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こころ

さてさて。

動物たちに「こころ」はあると思いますか?

そう聞かれたら、多くの人が、
「そりゃあるんじゃないの?」
とおっしゃると思います。

私ももちろんそう思います。

でも、「科学」はそれを認めてない。
……という話は以前何度かしたと思います。

セオドア・ゼノフォン・バーバー氏の「もの思う鳥たち」という本では、
「動物たちは反射で生きているだけで、決してものを考えて行動をしているわけではない」
という、一般的な科学の説を、強く否定しておられました。

私の理解不足な点もあると思いますが、これを読んだとき、ほんとにびっくりしましたね(^^ゞ

「え?動物たちに『こころ』はないってのが定説なの?」
って。

でも、動物を飼っている人ならば、
「そんなはずはない」
っておっしゃると思います。

楽しいときの嬉しそうな表情や、落ち込んだときの悲しそうな姿。
あれが「反射」だなんて思えません。

文鳥のチュッチュは、女の子だったので、毎年たまごを生みました。
鳥飼いにとって、「卵を生ませちゃいけない」ってのは常識です。
卵詰まりの可能性もあるし、それよりなにより鳥の体力を甚だしく奪うからです。

でも、チュッチュは、飼育書などに書いてある対策をすべて講じても、やっぱり卵を生みました。

「仕方ない」
って思ったんですよね、その時。

だって、そこまで妨害されても卵を生みたいんだもんね。

でも、やっぱり、獣医師の先生には叱られました。
その獣医師さんは、大阪で鳥治療といえばその方というぐらい、有名な方です。

その病院の指導では、
「放鳥はしなくていい。させてもいいけれど一日20分程度、産卵しない晩春から初秋にかけてだけで充分」
とのことでした。

産卵のシーズンには目も合わせてはいけないとも言われました。

多分、「科学的に良い飼い方」はそうなんでしょうね。
でも、私はやっぱり、鳥にも心があると思う。
ないはずがないと思います。

冬の間、自分のパートナーである飼い主が目も合わせてくれないというのは、鳥たちにとって、とてもとても悲しいことだと思う。
その結果、寿命が延びるならその方がいいという人もおられるとは思うんですが……。

私はどうしてもそうは思えなくて……。

あほのチュリーは雄ですから、産卵の心配はありません。
でも、「放鳥は事故の原因になりますからなるべく控え目に。なんなら放鳥はしなくていい」というのが、その病院の指導でした。

う~~~~~~~~~~ん……。

で、結局、チュリーの健康診断は、別の、鳥が大好きなんだろうと思われる獣医師さんのところに連れていったんですね。
高齢の先生で、病院は、「設備が完璧」とは言えません。

でも、このお医者さんは、私が、
「健康診断を」
とお願いすると、
「健康診断?そんなものより、飼い主が鳥をちゃんと観察する方がずっと大事だよ」
とおっしゃいました。

健康診断で異常がなくても、何があるかわからない。万全ではない。
でも、飼い主がいつも鳥をよく観察し、おかしいと思ったらすぐ獣医師に相談する、もしくは病院に連れていくならば、その方がずっと鳥を長生きさせる。

……そういうことをおっしゃいました。

それで私はその先生を信頼したんです。
その後、チュリーが、そのうに入っていたらしき餌を吐き散らかしたときも、朝イチで電話相談すると、状況をじっくり聞きとった末に、
「う~ん、多分、ビニールか何かを間違って食べちゃったんじゃないかな。一時的なものだと思うから、もう少し観察して、また吐くようならまた電話してください。でももう多分吐かないよ」
と言われ、その通りでした。

この先生のおっしゃるのはいつも、「観察しなさい。そして相談しなさい」です。

そして多分、鳥たちは、
「産卵させないために、目も合わせてくれない飼い主」
よりも、
「自分の体に異常がないか、ジロジロ観察する飼い主」
の方が、安心するんじゃないかと思うのだけれど……。

それは、動物に「こころ」があると仮定すればの話です。
もし「こころ」がないのならば、無視されようが、観察されようが、関係ない。

でもね。
私には彼らに「こころ」がないなんて、絶対信じられません。

もし彼らに「こころ」がないなら、犬を飼うより、アイボを買いますよね(笑)
多分今犬を飼ってるほとんどの人がそうするんじゃないかな。
確かにアイボは高いけど、毎年の予防接種代やらフィラリア予防薬代、ノミの薬代などを考えたら、本物の犬よりずっと安いです。

そして「動物にも『こころ』がある」という思いは、人間に飼いならされたものではない、野性のものにも感じるんですよ、結構頻繁に。

昨日は、河内長野にある滝畑ダムへ行きました。
ダム湖の周囲には遊歩道があって、野鳥が見られるんです。
運が良ければ、ヤマセミも来るそうで……とはいっても、遊歩道から湖まで距離があるんで、撮影しても、粟粒ほどにしか映らないと思いますが(^^ゞ

で、結局この日に会えたのは、この公園に来る前に出会った、キセキレイ。
0514taki_2.jpg

いや~、けっこう遠くからでも見分けられるもんですね(^^ゞ

車の中から、電線に止まった鳥をみて、
「あんまり見掛けない鳥だ!!」
ってわかりました。

フォルムはセキレイそのものなんですけどね。
何かが違う。

んなもんで、
「張ってみるべ」
「そうするべ」
と車を止め、ウロウロしていたところ、目の前に飛んできたんです。

つがいでしたが、一羽はすぐ山の方に行っちゃったので、この一羽だけ、なんとか撮影しました。

で、滝畑ダムで見掛けた鳥はというと、カワウですね。
0514_taki1.jpg

カワウは決して珍しい鳥じゃありません。
でも、飛ぶ姿はほんとにかっこいい。

戦闘機みたいにギュンと飛び、着水の姿勢もキマッテルでしょ?

水鳥のように、羽根に油がついていないので、魚を捕る度、羽根を広げて乾かさなくちゃいけません。
それが間抜けなような、可愛いような(笑)

でも、この日は鳥よりチョウチョが収穫だったかなぁ。
アズキナシの花にとまるベニシジミ。
0514_taki2benishijimiazukinashi.jpg

アズキナシは、梨に良く似た実をつけるそうな。
でも、その名の通り、大きさは小豆ぐらい。
う~ん、味わうには小さすぎ(笑)

でも、よくよく見ると、たいそう可愛らしい花ですよね。

横からも、もう一枚。
0514_taki2benishijimiazukinashi2.jpg

ベニシジミの黒目がちの大きな目は、すごく澄んでますね。

明らかにわたしたちを警戒しているようでもありましたが、
「多分、この人たちは私を捕まえはしないでしょう」
と考えている風情もあります。

それは、
「網を持っていない人間」=セーフ
という、「反射」かもしれませんが、もしかしたら、人間を信頼するこころを持っているのかも。
それは、このチョウチョ本人にしかわかりません。

この日、なつかれちゃったのが、ゴマダラチョウ。
この付近には2~3匹のゴマダラチョウが飛びまわってました。

チョウチョって落ち着かないから、撮影が難しいじゃないですか。
いつもは飛んでるチョウならばそのまま見流します。

でも、この日のゴマダラは翅の模様が太陽に映えて可愛らしかったので、撮影しようとカメラを構えたんですが、そしたら今度は私の足元ばかり飛ぶんですよ(^^ゞ
野鳥撮影用の望遠しか持ってなかったんで、ピントが合いません(^^ゞ

最初は私の靴のつま先あたりをうろうろパタパタしていたんですが、ついに靴に着地。
0514taki_3.jpg

私、彫像のように動けませんでしたです(^^ゞ
そのまま数分、翅を閉じたり開いたりしてくつろいでましたが、何か物音がしたので、驚いて飛び立ちました。

また止まられたら動けなくなるので、慌てて退散した私たち二人(笑)
風雅のココロがない人間かも(^^ゞ

でもなぜこのゴマダラは、私の周囲で安心してたんでしょうね?

普通、チョウチョって、なかなかひとところでジッとなんてしていません。
それは、食物連鎖の下位にいる、弱い存在には仕方のないこと。
そうせねば生きていけないからです。

でもこの子は、私の足の上で、安心したように翅を動かしていました。

それは、
「この大きな動物は、私に害を与えるものではない。そしてこの動物にくっついている限り、鳥に狙われる心配はない」
と知っているようでした。

それは、「反射」かもしれません。
でも、「信頼」かもしれない。

それは、チョウチョにしかわかりません。

わからないから私は、彼らにも「こころ」があると信じるんです。
チョウチョと「こころ」が通うこともあるかも?って。

別にそうしたからってなんの徳もないんですけどね(^^ゞ
でもその方が、人生は楽しいと思うんですよ。
ちょっとだけ……ね(笑)
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No title

おひさしぶりです。キセキレイ、綺麗な鳥ですねー。
写真から初夏の雰囲気が伝わってきました(^^)

よく、魚には神経がないので痛みを感じない”なんてことを聞きますが、そんなふうに考えたくないですよね、、。そもそも痛い”とはどういうことなのか?って、思います。危険を察知したときの条件反射が 言語のある人間にとって痛い”熱い”辛い”等であるなら、他の動物や植物にとっても何らかの表現はあるはずだよなーって、思ってしまうのです。その表現には心が伴っているはず、と。
ひさびさにきてまた書きすぎちゃったかな(^^;)

ほんとですね

魚には痛点がないとは言いますが、自分の死に直面して、何も感じてないとは思わないです。
ただ、「切られても痛くない」のと、「恐怖感がない」のは別ごとだと思います。

でも確かに、どういう風に「殺す」のが一番残酷で、どういう殺し方が残酷でないのかは、本人に聞かないとわかりませんから、
「踊り食いは残酷だ」
などと決めつけるのはどうかと思うんですけどね。

食べるためにどのような殺し方をするにせよ、「命を食べて生きている」ということを心に止めなくてはいけないのだと思います。
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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