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自分の背中

きっかけがあって、安部公房の「カンガルー・ノート」を読み返してました。
朝に某クライアントから「仕事が発生するかもしれないんで、そのときはよろしく」と連絡があったんで待ってなくちゃいけませんでしたしね。
結局連絡はありませんでしたが、まあ、仕事の性質上仕方なし。
おかげで読了しました。

なんかね、「すっごい分厚い本だった」という記憶があったんですが、本棚から出してきてみたら、200頁ほどの薄い本。
前回読んだとき、よっぽど苦労したんすね、きっと(^^ゞ

30歳ぐらいまでは、本に翻弄されてた気がします。
作者の世界に入らなくちゃいけないと思って四苦八苦してた気が。
でも今は、自分は自分のまま、対岸で起こってる風景として楽しめるようになったんで、以前ほど、難解な本がしんどくなくなりました。
でも、現代文学にあんまし興味なくなっちゃったんですよね~、なんだか(^^ゞ

さて。
カンガルー・ノートです。
ネタバレになるかもしれませんから、これから読もうと思ってる人はこの先スルーしてください。

安部公房らしい不条理の連続の中で、絶えずゆらめいているのは、死の暗喩と、垂れ目の少女に対する性的愛着。
物語の最期、男が自殺したともほのめかされています。

これがこの作品のテーマだとしたら、ひっじょ~に、恥ずかしいほど陳腐な言葉に置き換えれば、タナトスとエロスですな(^^ゞ

また、この作品の中で、主人公は「文房具・カンガルー・ノート」について、上司にこんな説明をしています。

「でも有袋類って、観察すればするほどみじめなんです。ご存知とは思いますけど、真獣類も有袋類も、鏡に映したみたいにそれぞれに対応する進化の枝をもっていますね。ネコとフクロネコ、ハイエナとタスマニア・デビル、オオカミとフクロオオカミ、クマとコアラ、(中略)有袋類というのは、結局のところ、真獣類の不器用な模倣じゃないんでしょうか。その不器用さが、一種の愛嬌になって、身につまされるというか……」

物語の終盤、男は旅の終着点に辿りついてしまいます。
そして、地獄の子鬼たちが自分を引きずり込もうとするダンボールを覗きこんでしまいます。

その先にあったのがなんだと思います?


そういやね。
昔、多分、相対性理論を易しく解説した本だったと思いますが、「無限とはどういうものか」という章を読んだんです。
確か、その章だけを読ませてもらったんじゃなかったかな。
なので、本のタイトルは忘れました、すんません。

えぇっとですね。
その本では、「無限」をこんな風に説明してました。

まず、一次元における「無限」を考えます。
一次元とは次元が一つしかない空間のことで、直線や曲線で表現されますよね。
そんな中の無限とは?

そう。
円周なんです。
いつまでたっても終わりのないもの。
曲線でそれを描こうとしたら、円周になりますよね。

同じように、二次元で言う無限とは、球体の表面です。

それでは、われわれの住む(時間という要素を排除すれば)三次元における無限とは?
縦横高さがくるりと一周できるように繋がってるはずだ……。

これが結論。

だからもし、今後ものすご~く高性能な望遠鏡ができたとしたら、自分の背中が見えるはずだ、と。
この「自分の背中が見えるはず」というくだりが妙に印象的でした。


もしくは。
昔、多分何かお菓子のパッケージだったと思います。
可愛らしい動物のキャラクターが、そのお菓子を持っている絵が描かれていて、絵の中のお菓子の箱にもやはりその動物が描かれてました。
そしてその動物もまたお菓子を持っていて、そのパッケージにはその動物の絵が。

かなり細かく掻き込まれていたので、
「なんか怖いなぁ」
と感じたんですよね。

つまり、この絵に描かれているのが自分なら、この自分は本物なのだろうか?というような怖さ。

「無限」は時に、底のない恐怖を呼び起こします。

というわけで、作中の主人公が覗いた先に見えたのは、ダンボール箱の穴を覗いている自分の背中なのでした。
その背中はとてもおびえていて……。

はっきり言いますが、安部公房の作品って、さっぱりわかりませんっ!!!
わからないんだけど、読んでて気持が悪くならないのは、底流に一貫したメッセージがあるからでしょう。

もしも有袋類が、真獣類の不器用な模倣なのだとしたら?
「進化」という、無限の広がりの中で、あくまでも「模倣」としてしか存在しえないものがあるとして、もし、エロスとタナトスという相反する衝動のうち、どちらかがどちらかの、不器用な模倣なのだとしたら……?

そんな風に読んでみました(笑)

それが正解かどうかは知らん。
というか、「こういう読み方でいいのか?」と調べてみましたが、ネット上の書評で、こういう風な説明をしてはる人はおられませんでしたから、多分、こういう感じ方をするのは変な奴なんでしょう(笑)

十人十色の読み方があっていいとは思うんで、間違ってるとも思わないけどね。

しかし、安部公房という人は、人間の想像力を微妙に裏切る表現をしてくれるんですよね~。

「こぼれおちそうな垂れ目の少女」
って、想像できそうで、まったくできません。
しかも「すごく可愛い」んですよ?
どんな顔やねん。

正直言えば、若いころ活字中毒だった反動で、物語を追うような小説は、「もう満腹」って感じなんですが、漂っている世界を味わう小説ってのは、今になってやっと楽しく読めるようになった気もしますね。
安部公房、もちょっと読んでみよかな?

さて。
「自分自身の後ろ姿」についていろいろ考えて寝てしまったら、朝方、昔の体験が夢になって出てきました。

小学校の修学旅行は伊勢へのバス旅行だったんですが、帰りに映画のビデオを流してくれたんですよね。
その映画とは、「トラック野郎」。
毎回主人公の菅原文太がマドンナに一目ぼれして、てんやわんや~~~……ってことで、「男はつらいよ」と同じやんけと思いそうですが、「男はつらいよ」よりはかなり喧嘩のシーンが多かったように思います。

今見ると、かなりきわどいシーンもあったみたいですが、よく小学生に見せたなぁ(^^ゞ

で、私の記憶にあるマドンナは「真行寺君枝」でした。
彼女と文さんの出会いはなんと。
公衆トイレ。

うんこが漏れそうな文さんがですね。
トイレに駆けこむんですよ。
そしたら、先客がいて、文さん大慌て。

「早く出ろ!!漏れる!!」
と大騒ぎしていると、中からキラキラを背負って真行寺さんが登場。

「お待たせしてごめんなさい」

こんな感じだったはずなんですよ。

「いくらなんでも、うんことトイレでマドンナを登場させるたぁ、やるねぇ!!」
と思うんですが、当時の私たちは、別に違和感を感じてませんでした。

つまり、そういう時代だったわけですよね。
常識なんて、10年もたちゃ、ガラリと変るんですよ、怖いことに。

が。

ブログに書くにあたって調べてみたら、真行寺君枝はトラック野郎に出てないんですね。
でもあれは間違いなく真行寺君枝だったと思うし、今残ってる「トラック野郎」のあらすじに、「公衆トイレでマドンナと出会った」というようなのはありません。

とするとあれは、トラック野郎じゃなかったのか?

でも、菅原文太がトラックに乗ってて、愛川欣也も出てたと思う。

あぁ気になる。
ってことで、もしこの映画が何かご存知の方がおられたら、ぜひ教えてくださいませm(__)m
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
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