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ルサンチマン

昨日は、昼からずっと友人から借りた、「西遊妖猿伝」を読んでました。

第一部だけでも12巻あるし、私はそもそも漫画を読むのが下手なんで、まだ半分しか読めてませんが(^^ゞ

民俗学やら古代史やら、歴史やらなんたらをテーマにした漫画って結構ありますよね。
当然のごとく、面白いものもあれば、面白くないと思うものもあります。

「諸星大二郎が好きなんですぅ」
と言うと、
「それじゃ、星野之宣も好きですか?」
って必ず聞かれるんですが、この二人って似てるかな(^^ゞ?
私は全然違うと感じる……っていうか、星野之宣については、何が面白いのかよくわからなかった(笑)
すんません。

ただ、上記友人も、
「そうやんなぁ。星野之宣はあんまり面白いと思わへんわ」
と言ってたので、諸星大二郎が好きならば、星野之宣も好き……と必ずしも言えるもんじゃないんだと思います。

そして、友人は、「西遊妖猿」と一緒に、近藤ようこさんの漫画を持ってきてくれました。
近藤さんは、中世を舞台にした漫画をたくさん書いておられますが、古代史や民俗学ってわけじゃないです。
私がどちらかというと苦手とする「男女のどうたら」をテーマにしたものも結構書いておられるような。
でも、私も近藤ようこさんの漫画は好きなんですよね。

っていうか、今WIKIで調べたら、「妖霊星」っていうタイトルの漫画を描いてはりますね。
「妖霊星」は楠木正成のことであるとも言われますが……。
これ、読みたいなぁ。
……とまた調べたら、どうやら「身毒丸」の話だったようで(^^ゞ

身毒丸ってのもどうもぐちゃぐちゃしてます(^^ゞ

昔、ちょっとだけ武田真二さんのファンだったことがあって……いや、今でも好きですが、当時は今よりファンでして(笑)
そのときには、彼の舞台である「身毒丸」は、好評のうちに終わってしまってました。

それで、せめてその原作本を……と調べたら、折口信夫さんの小説にあるじゃありませんか。
読んでみたけど、どうも芝居のレビューと食い違う(^^ゞ

ありり……とまた調べたら、どうやら原作を、三島由紀夫が「弱法師」というタイトルでオマージュしてるらしい。
……でもやっぱり食い違う(^^ゞ

当時は1995年で、既にインターネットは普及してましたが、今ほど検索が便利じゃなかったんですよ。
登録したキーワードでしかヒットしなかった。
今みたいに、ウェブページにある文章で検索してくれるようなサービスができたのは、それより少し後のことだったと思います。
まだ、電話回線でネットにつないでた時代ですからね。
ウェブページ全部を読みこんで……なんてやってたら、すごい負荷がかかったんじゃないかと思います。
多分、ですが。

今はわかりますよ。
「身毒丸」というのはあて字で、本来は「俊徳丸」ですよね。
蜷川氏は、俊徳丸と愛護若をもとに「身毒丸」という芝居を作り上げられたみたい。
そりゃ、「しんとくまる」で調べてもあかんはずだわ(笑)


……すいません。
ま~たまた話がそれまくりました(T_T)


えぇと、西遊妖猿伝の話ですね。
諸星氏の想像力を考えれば、どこまでが原作にあるものなのかさっぱりわかりませんが……。

孫悟空は、「斉天大聖」と名乗る神の血をうけ、自らも「斉天大聖」と名乗ったとなっています。
孫悟空が「斉天大聖」と名乗ったのはどうやら原作にもあるようですね。
ただ、多分、孫悟空の父親であるところの「斉天大聖」の正体は「無支祁(奇)」という猿の姿をした水神であるということは、諸星大二郎の創作でしょう。

無支祁(奇)は、中国の伝説に登場する神様のようです。
水の神ですからさまざまな姿を持ちますが、邪神として、禹王に成敗されてしまいます。

そもそもの無支祁がどのような神であったかは想像するしかありませんが、「西遊妖猿伝」の中では、ルサンチマンそのものとして描かれてるんですよね。

民衆の、皇帝への怒りや怨みを吸い上げて力をつける神。
彼の最終的な目的は、権力者たちを倒し、民衆のための国を作ること。
でも、そのためには力が必要です。
力をつけるためには、民衆たちがもっと苦しめられ、怒り、怨まなければならないわけです。
そのために彼は、民衆たちを喰らい、怒りを煽ります。

あぁ、なんたる矛盾(^^ゞ

「宗教はルサンチマンである」
とニーチェは言うたそうです。

私は彼の著作を読んだことがないので、この言葉を理解できてるかどうかはわかりませんが……。





そうかなぁ(^^ゞ?

もし本当にそうだと思ってるなら、可哀そうな人だと思います。
人間は、虐げられないと「真実」を求めないほど、つまらない生き物ではないと思うけれど。

もしかしたら、ニーチェの時代、苦しめられないと神を感じ取ることができないほど「忙しい時代」だったのかもね。
そしてまた実際、当時にあった宗教の多くが「ルサンチマン」に基づくものだったのかもしれません。
だから、ニーチェだけに対して疑問を持つわけじゃないんだけれどね(^^ゞ


でも、私は、宗教の根源にあるのは、自然というか真実というか、大いなるものへの「敬意」「感謝」「共感(鳴)」だと思います。
どんな苦しい時代でも、そうであった人もたくさんおられたと思う。
少なくとも、イエス・キリストはルサンチマンの人ではなかったと思います。

そして、諸星大二郎もまた、宗教(仏教)を、「真実に対する敬意と希求」のために崇拝する人物を登場させています。
三蔵法師です。

彼は誰のためでもなく、誰の得のためでもなく、「真実」を求めて、天竺への苦しい旅を選ぶんですね。

それに比して、無支祁は、「民衆のため」に、自らを傷つけ、民衆たちをも傷つけます。

三蔵法師の行動には、(おかみの横暴に対して)まったく即効性もないし、効果があるかどうかさえわかりません。
しかし、無支祁の行動は、もしかしたら何かが変わるかもしれない。憎い権力者たちに一矢報いてくれるかもしれないと期待させるものがあります。

むぅ。


よくはわからないんですが、そしてなんとも言えないんですが……。
私は、自分が苦しいとき、無支祁ではなく、三蔵法師に心を添わせられるぐらいの強さが欲しいなぁと思います。

自分のためじゃない。
誰かのためでもないかもしれない。
だけど、より大きな、美しいものを求めての行動。

いつもそれを選べる程度の強さと清さを持っていたいと思う。

そうでなきゃ、なんのために人間として生まれてきたのかわからないじゃん。

というわけで、何がなんだかぐっちゃぐちゃの状態で、今朝を始めます。
午後からは多分、西遊妖猿伝の続きを読むと思います。
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