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元春日

歴史仲間から、
春日大社の奥の院がもともと、藤原氏が治める以前、付近を治めていた豪族・紀氏(きし)の氏神であった
という情報をもらいました。

ちなみに春日大社の奥の院は、「紀伊神社」とも呼ばれており、イソタケルのミコトなど、確かに紀氏の神様を祀っています。
でも私がひっかかったのは、「藤原氏が治める以前、付近を治めていた豪族・紀氏」という言葉です。

つまり、春日野の主を祀っていたのは、紀氏ってこと???

大興奮!!
これはメモっとかねば!!!!!!


ということで今日のネタは元春日なのでした。

私が春日野の主について知ったのは、JRで配布されている、「奈良を習おう」というフリーペーパーからでした。
それによれば、その昔、春日野の主は、三笠山を含む広い春日野を支配して幸せに暮らしていました。
そこへやってきたのが鹿島のタケミカヅチです。

彼は、春日野の主に、
「この土地の三尺(約1m)までを貸してほしい」
と頼んだんですね。

この言葉、非常にたくらみに満ちています。

この土地三尺……。
非常に曖昧で、誤解させる要素満載。

案の定、耳の遠い春日野の主は、
「三尺四方の狭い土地ぐらいならいいよ」
と答えます。

ところがです。
ずうずうしいことに、タケミカヅチは春日野全体に縄を張り巡らせ、自分の領地と宣言します。

驚いた春日野の主が、
「私が貸すと言ったのは、三尺四方の土地だけだ」
と抗議しても、タケミカヅチは武力の神ですから、
「私はこの土地の地下三尺までを借りたいと言ったのだ」
と言い張り、春日野の主の抗議をまったく聞きません。

お前はジャイアンか。

ということで、春日野はタケミカヅチのものとなりました。
ですから、タケミカヅチや藤原氏の氏神であるアメノコヤネを祀る春日大社は、今現在、あれほど広い社領を所持しているわけですね。

かわいそうな春日野の主は現在、榎明神として境内社に祀られています。
それは春日野の主のご神体が、一本の古く大きな榎であったからだとか。

……まったくもってひどい話です。

でもとにかく、春日大社の創始以前、この地には「春日野の主」・「榎明神」と呼ばれる古い神が鎮座していたことがわかります。

その神はどんな神だったのか?
……それがずっと不思議でした。

というのもです。
河内には「恩智神社」という非常に興味深い神社があるんです。

この神社は「祓いの惣社」とも言われる重要な神社。
秋の例祭に先だって行われる御供所神事は、八尾市の無形文化財にも指定されています。

この御供所神事では、餅を人の形に造られます。
秋祭りの当日、この餅に人の罪やケガレを移し、神前でそれを祓います。

でも不思議でしょ?

普通、罪やケガレを移された人形は、燃やしたり川に流されたりしますよね。
でもここではその罪ケガレを祓った後、餅は、参拝者に配られるんです。

確かに、祓いの神様は罪ケガレを祓ってくださるでしょう。
でもそれならば、何も一旦餅に移す必要はない。

この神社の宮司さんに、
「人身御供の名残とされるお祭りが各地にありますが、形式はそれと似ていますよね」
と言ったら、
「似てますね」
とおっしゃいました。

神社のお祭りは、「人身御供の名残」としてではなく、「清め祓い」を目的として行われるものですから、それを曲解して、
「人身御供の名残に違いない!」
と主張する気はさらさらありませんよ(^^ゞ

ただ、そうであった可能性について言いたかっただけ。
そういう発想もあるなって。

そしてこの神社は、「元春日」と言われています。

とりあえずその辺りの事情をWIKIから引っ張ってくると、
雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる
とあります。

が、これは明らかに不自然でしょう?

雄略天皇の時代……。
藤原氏はまだ誕生していませんから。
もちろん、中臣氏は存在していたかもしれませんが、彼らに遠く香取神宮から、神様を遷座していただくだけの力があったとは思えません。

それよりは、「春日野の元の神」……つまり、春日野の主を祀った神社であったと考える方がしっくりきます。
しっくり。
私的には……ですよ(^^ゞ

そしてその後、奈良市にある倭文神社のお祭りを見学したときのことです。

その昔、このあたりには大蛇が棲んでいて、毎年生贄を要求したと言います。
この大蛇はある高僧(一説には空海とも)に退治されるのですが、その後も生贄のお祭りは形式だけ残りました。

倭文神社の蛇祭りでは、その名も「人身御供」と呼ばれる神饌が神様に捧げられるのです。

この蛇祭りを見学させていただいたときのことです。
ここの氏子さんたちもとても優しい方たちで、部外者の私が、あぁだこうだと質問をしても、いちいちていねいに答えてくださります。

神饌の「人身御供」を間近で見せていただきながら、お話しを窺っていたとき、一人の神職さんが入ってこられました。
当然この神社の神職さんかと思ったのですが、違うんです。

「春日大社の神職さんですよ」
って。

なぜかというと、倭文神社と春日大社には深いかかわりがあるから。

その昔、鹿島・香取の両神宮から、タケミカヅチとフツヌシの両神がこちらへ移っていらっしゃったとき、彼らを祀る神職さんたちの居住地が決まらなかったんだそうです。
そこで、寝食の場を定めるため、榊の葉を投げたところ、その分厚い葉は風にのり、ふわふわと飛んで倭文神社のあたりに落ちた、とか。

でもね……。
これも不思議な話ではありませんか?

春日大社の神職さんなら、春日大社の近所に居住地を定める方が断然便利です。
なのになぜ、同じ奈良市でも、西九条町。
直線距離にしても、5キロ以上あるこの地に神職さんたちは住居を定めたんでしょう?

……想像でしかありませんが(^^ゞ

春日野の主が、タケミカヅチによって追い出されたとき、彼を祀っていた神職さんも行き場を失います。
その人たちが移り住んだのが、ここ、西九条町では……?
と。

ならば倭文神社も、そもそもは、春日野の主を祀る神社だったのではと思えます。

とすればです。
春日野の主は、人身御供・生贄を要求する神様だったのでは……?

ずっとそう考えていました。

そして、もし、その神様を祀っていたのが、紀氏ならば……。

紀氏というと、水軍を持つ軍事に長けた氏族ですね。
遠祖は天道根命。
アメノミチネノミコトは先代旧事本紀で、ニギハヤヒに着き従った神様として登場します。

ニニギじゃありません。
ニギハヤヒです。

天下りに際して、アメノミチネノミコトは、紀伊の国造を命じられます。

つまり、ニニギより古く、この地を治めた神様。

ちょっとWIKIってみましたらば、もっと興味深いことが掲載されてました。
異伝として『紀伊続風土記』所載の「国造家譜」は、日前大神と国懸大神(紀伊国造が奉斎する和歌山県和歌山市秋月鎮座の日前宮の祭神)の降臨に随従して以後両大神に仕え、後に神武天皇の東征に際して両大神の神体である日像鏡と日矛の2種の神宝を奉戴して紀伊国名草郡に到来し、毛見郷(現和歌山市毛見)の琴ノ浦にそれを鎮座させて天皇の東征の成功を祈念したために、即位後の天皇によって論功行賞として紀伊国を授かるとともに国造に任じられ、以来その子孫が国造職を襲うとともに日前宮を奉斎し続けることとなったとの由来を記す[7]。また、同家に伝わる別の『紀伊国造系図』は更に詳しい伝えを載せている

日前大神は、「太陽の前」。
天照大神の前魂(さきたま)だとされています。

つまり、やはり天照大神より古い……とも解されるわけで。

いや~~~~~~~~~……興味深い。

紀氏といえば、大和朝廷より(多分)古い、地方豪族のひとつですし。
紀氏の文化について、詳しく調べてみたいもんです!!!!!!!
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

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