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幼子のように

昨日は図書館へ行き、携帯電話をスマートフォンに取り替え、その後祖母のところへ行きました。

祖母はもう94歳、素人の世話では行きとどかないところもあり、また介護する両親の体力も続かないということで施設と家を行ったり来たりしてます。

精神的に落ち着かなかったとき、私たち孫が施設に面会に行きすぎたこともあり、よけいややこしくなったりもしました。
あんまり面会に行きすぎると混乱して、ホームシックになったりとか、いろいろな問題があるみたい。

なので施設と相談して、しばらく面会を控えてました。
その間、両親はかなり大変だったみたいです。
なんせ、精神状態が嵐みたいでしたから……。

つまり、被害妄想がものすごく強くなって、猜疑心の鬼になってたんですね。
何もかもが疑わしく、みんなが自分をいじめているように思えたみたい。
でも、私や弟の目には、
「結局祖母は、死を怖がっているのだ」
という風に見えました。

すべての人間に、平等に与えられた、多分唯一と言ってよいものが「死」なのだと言います。

生きている間、私たちは健康も容姿も能力も、そして生活も、人それぞれです。
ですが、死だけは、誰かれの区別なくやってくるものです。
秦の始皇帝は、自分だけその恩恵を拒絶しようとして、その晩年を無にしたのだと私は思っています。

でもたとえ、「死」がなんぴとも区別せず、平等に扱ってくれる愛情深い存在だとしても、その到来は恐ろしいものです。
それは多分、誰だってそうでしょう。

十字架の上のキリストが、あれほど「父なる神」のために艱難を耐え続けた神の子が、
「主よ なぜ私を見捨て給うたか」
と叫んだのは、死の恐怖故でしょう。

それはよくわかっています。
たとえ94年生きた祖母でも、やっぱり怖いんだと思いました。

でも逃れられないものから逃れたいと願えば、心は平和ではいられなくなりますよね。
どうしたらいいものなのか、私にはよくわかりませんでした。
多分、誰にもわからなかったと思います。

が、先週……いやもう先々週になるのか。
金曜日に母が私と義妹をランチに誘ってくれたので、行ってきたんですが、疲れ切っていた母の表情がやたらと明るくてね。
ついでに、
「そろそろおばあちゃんの面会に行ったげて」
って言われたんですわ。

祖母はここのところ、昼間だけ施設へ行き、夜になると家に戻ってくるそうですが、家に面会に行くのではなく、施設に面会に行くことによって、
「施設は楽しいところ」
という印象が強まるだろう……という配慮からです。

それで、昨日行くことにしたわけですが……。

加齢というのは恐ろしいものなのかもしれないけれど、祖母の脳みそからは、「恐怖」「疑い」が削がれたように見えました。
ほんの少し前まで顔をゆがめて人が自分をいじめると訴えていた祖母は、
「ここはいいよ~。みんなすごく親切」
とニコニコしていました。

ときどき
「私、いつ家に帰れるの?」
などと不安そうな表情がのぞきますが、
「晩御飯食べたら送ってくれはるよ」
と言うと、
「そうやねん。晩御飯食べたらすぐ送ってくれるねん」
と、平和な表情に戻ります。

もう、1分前、自分がしゃべったことも覚えていないみたいですが、でも1か月前よりも、いやもしかしたら私が知っているどの祖母よりもずっと幸せそうでした。

表情だけでなく、体全体が、以前よりずっと明るく元気になり、背筋までが伸びたようでした。

祖母は、意地悪な性格というわけではないと思うのですが、とても苦労をしてきたので、偏屈なところがありました。
母はかなり苦労をしているのを私は見てきましたし、この間聞いたところによると、私が知っているよりさらにえげつないシーンもあったようで。

ただ、祖母が施設へ入ってすぐのころ、祖母が施設に一瞬だけ落ち着いていたとき、母はなんとなく不満そうでした。
そして、祖母が「家に帰りたい」と騒ぎ始めたとき、一瞬、母の表情が嬉しそうに見えたのは気のせいだったでしょうか。

施設で祖母と会話するとき、祖母は父の名前よりずっと、母の名前を思い出します。
嬉しそうに、昔いじめた嫁の名前を出すのです。
そして母はそれを聞くと、なんでもない表情を作りながらも、嬉しそうなのです。

子どもの頃の私は、「父」を持っていませんでした。
忙しくてねぇ。
高度成長期を支えた男は、家にいる時間なんかほとんどありませんでした。
特に父は熱心なビジネスマンだったので、私は父親の帰ってくる時間を知らなかったし、出かける時間も知らなかった。

そしてそれは多分、祖母にとっても母にとっても、似たような状態だったでしょう。
私が生まれたのは、小さな府営住宅で、祖母と母はいやでも一日中顔を突き合わせる状態でした。

何があったのかは、わかりません。
でも、その年月、二人の確執が生み出したのが、憎しみではなく、ほぼ肉親に対するのと同じような情だったのかなぁと考えるとき、人間とはなんと美しいものなのかと思ったりもします。

私たちが施設を出るとき、祖母は小さな少女のような笑顔を作って、手を振っていました。

もう今は、どこにいても、「自分が受け入れられ、大切にされている」ということを疑いもしないようでした。

施設の中でも、家でも、安心しきっているようでした。

それは籠の中のチュリーよりもなお、落ち着き、満ち足りた雰囲気で……。

改めて、人間が背負わされた「知性」というものの重さを思うのです。
そしてその素晴らしさに感じ入りもするのです。

さて、今日はイマイチな天気ですが、大神神社の酒祭りに行ってきま~す!
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ないものねだり→あるもの感謝

皮肉なことに
死の覚悟が
今日一日の生への感謝になるように思うのです
そこから人類の感情は
この一対の相反するいずれかに
幸福感という宝物を創造することができると思ったのです

自分にないものが分かったとき
自分のあるものを意識したり
それを充実させようとすることを
古来より聖賢たちが伝えて
人らしい幸福を求めてきたのが
哲学や宗教なのかもしれないと思いました

おはようございます

お祖母さんに感じたのは、もう一つ
自分の帰る場所をしっかりと意識できていること
命があり、この世にその命の落ち着く居場所「家」が与えられていることで
命の輝きは失われないことも・・・

私たちが肉親がすべきことは
自分の大切な人の命を守り輝かしてくれる
「家」を守ることであるんではと思います

「家族」「家業」そして「国家」を守る・・・
私に与えられた使命は、「家」という字が導いてくれていると感じました

今回の日記の情景
我が国の家族のあるべき姿を象徴しているようにも
思います

立派なのん様のご家庭、立派なのん様の一族に敬礼!

たくさんの気づきをありがとう
”若旦那~、なんり、深感恩

正直なところ

祖母がこうなって、始めてわかったことがいっぱいありました。

人を信じるって何か。
人を愛するって何か。

理性を失いかけた人をみると、それをつくづくと感じなくてはいられませんでした。

若旦那、これからも私たち、感謝の気持ちを忘れずに生きていきたいですね。
人を信じて生きていきたいですね。

これからもよろしく!!
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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