれがために帰してもらえないというヘマもせず、唐においても人気を得て日本に帰って来、日本では最澄が一足先に密教の一片を持ち帰っていたにも関わらず、いやつまらぬ一片を持ち帰っていたからこそ、すべてを持ち帰った空海には「早く京に上れ」のお達しがある。

今ここまで読んだとこなんですけどね。
再読なので、この後、空海の最澄イビリが始まるのを知ってるんで、楽しみに置いておきました(笑)


私が中学生のころ、社会科が大の苦手だった私に、クラスの歴史好き女子が、ゴロ合わせをいろいろ教えてくれました。
その代わり私が数学と理科を教えたんで、ギブ&テイクってやつですね。

その中でハッキリ覚えているのが、「天才・(頭の中が)真空」ってやつ。

この流れなんで、ほとんどの方がなんのことかご理解くださると思いますが、つまり、
「天台宗=最澄」で「天才(最)」
「真言宗=空海」で「真空」
のごろ合わせです。

ことさらにこの二人について覚えなくちゃいけなかったってことは、空海と最澄がもたらしたこの二つの仏教は、その後の日本にとって、とても重要な役割を果たしたってことなんでしょうね。

司馬遼太郎さんは、空海を野心家で外連味が強く、自画自賛の多い天才というように描いておられます。
確かに、空海の弟子たちが書いたとされる「御遺言」から引用されている内容は、
「これ、空海自身が弟子に語ったんだよなぁ?えらい謙遜がないなぁ……」
と思わせるものが多い。

例えば、唐において、両部密教を修めたただ一人の僧とされる恵果が、空海と初対面で、
「大好、大好」
と感激したと言う話しがあります。

「大好」は「大好き」という意味ではなく、「大いに好し」でしょう。

……普通、そんなこと言う?

「ダライ・ラマ14世は、俺の顔を見るなり『あなたに会えて本当にうれしい』って大感激したんだぜ」
と言うようなもんですよね?

ダライ・ラマじゃなくてヴェネディクト16世でもいいけどさ。

とにかくそれぐらいすごい人が、自分に会って感激した……と空海は弟子に語ったわけです。

……こいつ、普通の日本人じゃねぇな……って感じでしょ(^^ゞ?

確かにそれぐらいすごかったんだと思うけど。
でも自分からは言わず、
「多分、空海のことだから、恵果和尚も大変愛されたのだろうな」
と想像してもらう方が日本人らしい。
だいたい、結果として、空海一人が恵果和尚の両部密教をすべて授かり、後継者としての徴をすべてもらって帰ってきたんだから、それぐらい見込まれたのは、空海が口にせずともわかることですからね。

それを敢えて口にする男。

う~ん、アクが強そう~~~~~~~(^^ゞ

でも、それだからこそ面白い。
司馬遼太郎さんが、自分の頭の中の空海像に合致する資料を選びとっている可能性はありますが、少ない資料の中では限度があるでしょう。

としたら、空海と同じ時代に、最澄のような、真面目で純朴で、かつちょっと鈍感な超秀才がいて、(唐から帰って以降の)空海と並び称されたという、この歴史の面白さは!!!

まさに事実は小説より奇なり、ですよ。

最澄は、桓武天皇に手厚く保護されたため、順風満帆ですが、天皇の寵愛の度が過ぎたため、空海ほか古い仏教の導き手たちからは憎まれたとなっています。

最澄自身はただまじめに自分の信じる仏教を極めただけなのだけれど。
いや、まじめさが、その時代にあった「堕落した(と最澄の感じた)仏教」を否定したのだけれど。

……でも、そんな最澄が興した天台宗の聖地・比叡山の麓に雄琴という超巨大歓楽街ができたという客観的かつ状況的証拠は皮肉だけど……

閑話休題。
ま、とにかく仏教界からは憎まれるわけですね。

それでもまじめな最澄。
空海がもたらした、完全なる両部密教を自分も学ばねばと思うのですね~。
ここからが、いじらしくも面白くて。

今日は多分、そのあたりまで読み進めると思います。

風邪だから、午前中の用事はさっさと済ませて、午後からはゴロゴロ本読みま~す♪
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
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40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

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