極楽転生
昨日はひっさしぶりに図書館へ行ってきました。
来年旅行をする予定なので、そろそろその国の文化や歴史などを知っておこうと、資料を借りてきたんでございます。
でも、一番お目当てのは貸出中だった(T_T)
まぁ、時間があるから行くまでに読めばええでしょう。
さてさて。
本を借りた後、私たちが向かったのは、八尾は久宝寺にある、「寺内町」です。
寺内町というのは、寺を中心とした街のことで……そのまんまですね(^^ゞ
久宝寺の場合は、周囲に濠が掘られている、いわゆる「環濠集落」となっています。
それだけ外敵の脅威にさらされていたということでしょう。
そもそも、八尾という土地は、非常に古くから栄えた土地です。
物部氏の集落もあるんですよ。
蘇我氏&聖徳太子VS物部守屋の戦いでは、八尾の地名が頻出します。
そして、守屋公の墓もまた、八尾市の中にあるんです。
私は、蘇我氏と物部氏のそりが合わなかったとする日本書紀の記述には、かなり疑いの目を向けています。
もし本当に、物部氏が蘇我氏を敵視していたのなら、なぜ、物部氏の歴史書である「先代旧事本紀」に、もっと蘇我氏やその祖先の悪口が書かれていないのか?
変だと思うんですよ。
どちらかといえば、蘇我氏=古代日本における大王家、物部氏はその一派と考える方が納得がいくんですが……。
なんせ既に当時の資料はなくなっていますから、想像するしかありません。
その、古代から栄えた八尾は、水害に悩まされる土地でもありました。
ひとたび大雨が降ると、川は決壊し、田んぼを侵します。
難しい土地ではあったのだろうと思いますが、それでも栄えたということは、それだけの要衝であったということでしょう。
その土地で布教をしたのが、浄土真宗のドン(の息子)、蓮如上人です。
上人はこの土地に、西証寺を建て、やがてその周囲に村ができました。

それこそが、久宝寺の寺内町です。
現在の西証寺は、顕証寺と呼ばれているようで、その長い白壁は「圧巻」というほかありません。

壁に空いている窓は、外敵の様子を見るためのものでしょうか。
でも、銃を差し出すに充分な幅があると思われます。

なぜ、お寺がそこまで武装しなくてはいけないのか……。
それは、蓮如上人は、織田信長の時代の人であると言えば、誰しも納得がいくでしょう。
織田信長が、比叡山延暦寺を焼き討ちしたことは、有名な事件ですもんね。
「仏教を毛嫌いしていた信長」が、いつ攻め込んでくるかわからない……。
でも、ちょっと待ってください。
蓮如上人は、浄土真宗の人。
比叡山延暦寺は天台宗。
いくら仏教が嫌いな信長でも、浄土真宗と天台宗をいっしょくたにして、敵視するなんて、なんかちょっと変じゃないでしょうか?
この二つの宗教の共通点は「仏教」ってだけじゃありません。
「僧兵」の存在でしょう。
比叡山の僧兵は無双だったと言いますから。
時の権力から見ると、脅威であったでしょう。
そして、浄土真宗が、恐ろしい兵を持っていたことは、各地で一向一揆が起きたことでもわかるはず。
一向衆の内訳は、農民が多かったようです。
つまり、決して恵まれた生活をしていなかった人々です。
今の生活に満足していない人にとって、
「浄土真宗(一向宗)のために命を捨てれば、極楽に転生することができる」
という言葉は、かなり魅力的なものだったのではないでしょうか。
この世で望みがない人にとって、「あの世」は最後の望みであったに違いないですから。
そんな風にして、一向宗の寺は勢力を伸ばしたようです。
そしてその戦いが、本当に、「義のため」「貧しい人々のため」なのならば良いのですが……。
もし、実情は「寺」ひいては、寺僧の財産のためだったのなら、すンげぇやな話ですよね。
宗教は、誰かの富のためのものではなく、誰かの心のためのものであって欲しいと思います。
はてさて。
実際はどっちだったでしょう?
それはわかりません。
多分、「両方とも正解」だったのではないかと思います。
すいません。
まぁそんな風にして作られた、寺を中心とする街は全国各地にあるようです。
寺内町の中には、「念佛寺」もあります。
このお寺は、河内三十三観音霊場の第二番霊場。
ということは、ご本尊は観音様なはずですが、お庭はなんだか南国風。

宗派は融通念佛宗だそうですね。
ここから近い平野区に総本山がありますから、その関係かもしれません。
仏教に詳しいので、間違っている可能性大ですが、ざっと調べたところ、浄土宗の一派という位置づけになるようです。
「誰でも、その心次第で極楽往生できる」
とする教えは、そうであれかしと思います。
でも、
「極楽往生するためには……」
と、心以外のものを押しつけるのだけは勘弁願いたいですけどね(^^ゞ

マンホールの蓋は、八尾市の産業である、綿をつむぐ糸車。
糸車についても、いろいろと考えたいところがあるのですが……。
女性が糸車を回す姿には、いろいろなイメージがあります。
私はまず、「いばら姫(眠り姫)」を思い出すのですが……。
何か、妙にドキドキするものがあります。
なぜか「孝女」は、糸繰りをしてたりしますしね。
いろんな意味で八尾という土地は、興味深い場所なんですね。
さて。
だいたいざっと紹介しましたが、時間がないんで、今日はこのぐらいで。
今からおふさ観音へ行ってきます。
バラが見ごろだといいな~♪
来年旅行をする予定なので、そろそろその国の文化や歴史などを知っておこうと、資料を借りてきたんでございます。
でも、一番お目当てのは貸出中だった(T_T)
まぁ、時間があるから行くまでに読めばええでしょう。
さてさて。
本を借りた後、私たちが向かったのは、八尾は久宝寺にある、「寺内町」です。
寺内町というのは、寺を中心とした街のことで……そのまんまですね(^^ゞ
久宝寺の場合は、周囲に濠が掘られている、いわゆる「環濠集落」となっています。
それだけ外敵の脅威にさらされていたということでしょう。
そもそも、八尾という土地は、非常に古くから栄えた土地です。
物部氏の集落もあるんですよ。
蘇我氏&聖徳太子VS物部守屋の戦いでは、八尾の地名が頻出します。
そして、守屋公の墓もまた、八尾市の中にあるんです。
私は、蘇我氏と物部氏のそりが合わなかったとする日本書紀の記述には、かなり疑いの目を向けています。
もし本当に、物部氏が蘇我氏を敵視していたのなら、なぜ、物部氏の歴史書である「先代旧事本紀」に、もっと蘇我氏やその祖先の悪口が書かれていないのか?
変だと思うんですよ。
どちらかといえば、蘇我氏=古代日本における大王家、物部氏はその一派と考える方が納得がいくんですが……。
なんせ既に当時の資料はなくなっていますから、想像するしかありません。
その、古代から栄えた八尾は、水害に悩まされる土地でもありました。
ひとたび大雨が降ると、川は決壊し、田んぼを侵します。
難しい土地ではあったのだろうと思いますが、それでも栄えたということは、それだけの要衝であったということでしょう。
その土地で布教をしたのが、浄土真宗のドン(の息子)、蓮如上人です。
上人はこの土地に、西証寺を建て、やがてその周囲に村ができました。

それこそが、久宝寺の寺内町です。
現在の西証寺は、顕証寺と呼ばれているようで、その長い白壁は「圧巻」というほかありません。

壁に空いている窓は、外敵の様子を見るためのものでしょうか。
でも、銃を差し出すに充分な幅があると思われます。

なぜ、お寺がそこまで武装しなくてはいけないのか……。
それは、蓮如上人は、織田信長の時代の人であると言えば、誰しも納得がいくでしょう。
織田信長が、比叡山延暦寺を焼き討ちしたことは、有名な事件ですもんね。
「仏教を毛嫌いしていた信長」が、いつ攻め込んでくるかわからない……。
でも、ちょっと待ってください。
蓮如上人は、浄土真宗の人。
比叡山延暦寺は天台宗。
いくら仏教が嫌いな信長でも、浄土真宗と天台宗をいっしょくたにして、敵視するなんて、なんかちょっと変じゃないでしょうか?
この二つの宗教の共通点は「仏教」ってだけじゃありません。
「僧兵」の存在でしょう。
比叡山の僧兵は無双だったと言いますから。
時の権力から見ると、脅威であったでしょう。
そして、浄土真宗が、恐ろしい兵を持っていたことは、各地で一向一揆が起きたことでもわかるはず。
一向衆の内訳は、農民が多かったようです。
つまり、決して恵まれた生活をしていなかった人々です。
今の生活に満足していない人にとって、
「浄土真宗(一向宗)のために命を捨てれば、極楽に転生することができる」
という言葉は、かなり魅力的なものだったのではないでしょうか。
この世で望みがない人にとって、「あの世」は最後の望みであったに違いないですから。
そんな風にして、一向宗の寺は勢力を伸ばしたようです。
そしてその戦いが、本当に、「義のため」「貧しい人々のため」なのならば良いのですが……。
もし、実情は「寺」ひいては、寺僧の財産のためだったのなら、すンげぇやな話ですよね。
宗教は、誰かの富のためのものではなく、誰かの心のためのものであって欲しいと思います。
はてさて。
実際はどっちだったでしょう?
それはわかりません。
多分、「両方とも正解」だったのではないかと思います。
すいません。
まぁそんな風にして作られた、寺を中心とする街は全国各地にあるようです。
寺内町の中には、「念佛寺」もあります。
このお寺は、河内三十三観音霊場の第二番霊場。
ということは、ご本尊は観音様なはずですが、お庭はなんだか南国風。

宗派は融通念佛宗だそうですね。
ここから近い平野区に総本山がありますから、その関係かもしれません。
仏教に詳しいので、間違っている可能性大ですが、ざっと調べたところ、浄土宗の一派という位置づけになるようです。
「誰でも、その心次第で極楽往生できる」
とする教えは、そうであれかしと思います。
でも、
「極楽往生するためには……」
と、心以外のものを押しつけるのだけは勘弁願いたいですけどね(^^ゞ

マンホールの蓋は、八尾市の産業である、綿をつむぐ糸車。
糸車についても、いろいろと考えたいところがあるのですが……。
女性が糸車を回す姿には、いろいろなイメージがあります。
私はまず、「いばら姫(眠り姫)」を思い出すのですが……。
何か、妙にドキドキするものがあります。
なぜか「孝女」は、糸繰りをしてたりしますしね。
いろんな意味で八尾という土地は、興味深い場所なんですね。
さて。
だいたいざっと紹介しましたが、時間がないんで、今日はこのぐらいで。
今からおふさ観音へ行ってきます。
バラが見ごろだといいな~♪
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