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負の逆襲

昨日は目が覚めたら朝の9時。
むちゃくちゃ体調が悪いことに気づきました(^^ゞ

「これだけはどう~してもやっときたい」ということだけを済ませ、後は寝てました。

なので、特にネタはないのですが、「負」とか「正負の対立」とかいうものについて考えてたんで、ざ~っと書いてみよかな、と。

といってもネタ元は菅原道真とか土師氏についてなので、「負」というとつまり「死」のことなんですけどね。
「死の世界の住人」と考えられていた人たちがいたとしたら、彼らは、他の人びとの目にはどう映っていたのだろうかって。

もっとも古い記録では、黄泉の国の代表として、イザナミが登場します。
イザナミは、生の国の代表であるイザナギと、千引きの石を挟んで対立し、毎日生の世界から千人の人を奪うと宣言するんです。
それに対してイザナギは、「それなら毎日千五百人を生の世界に連れてこよう(つまり生みだそう)」と。

ここには、生と死の対立というより、生と死の循環のようなものがあると思いません?
人が死に、生まれ、また死に、そして生まれる。

生と死はひと続きなんです。

エジプト神話では、太陽神は夜の間死の世界を周り、朝になって復活します。
つまり、毎日死んでは生き返るわけですね。
死は、決して喜ばしいものではないけれど、新しく美しくなって生まれ変わるためには絶対必要な、通過点であるという感覚があるんでしょう。

日本神話には、死の後の再生までははっきり見えませんが、根底にはその感覚があるんじゃないだろうか。

でも、すべての命が、生の世界と死の世界を行き来している中で、生と死はそれぞれに役割分担をし、厳然たる境界を敷いて対立しあっている。

ただ、生と死がまったく別ものであれば、命がそこを行き来するときに迷いかねません。
だからこそ、橋渡し役が必要なんですね。
生の世界にいながらにして、死の世界を覗くことのできる人たちが。

だからこそ、彼らは容易に死と生を行き来できるのだと考えられてたんじゃないだろうか。
それが、古墳造営のエキスパートであり、生贄の屠り人であった、土師氏。
だからこそ土師の血をひく菅原道真公は、死後、生の世界に大いなる恐怖をもたらすことができたんじゃないかな~って。

対立してるから怖いんじゃないんですよ。
むしろ「行き来できるから怖い」んじゃないかな。
自分たちが容易に行けない場所。
それは決して対立している場所ではなく、いつか行く場所ではあるけれど、容易には行けない場所。
その境界を簡単に踏み越えられる存在を、「怖い」と思ったんじゃないかな。

そして、菅原氏……つまり土師氏はどちらかというと「死の世界より」だった。
「死の世界のもの」は、「生の世界」にあっては力が弱くても、「死の世界」へ行けば大いなる力を持つと考えられたんではないかなと。

それは、江戸時代から現代にかけて存在する「ケガレ」に対する忌避感とは違う、もっと素朴で、原始的な畏れじゃなかったろうか。
人びとは土師の人たちを、死に近いと考え、だからこそ「大いなる力を持つ人々」と考えていたんじゃなかろうか。

「負の存在」は、「正の世界」にあっては力弱くても、「負の世界」……つまりテリトリーでは、「正の存在」を凌駕する力を持つ。
現代人と呼ばれる私たちにも、そういう感覚はあるでしょう?

まぁ、ちょっと違うかもしれませんが、「病は気から」って言うでしょ。

「病」という「負の存在」は、自分自身が「負」の気持になったとき、重くのしかかってくるってこと、ありません?
気力が充実してるときって、病気になりづらいじゃないですか。

でも、「しんどいなぁ」と思うと、一気に病気が重くなったりする。


なぁんてことを考えていると、結局、藤原時平があれほど菅原道真を恐れなくてはいけなかったのは、自分自身も「負の存在」だと思っていたからでしょう。
後ろ暗い気持がなければ、道真の怨霊なんて、恐れるに足りなかったはず。

負の世界の住人が、負の世界で負の力を持ったとしても、正の世界の住人が、正の世界で正の力を持っていれば、充分戦えるはずですからね。

正の世界に生きる私たちは、自分が強くなるためは、正の力をつける努力をするのが一番です。
ほんま、そう思う。

風邪をひいて寝込んでたら、とくにそう思う(笑)

さて、で、なんとなくネットを見ていたら、「囚人のジレンマ」という言葉に行き当たりました。
初めて聞く言葉ですが、そんなに難しい話じゃありませんでした。

ちなみに「ジレンマ」とは、ギリシャ語だそうで、「前提が二つ」とでもいう意味だそうな。
でも、前提が二つなだけでは、別に困らない。
その「前提」が二律背反する場合、「ジレンマ」になるんでしょうね。

さて、「囚人のジレンマ」です。
これはもうWIKIを見てもらう方が早いとは思うんですが……。

つまり、二人の囚人がいて、どちらも相手を裏切らなければ、良い結果(「3」としましょう)をもらえる。
でも、片方が裏切った場合、裏切った方がもっともよい結果(「4」)を、裏切らなかった方は最悪の結果(「1」)を受け取ることになる。
しかし、双方が裏切った場合は二人に与えられるのは悪い結果(「2」)。

相手が自分を裏切るかどうかわからない状況で、自分が相手を裏切るかどうかを決めなくてはいけません。

さて、あなたならどちらを選びますか?

もしあなたが囚人で、そしてかつ利己的な人間ならば、必ず裏切ります。

なぜならば、相手が裏切らなかった場合、自分が裏切ったとしたら「4」をもらえますが、裏切らなければもらえるのは「3」。
裏切った方が「1」分お得ですよね。

また、相手が裏切った場合。
自分が裏切ったら、もらえるのは「2」。
裏切らなければ、最悪の「1」しかもらえません。

ならば、裏切る方がお得だ……ということになります。

でも、「二人にとって良いこと」と考えれば話は変わってきます。
二人ともが相手を裏切らなければ、二人がもらえるのは「3+3=6」です。
二人ともが相手を裏切った場合、「2+2=4」
片方が相手を裏切った場合、「1+4=5」

少なくとも、自分一人が裏切らなければ、2人で「5」か「6」がもらえます。
でも、自分が裏切ったなら、もらえるのは、良くても「5」。
相手も裏切っていたら、「4」なわけです。

だから、大きな目で得をしたければ、裏切らない方がいいんです。
それは、ごちゃごちゃ理屈を並べなくても、ほとんどの人が直感的にわかることだと思います。

多くの人がそれを「知って」いれば、この世はさぞかし「正の世界」になるでしょうね(笑)

な~~~んてことでね。
病気と私という、二つの背反するものがあったとしましょう。
私が、「病気」を毛嫌いして排除すれば、多分、あまり良いものはもらえないんじゃないかな。

でも、私が「病気」を彼のあるままにさせたとしたら?

つまり、自分自身も無理をして薬を飲んでもよくないんじゃないかと感じるってこと。
それよりは、「病気」がやりたいことを聞き、素直に休めば、一番いい結果につながるんじゃないかな~なんて。

そんなことを思いながら、昨日は寝てました(笑)

おかげで今日はスッキリ。

朝は旦那の方が症状が軽かったにも関わらず、薬だけ飲んで、ずっとゲームやってた旦那は今朝もしんどいと寝ています。
アホめ。

ってことで今日も養生しながら楽しみます!!
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「行き来するもの」:南里

ステキなお考えだと感激しました
ありがとうございます~

おはようございます

「死」の存在をしっかりと見つめるとき
「生」を大切に想い精一杯になることを私たちは何度も体験し
そして、人の生のみならず
この世が健やかに存続していくことを願い、祈り、時には
自らの「死」をいとわずに、宇宙環境の「生」を守っている

「死」があるから
「生」を生き抜ける
やさしくなれる、心底愛することができる

私たちの心も、行き来しています

ここでごちゃごちゃ考えたくなることは
相反する二つのものの融合についてでして~

相反する二つものの融合には
なんとも言いがたい「和」というものか「無」というものを
存在させるような気がしています

そこで「生死の融合」とは「宇宙の死」なのかな~と思います
何もかもが終わる瞬間
「次の一秒のない時間、外側のない空間」
が存在すると科学が仮定しているんですね
どこか閉鎖的でまた開放的な
相反するものが融合し同時に存在するということは
この世の終わりの存在を認めることになってしまうということなのかな?
有と無が融合し存在するんですからね~
頭がおかしくなりそうです
あ、もとからなんですけど・・・

逆に相反するものの存在があり、それを認め
その中で、もまれて、悩んで、苦しみ、悲しむことそのものが
ご自身とこの世が生きている証であり
その辛さの中だからこそ
親切にされ、励まされ、うれしく、喜ぶということが体験でき、際立ってくる
ということもあると思います

そう、まさに、相反するものの行き来で
私たちは、空間的にそして時間的にも
正負の調和を保って生きていると
ごちゃごちゃ考え
「ヘタの考え休むに似たり」は言えている! と
大型連休中の今日、思うのでした
”若旦那~、なんり、深感恩

行きつ戻りつ

まさに、「行ったり来たり」が面白いんですよね(#^.^#)

正をいきるからといって、負を否定するのではない。
負を見ているときも、正にあこがれる。

清を愛していても、濁を否定はしない。
濁を見つめても、清を手放しはしない。

どちらも併せ持ちながら、どちらも尊重できるのが一番なのかなと思います。

でも、ごちゃごちゃになりますよね~(^^ゞ

私も日々、ごちゃごちゃです(笑)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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