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タブラ・ラーサ

「本能」ってな言葉があります。

「それが男(女もしくは人間)の本能だから、しょうがないじゃん」
と、誰がどうみても「悪いこと」と感じるようなことをした場合に、言い訳するのに使う便利な言葉です。

それで言い訳ができてると思っているのは本人だけですけどね(笑)

が、「本能」っていったいなんなんでしょうね?
手軽にWIKIで調べてみると、
本能とは、動物(人間を含む)が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質のことを指す。

想定されている」とありますよね。

つまり、「本能」というものが存在するかどうかについては、いまだ議論中であるということでしょう。

心理学用語だそうですが、
「生得主義」と「経験主義」
ってのがあるみたいです。

これまた簡単に、WIKIから引っ張ってきますと、生得主義というのは、
特定のスキルや能力、学習や行動の傾向などが脳の中に元から備わっているとする考え方

反対に経験主義は、
人間の全ての知識は我々の経験の結果である、とする哲学上または心理学上の立場である

個人的な見解を述べればですね。
どっちもあると思います。

「狼少女」の例なんかを見ると、「種としてのふるまい」ってのがあるかどうかとも思います。

とはいえ、同じ鳥でも、種によって、まったく違う行動をするでしょう?
留鳥は春になっても海を越えて飛んではいきません。
旅鳥は長い旅に耐える体に生まれてきています。

もちろん、それらの行動が、「他の誰かから教えられた結果である」という可能性は否定しません。

結局、よくわかりません(^^ゞ

ただ、人間に育てられた鳥や犬は、自分を人間だと思っているというでしょう?
そういった場合、彼らはどこまで「人間らしく」なるのだろう?

昨日紹介した、「もの思う鳥たち」を読み終わりました。

この中で、「鳥に考える力がないと思いこまれていた理由の一つ、『擬人化のタブー』である」と書かれてたんですよ。

つまり、鳥を「人間らしい動物」として扱ってはいけないというタブーが、鳥の知性に対する研究のさまたげになってきたと書かれています。

著者は、「多くの鳥類学者たちが、『鳥はロボットと同じである』と考えている」と書いています。

つまり、「鳥の行動すべてが本能によるものである」というところから研究を始めている……と。

ほんまかね(^^ゞ?

「ソロモンの指輪」の、コンラート・ローレンツ博士も、「動物を観察する際に一番してはいけないことは、擬人化である」と書いておられました。

でもそれは、「人間と同じものとして見てはいけない」という意味に私は思えました。

つまり、例えば犬は汗をかきませんよね?人間ほど塩分を排出できない。
だから、人間が食べておいしいと思う、味の濃い食べ物を犬にあげてはいけません。
人間にとっては「体に良い」とされるタマネギは、イヌやネコには毒になります。

人間が喜ぶことを、イヌやネコが喜ぶわけではない。
だから、「これはイヌという動物である」「ネコという動物である」=「人間とは違う動物である」ということを念頭において接しなくてはいけない。

そういう意味だと私は受けとめました。

ローレンツ博士は、決して、「動物たちの行動は本能がすべてで、意思がない」なんて書いてなかったと思うんだけど?????
私の読み違いかしら?

ペットを飼っている人間なら、「動物は何も考えず、何も思わず、本能だけで生きている」なんて、絶対思わないと思うんですが、どうでしょう?

「うちのわんこは、私が帰ってくるとすごく喜びます。これは私のことが好きだからですよね?犬に感情がないなんて嘘です」

例えば、そう言うと思います。

だけど、「本能主義」の人たちは、こう答えるんですね。

「犬は集団生活をする動物ですから、本能的に一人でいることを恐れます。だからあなたが帰ってきたら喜ぶだけです。本能です」

ってね。

確かに「本能」に近い、「種」としての偏りはあるだろうと思うんですけどね。

でもそこに、彼らの「思い」をまったく見いだせない人って、「人間」という種としてではなく、その人として偏ってると思うわ(笑)

とはいえ、美化しすぎもどうかと思います。

以前記事にした、「イルカのモコ」の話し。
ニュージーランドの海岸で、クジラが浅瀬に迷い込んでいたそうです。
海へ誘導しようとしても、パニクっているためにうまくいかず。

そこに登場したのが、イルカのモコでした。
彼女はクジラ類独得の声でクジラたちを呼び、見事海に還した……と記事には書かれていました。

それに対して、
「やっぱりイルカは素晴らしい!」
「人間はもっと自然を敬わねば」
というコメントの山。

いろいろなブログがその記事を取り上げて、イルカ礼賛をしていました。

でもどうも私には胡散臭く思えまして(^^ゞ
調べてみたのですが……。
結局、「イルカのモコ」については何も出てきませんでした。

当時、ニュージーランド政府が、シーシェパードの行動を是認したという記事を見た後でしたからね(^^ゞ

「ま~たこういうでっちあげをしちゃってさぁ、やだやだ」
と決めつけてしまいました(^^ゞ

が、その後、「クジラを助けたイルカのモコが、今度は人間の女性を困らせた」という記事を見つけました。

その記事によれば、「イルカのモコ」と一緒に泳いでいた女性が、泳ぎ疲れて岸へ戻ろうとしても、イルカはそれを邪魔して戻らせず、女性は体が冷え切ってしまい、救出されるのが後少し遅かったら死んでいたかもしれない……とあります。

またそこには、「モコは前年3月、浜辺で座礁し動けなくなったクジラ2頭を、自然保護担当局の職員が海へ帰そうとしたがあきらめかけたところに現れ、狭い水路を抜けて2頭を無事に水先案内しながら沖へ連れ帰ったことがあり、評判になったこともある。」とありますから、クジラを助けたというのはどうやら嘘ではなかったのだな……と確認。

疑ってすいませんでしたm(__)m

とはいえ、「イルカの美談」ってだけで、なんの確認もなく飛び着いちゃう人が多いのは、なんか気持ち悪い気もするんですよね……。

以前、「学校では教えてくれないこと」という番組をやってまして、山本太郎が、「イルカと一緒に泳ぐ」という課題に挑戦してました。

が、野性のイルカは自分たちと同じ程度の泳ぎができないと相手にしてくれない……ということで、結局漁船につながれて、高スピードで引っ張られることに(^^ゞ

その話しを会社でしたところ、
「あんなに優しいイルカさんに無視されるなんて、山本太郎って悪人じゃないの?」
という反応をした方がおられましてね(^^ゞ

「あんなに優しい……って、親しく付き合ってるイルカがおられるんですね?」
と質問したら、
「あなたって、なんかすごく性格悪いこと言うよね?」
と言われちゃいましたが(笑)

確かに、厭味ったらしい言い方だとは思うけど、ただ、「イルカは優しい」という決めつけは怖いと思うんですよね。
確かに、可愛らしい動物だとは思うし、ショーで見るイルカたちは明るくて、社交的なように感じられますが……。

それは、「人間の感じ方」によるものですよね。

動物には「感情」があり、「愛情」もあると知るためには、こういった、「過剰な美化」「過剰な擬人化」も弊害になると思うのでございますよ。
もちろん「すべての行動は本能によるものである」なんて意見は、ちゃんちゃらおかしくて、相手にできませんが(笑)

そういう意味で、ローレンツ博士の「擬人化をしてはいけない」という言葉を認識してたんだけど、違うのかなぁ?

うちのあほ鳥は、本棚の本をかじるのが大すきです。
楽しそうに遊んでるのは可愛いんですが、本がボロボロになっちゃうんで、あほ鳥のくちばしがとどく範囲の本を全部撤収したんですが、今日はその棚に移動して遊んでました。

あほ鳥はあほなりに、「楽しいことはないかな?」って探してるように思えます。
彼は彼なりに「楽しく生きよう」としてるんじゃないかなって。

「知鳥楽」

ですね(笑)

なんというかかんとういうか……どんな動物でも、敬意をもって接するべきだし、そうすればもう少し、世の中は楽しいものになりそうな気がします。

なんか話しが飛んじゃいましたかね(^^ゞ?

あ、表題の「タブラ・ラーサ」は、「磨かれた板」ということ。
経験論では、人は生まれたとき、「タブラ・ラーサ」であるという考え方をするそうです。

そこにいろんなことを書き込んでいくのだ……と。

人間がそうなのかどうかは知りません。

けども何かを始めるとき、偏見やら先入観を持つよりも、「タブラ・ラーサ」である方がいいに決まってる。

動物たちとのつきあいも、「タブラ・ラーサ」で行きたいな~……と、まぁそういうことなのでした。
いつも思いつきでタイトル決めるんで、中身とどうかかわるかわかりづらくてすいません(^^ゞ
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No title

はじめまして、

確かにイルカ教かと思われる人々が世界中に居ますね。

人間の感情移入は、まず身近にペットの擬人化をうみ、外見のかわいい動物、(イルカやパンダやコアラ)を擬人化します。しかし、動物がどう思っているかは実は人間にはわからない。そして、擬人化を人に強要するものではない。あなたにとって家族でも、他人から見れば犬は犬、猫は猫です。

また、欧米の一部には木戸氏の「ガイア教の天使クジラ」にあるように、クジラやイルカを神格化する人たちも沢山居ます。キリスト教的世界観の崩壊後、科学的世界観を受け入れられない人たちの精神的よりどころになってるそうです。種に対し平等な価値を求める東洋思想とは異なり、善悪の二元論によって立ちたい人が多いせいでしょう。
「コーヴ・ガーディアン」と称して太地町にいすわり、人の肖像権を犯して募金を募る人種差別主義者は、その典型で、異文化かことごとく滅ぼそう(異教徒は人にあらず、イルカやクジラは天使なので、異教徒がイルカを食べるのは悪魔の行為)とする、21世紀の狂える十字軍です。

個性

コメントありがとうございます。

結局、動物を人間と同じようなものとして見るということは、「種の個性」を無視するということかもしれないですね。

また、安直に、「これは善」「これは悪」「これは優し動物」「これは怖い動物」などと分類してしまうことは簡単なことですが、それは、丁寧な観察をサボらせることになります。
相手を尊重し、きちんと丁寧にものを見たいものですね。

そういう意味では、SSの活動家たちにもいろいろな人がいるのかもと考えてみるのは大切なことかもしれません。

彼らのやっていることは、大局的に見れば環境ゴロそのものですが、一人一人を見れば、多分いろいろな人がいるのでしょう。
とはいえ、あの活動を支援する人たちって、なにを見てるんだろうと思いますけれど。

敬:南里

思いつきでタイトル決めてみました
よくわかっていないですけど~
話を進めているうちに理解できることもあるよね~♪
果たして、どういう展開になるのでしょうか~♪
ふふふ

おはようございます~♪

人間の脳内の話で
本能を司る部分を覆うように
理性の部分、大脳新皮質があることから
本能+教え=理性
という考えがとっても面白いなあと思いました

「教え」という中には
もちろん、人類最大の道具
「言葉」
というのが含まれ
本能は、生命の維持活動の中枢ということとしますと
生命維持活動を言葉で表そうとしている現在でも
本能が「言葉」によって外に現れていることになるなあと思います

理性的であるということは
美しさを伴う「教え」の作用ということになるなあとも思いました

ここで、最大の問題が
「気品」というシロモノ
これは「教え」の力によらない
人の本質やら血筋からくるものを感じます
長年育った環境が遺伝子レベルで
代々受け継がれ形成されてきたもののように思います

本能のレベルで
遺伝子の活躍で
理性的であるということも可能なのかもと思い
私たちはそうした
偉人やすぐれた人を見るなり
その偉容に触れ、自己実現のために
その力を欲する欲が出てくるんだと思います
「敬」は、そんな
自らのあこがれや、自分の生き方に対する
理想的な欲求で、その敬うべき人が持つ
特性を自ら身に付けずにはおけないという
本能の現れなのと思います

動植物をも含めた大自然に対する畏敬の念
自らのあこがれる生き方は
大自然や人から多くを吸収し洗練し続けてきた
人類の営みの上にあるとすると
本能が指し示す生き方は、大自然・宇宙の発展に寄与すると
結論づけてもいいように思うのでした~♪

わかったような~♪わからないような~♪

天を仰いで笑顔で~♪
笑ってごまかす、ふふふ
”若旦那~、なんり、深感恩

気品

そうなんですよね。
動物たちと接していると、彼らが供えた「気品」というものをすごく感じるんです。

愛されれば応えようとするのは、「気品」なのかなとか思ったり。

なんかうまくは言えませんが……。

「魂」って素晴らしいなとか、すごく簡単にまとめてしまったり(^^ゞ

この手の話題は難しいですよね。
でも、考えれば考えるほど、楽しくなってくるテーマでもあったりします(#^.^#)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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