涙の理由
今朝のニュースで気になったのはこれ↓↓↓
泣く女性の涙に意外な作用=男性の性的興奮鎮める―未知の成分か・イスラエル研究所
悲しい映画を見た女性が流した涙を採取し、パッチに浸みこませます。
それを男性の鼻の下に貼って、いろいろな女性の写真などを見せて実験したところ、性的興奮を鎮める効果が認められた~というんですね。
もちろん比較実験もやってまして、塩水を浸みこませたパッチを貼ったときにはそのような効果は認められなかった。
つまり、「悲しみの涙」には特別な成分が含まれていると考えられる、とこういうわけです。
が。
がががが。
悲しい映画を見て流した涙は「悲しみの涙」なのかなぁ?
あの~……非常にアレなことを申し上げるようで、大変アレなんですけどね。
アレな小説やら、アレな映画なんかでは、喪服の女性がアレしてたりしません?
「ひとひらの雪」なんて、秋吉久美子が喪服であえいでいるシーンしか覚えてないもんな、私。
まぁ、渡辺淳一が作るストーリーが嫌いだというせいもあると思いますが。
つか、全部見てない可能性もありますが(笑)
だいたい途中でやんなっちゃうんだよね~……。
うっかり失楽園の上下巻をまとめて買っちゃって、すげ~後悔したもんなぁ。
10ページでグロッキーでしたもん。
登場人物が誰も彼も自分勝手なのはまぁいいとして。
(人のことは決して言えませんが)文章がね……。
と、話しが逸れましたが、悲しんでいる女性は、男性にとっては性的興奮を感じる対象なんじゃないかなと思うんですわ。
だからこそ、「興奮を鎮める成分」を出して、それを中和させる必要があるのというなら理屈は通る気もしますが。
う~ん……なんというか、こう、納得がいかんのです。
つまり、
悲しい物語を見て流す涙と、本当に悲しい時に流す涙は同じものじゃない!!
……と思う。
ということです。
誰だってさ。
映画見たり、小説読んだりして涙流すだけにしたいよね。
本当に悲しい思いなんかしたくないよ。
でも生きてりゃさ。
本当に悲しくて泣かなきゃならんこともあるじゃないのさ。
同じかなぁ?
違うと思うなぁ、私。
ていうか、本当に本当に本当に悲しいときって、涙が出ないってこともある。
喩え話しをしようといろいろ探したんだけど、どれもこれも文字にするのはためらわれるので、もっとも罪のなさそうなのを挙げると、失恋のときですね。
まだ20代前半のころでした。
学生時代の友人からいきなり
「会いたい」
と電話がかかってきて、一緒に食事をしたんですよ。
彼女はもう既に幸せな結婚をしているんで、当時のことをちょこっと話させてもらうことをお許しをば。
恋人が他の女性に心を移しかけているらしいということでした。
その「他の女性」というのが、昔の彼女でね。
彼女の恋人としては、「自分をふって去っていった彼女が、『やっぱりやり直したい』と戻ってきた」という状況。
友人からみれば、大変に厄介なことになっているらしいのでした。
しかも、恋人は、「あいつは俺がおらなあかん奴やねん」と言っているとかで。
正直なところ、
「それはもう、スパッと諦めた方がいいかもね」
という状態でした。
「あいつは俺がおらなあかん」
「あの人は私がいなきゃダメなのよ」
っていう思い込みは、他人が何を言ったって変えられないもんねぇ。
でも、友人は、私にとどめを刺して欲しくて食事に誘ったわけじゃないんだろうなとも思いました。
何か希望を持てることを言って欲しいんだろうな~……と思うんだけど、一つも出てこない(^^ゞ
多分、友人も、自分では希望を見つけられなかったんだと思う。
だから他人に聞いて欲しかったんでしょうね。
そういう事態にあっては、彼女は涙ぐむことさえしませんでした。
ただ精気がないという感じがしただけで。
涙というのは、何かを変えようとするときに出るもんなんじゃないのかなぁとか思ったりするんですよ。
気力があるからこそ、涙が出るんですよね。
う~ん、なんというか……。
また何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが(^^ゞ
悲しい映画を見て出る涙ってのは、ものすごく無責任に流せるものでしょ?
なんせ作りごとだとわかってるし、人のことだし。
でも、自分の身の上について流す涙ってのは、もっと切実なものがあるじゃないですか。
本当に悲しい時に涙流すのは、悲しいから泣くというよりは、いやな感情を浄化させるためだったりしません?
「涙出すだけ出してさっぱりしてやる!」
みたいな。
泣きながらも、頭の中では、
「対策はどうする?」
とか、思考フル回転だったりするし。
「泣いてる時間がもったいない」
と頑張ってる人だって、体の奥の奥には涙がたまってるんじゃないかな。
それをいつかは何かの形で出すこともあると思うわけで。
そういう涙と、映画の涙では全然質が違うと思うのであります。
あ~……そっか。
確かに、本当に自分では何もやる気がなくて、人任せにしたくて泣いてる人が流す涙は、「悲しい映画を見て流す涙」と一緒かもしんないね。
そしてそういう人の方が多いんなら、「悲しい映画で出た涙」=「悲しくて流す涙」としてもいいのかも?
……それはそうかもしんないけどさ。
なんか納得がいかんのです。
それだけなんだけどね。
どうも納得いかんかったので、朝からブツブツ言うてみました。
すんません(^^ゞ
さ、掃除にかかろっと。
泣く女性の涙に意外な作用=男性の性的興奮鎮める―未知の成分か・イスラエル研究所
悲しい映画を見た女性が流した涙を採取し、パッチに浸みこませます。
それを男性の鼻の下に貼って、いろいろな女性の写真などを見せて実験したところ、性的興奮を鎮める効果が認められた~というんですね。
もちろん比較実験もやってまして、塩水を浸みこませたパッチを貼ったときにはそのような効果は認められなかった。
つまり、「悲しみの涙」には特別な成分が含まれていると考えられる、とこういうわけです。
が。
がががが。
悲しい映画を見て流した涙は「悲しみの涙」なのかなぁ?
あの~……非常にアレなことを申し上げるようで、大変アレなんですけどね。
アレな小説やら、アレな映画なんかでは、喪服の女性がアレしてたりしません?
「ひとひらの雪」なんて、秋吉久美子が喪服であえいでいるシーンしか覚えてないもんな、私。
まぁ、渡辺淳一が作るストーリーが嫌いだというせいもあると思いますが。
つか、全部見てない可能性もありますが(笑)
だいたい途中でやんなっちゃうんだよね~……。
うっかり失楽園の上下巻をまとめて買っちゃって、すげ~後悔したもんなぁ。
10ページでグロッキーでしたもん。
登場人物が誰も彼も自分勝手なのはまぁいいとして。
(人のことは決して言えませんが)文章がね……。
と、話しが逸れましたが、悲しんでいる女性は、男性にとっては性的興奮を感じる対象なんじゃないかなと思うんですわ。
だからこそ、「興奮を鎮める成分」を出して、それを中和させる必要があるのというなら理屈は通る気もしますが。
う~ん……なんというか、こう、納得がいかんのです。
つまり、
悲しい物語を見て流す涙と、本当に悲しい時に流す涙は同じものじゃない!!
……と思う。
ということです。
誰だってさ。
映画見たり、小説読んだりして涙流すだけにしたいよね。
本当に悲しい思いなんかしたくないよ。
でも生きてりゃさ。
本当に悲しくて泣かなきゃならんこともあるじゃないのさ。
同じかなぁ?
違うと思うなぁ、私。
ていうか、本当に本当に本当に悲しいときって、涙が出ないってこともある。
喩え話しをしようといろいろ探したんだけど、どれもこれも文字にするのはためらわれるので、もっとも罪のなさそうなのを挙げると、失恋のときですね。
まだ20代前半のころでした。
学生時代の友人からいきなり
「会いたい」
と電話がかかってきて、一緒に食事をしたんですよ。
彼女はもう既に幸せな結婚をしているんで、当時のことをちょこっと話させてもらうことをお許しをば。
恋人が他の女性に心を移しかけているらしいということでした。
その「他の女性」というのが、昔の彼女でね。
彼女の恋人としては、「自分をふって去っていった彼女が、『やっぱりやり直したい』と戻ってきた」という状況。
友人からみれば、大変に厄介なことになっているらしいのでした。
しかも、恋人は、「あいつは俺がおらなあかん奴やねん」と言っているとかで。
正直なところ、
「それはもう、スパッと諦めた方がいいかもね」
という状態でした。
「あいつは俺がおらなあかん」
「あの人は私がいなきゃダメなのよ」
っていう思い込みは、他人が何を言ったって変えられないもんねぇ。
でも、友人は、私にとどめを刺して欲しくて食事に誘ったわけじゃないんだろうなとも思いました。
何か希望を持てることを言って欲しいんだろうな~……と思うんだけど、一つも出てこない(^^ゞ
多分、友人も、自分では希望を見つけられなかったんだと思う。
だから他人に聞いて欲しかったんでしょうね。
そういう事態にあっては、彼女は涙ぐむことさえしませんでした。
ただ精気がないという感じがしただけで。
涙というのは、何かを変えようとするときに出るもんなんじゃないのかなぁとか思ったりするんですよ。
気力があるからこそ、涙が出るんですよね。
う~ん、なんというか……。
また何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが(^^ゞ
悲しい映画を見て出る涙ってのは、ものすごく無責任に流せるものでしょ?
なんせ作りごとだとわかってるし、人のことだし。
でも、自分の身の上について流す涙ってのは、もっと切実なものがあるじゃないですか。
本当に悲しい時に涙流すのは、悲しいから泣くというよりは、いやな感情を浄化させるためだったりしません?
「涙出すだけ出してさっぱりしてやる!」
みたいな。
泣きながらも、頭の中では、
「対策はどうする?」
とか、思考フル回転だったりするし。
「泣いてる時間がもったいない」
と頑張ってる人だって、体の奥の奥には涙がたまってるんじゃないかな。
それをいつかは何かの形で出すこともあると思うわけで。
そういう涙と、映画の涙では全然質が違うと思うのであります。
あ~……そっか。
確かに、本当に自分では何もやる気がなくて、人任せにしたくて泣いてる人が流す涙は、「悲しい映画を見て流す涙」と一緒かもしんないね。
そしてそういう人の方が多いんなら、「悲しい映画で出た涙」=「悲しくて流す涙」としてもいいのかも?
……それはそうかもしんないけどさ。
なんか納得がいかんのです。
それだけなんだけどね。
どうも納得いかんかったので、朝からブツブツ言うてみました。
すんません(^^ゞ
さ、掃除にかかろっと。
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「泣く」ってなんだ?
改めて言われてみると
ごちゃごちゃ考えずにはおれないという・・・
ああ、なんというテーマなんでしょう~♪
「泣く」ということは
恥ずかしいこと?
なんで?
「辛抱の足りないヤツ」
ということかな?
おはようございます
こらえきれない感情を抑えるが
こらえきれず表現してしまうんでしょうか?
感情移入で泣くこともあり
当事者で泣くことも・・・
当事者といえば
悲しくて涙出そうになって
全力疾走し続けても
あふれ出てきてしまうという経験もあり
悲しみを苦しみや痛みに変えようとしても
涙、出ちゃうんだ~
と今、思いました
おさえきれない感情を抑えようとするが
おさまらずに出てしまうのが涙か・・・?
おさえきれない感情とは「悲しみ」と
そして
「喜び」かもしれないですね
むしろ
「怒り」「憎しみ」「うらみ」
は
おさえることができる感情なのかも?
と
人の良心の存在をココにも確認できるような気がしました
”若旦那~、なんり、深感恩
ごちゃごちゃ考えずにはおれないという・・・
ああ、なんというテーマなんでしょう~♪
「泣く」ということは
恥ずかしいこと?
なんで?
「辛抱の足りないヤツ」
ということかな?
おはようございます
こらえきれない感情を抑えるが
こらえきれず表現してしまうんでしょうか?
感情移入で泣くこともあり
当事者で泣くことも・・・
当事者といえば
悲しくて涙出そうになって
全力疾走し続けても
あふれ出てきてしまうという経験もあり
悲しみを苦しみや痛みに変えようとしても
涙、出ちゃうんだ~
と今、思いました
おさえきれない感情を抑えようとするが
おさまらずに出てしまうのが涙か・・・?
おさえきれない感情とは「悲しみ」と
そして
「喜び」かもしれないですね
むしろ
「怒り」「憎しみ」「うらみ」
は
おさえることができる感情なのかも?
と
人の良心の存在をココにも確認できるような気がしました
”若旦那~、なんり、深感恩
そうですよね
「泣く」という感情発現は、なかなか「深い」です。
人は悲しくても泣くし、嬉しくても泣く。
感動しても泣くしなぁ。
あんまり腹が立っても泣きません?
笑いすぎても泣くしね~(笑)
考えだしたら面白い。
ごちゃごちゃ考えるのって、ほんと面白いですよねっ!
人は悲しくても泣くし、嬉しくても泣く。
感動しても泣くしなぁ。
あんまり腹が立っても泣きません?
笑いすぎても泣くしね~(笑)
考えだしたら面白い。
ごちゃごちゃ考えるのって、ほんと面白いですよねっ!