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子どものころ、父親の本棚には、「世界名作全集」なんてのがズラリと並んでいました。
ドストエフスキーだとか、ブロンテ姉妹だとか、古典名作ばかり100冊。

そして、その棚の一画には、なぜか「ギリシャ悲劇」「ギリシャ哲学」というコーナーが。

「名作全集」の方はでかくて重たくて、旧漢字だったこともあり、ふりがなもなかったので、なんとか読めたのは「千夜一夜」ぐらいでしたが(内容を知ってる人は、引くかも(笑)いや、そうじゃなくて、短編の集まりでしょ?だからですよ。えぇ、だからですとも)、ギリシャ哲学・悲劇については、なんとなくとっついて読んでいました。

「イエス・キリストの生涯」なんていう本もありましたから、父はギリシャ全般に興味を持っていた時代があったんでしょう、多分。

その中にあったのだったかなんだったか、「オイディプス王」「王女メディア」の筋書きだけは、小学生のときには知ってたんですよね。

でも、
「不吉な予言により捨てられたオイディプスが、高潔な人柄にも関わらず、運命の糸に操られて予言通りの凶事をなしてしまう」
という、子どもにもわかりやすいストーリーに対し、メディアの心の機微はわかりにくく、何がなんだかわからない???……としか思えませんでした。

私が20代前半のころ、蜷川幸雄さんの演出、平幹二郎さん主演による「王女メディア」が大阪で上演され、親しかった先輩が観にいかはったんですが、その後すぐ、長い長い手紙をもらいました。

「女の情念」たら、「女の業」たら、彼女の今までの人生についていろいろ書かれていて、半分わかるような、半分さっぱりわからないような思いで読んだものでしたが、最後にこんな言葉があったんですよね。

「のりこちゃん、メディアはね、『私は女』って言うのよ。のりこちゃんも女でありなさい」
って。

しかし……わかります?
「私は女」って、どういう意味なの?

気にはなりつつ、岩波文庫から出ているのは、ソフォクレスばっかなんですよね~(^^ゞ
ということで、気になったので、「オイディプス王」は読みました(笑)

でも、エピキュロスは読む機会がなく。

「メディア」について書かれた文章は、ちらほらと出会いましたが、彼女をあまりよく書かれたものはなく、
「私は女」の意味はよくわからずにおりました。

でもって、最近、「古代ギリシャがんちく図鑑」という本を読んだところ、著者が女性だからか、珍しくメディアに好意的な紹介をされていたんですよね。

著者によると、この時代のギリシャの、「女差別」「よそもの差別」はひどかったとのこと。
ギリシャ神話では、女神はすごく大切にされてるのに、なんでなんでしょうね?

そういった興味もあり、本格的に(ってほどのこともないけど)、エピキュロスの本を探したら、簡単に見つかりました。
ちくま文庫から、ギリシャ悲劇の全集が出ていて、その第三・四巻が、エピキュロスなのでした。

メディアが掲載されているのは、第三巻。
とりあえず取り寄せてみたのでございます。

しっかし、昔の芝居って、なんでこうもセリフが長いかな(笑)
シェイクスピアも大概だと思いましたが、エウリピデスもすごい。

現代社会で、一人でこんなに長々しゃべってる人がいたとしたら、
「奥さん、あっちへいきましょ!!」
って逃げられてしまうと思うのですが、昔はそうじゃなかったのかなぁ。
それとも、長いセリフを滔々と語ることによる舞台の盛り上がりを狙ってるのかしら?

確かに、平幹二郎さんが演じるメディアは観てみたかったと思うのだけれど……。

メディアは……ご存知ない方もおられるかもしれないのでザッと説明すれば……希代の悪女と呼ばれる魔女です。
薬草の知識に詳しく、女性としては「欠陥」とされるほど聡い女性でした。

彼女はコルキスの王女で、コルキスには「黄金の羊の皮」と呼ばれる世にも珍しい宝があり、そのことが彼女の人生を狂わせていくのですね。

コルキスはグルジア民族の国。
ギリシャから見れば、「異国」にあたったようです。

そこにやってくるのは、イオルコスの王子であったイアソンです。
当時の王位継承の争いは多分、泥沼っぽいものがあったのでしょうが、ここでもその例にもれず。

イアソンは叔父に王位を奪われている状態。
しかし、彼の強さや賢さ、美しさは叔父であるペリアスにとっては脅威です。

そこで、ペリアスは、イアソンに「黄金の羊皮をとってこい」と無茶を言い、ていよく追い払うわけですね。

そして遠征地のコルキスで、ヒーローとヒロインが出会うことになるわけです。

メディアはその智恵と知識により、イアソンを助け、羊の皮を与えます。
そして、父王の追撃を免れるために、自分の弟さえを手にかけるのです。

愛する人を助けるために、自分の弟を殺す女。
それがメディアです。

現代人の感覚では、メディアには共感しづらいかもしれません。

だけどそれは、国の安寧のために生贄を出す民族を、他の文化を持つ人々が、
「野蛮だ!!」
と批判するようなものですよね。

彼らの文化には、独自の背景があり、歴史があります。
それを知らずに、「野蛮」と非難する方が野蛮だっつぅの。

もちろん、生贄という儀式は、生贄になる人物がいるわけで、そのことを考えれば、なくなった方が良いものだと、私は思います。
思いますが、自分の勝手な感覚により相手を一方的に批判することで、彼らが「生贄の儀式をやめよう!」と思うとは思えない(^^ゞ

イアソンにとってメディアは「異国の女」「違う文化を持った女」なわけです。
当時、「ギリシャが一番進んでるんだ~い」という意識があったらしいですから、「異国」は「蛮国」の意味もあったでしょう。
となれば、メディアは「得体のしれない女」と感じられたのではないかと思います。

そのうえメディアは、イアソンの復讐のために、残酷な方法で、ペリアスを殺害。

イアソンにとって、メディアは、「可愛い女」ではあり得なかったでしょう、多分。

そのことが原因か、それとも単にイアソンがひどい男だったのかはわかりませんが、定住先のコリントス王の娘がイアソンにほれ込むと、簡単に彼女に心を移してしまいます。
しかも、メディアの魔女としての力、そしてその智恵を恐れたコリントス王は、メディアを国外追放することにします。

この時代、女は本当に簡単に裏切られ、捨てられていたようですね。
まぁ、これはギリシャだけのことではなかったかもしれませんが……。

しかしどんなときにも、智恵は身を助く。
メディアは、たまたまコリントスにやってきていたアテナイ王のアイゲイウスに、アテナイに住まわせてもらうことを了承させます。
子どもの出来ないアイゲイウスは、コリントスに神託をもらいにやってきていたんですが、その意味がわからずにいたんですね。

メディアなら、その意味を解き明かしてくれる……。
しかもメディアは、夫にひどい裏切りをされた可哀そうな女性だ……アイゲイウスにはそう思えたのでした。
この後、ギリシャ神話は、「メディアはアイゲイウスの悲劇の素となる」というように展開をしていきます。

しかし、エウリピデスは、メディアをただの残酷な女とは描いていません。

ただ、メディアは、黙って身を引くことのできる女性ではありませんでした。
自分にひどい仕打ちをした人間たちに、復讐せずにはおれませんでした。

そのためには、自分をもっと苦しめることになっても。

コリントス王とその娘には死を。
そして、イアソンには……。

愛する子どもの死という、自分が死ぬ以上の悲しみを。


とはいえ、ちくま文庫の解説によれば、子どもたちを殺したのは、母親たるメディアじゃなく、王の復讐に燃えるコリントス人だとか、魔法の失敗による事故だとかいう説が残っているそうで、メディアの子殺しはエウリピデスの創作だと考えられるようです。

でも、もしそうだとしたら。
もしメディアが、弟を殺し、夫の叔父を殺し、夫の新しい恋人とその父親を殺し、そしてアテナイに着いてからは、夫となったアイゲウスの息子テセウスを殺させようとしただけの女ならば。
やっぱり単なる残酷で冷酷な人殺しとしか思えないのです。

彼女が夫への愛惜のために自分の子どもを殺したとして始めて、彼女の「女」としての苦しみを感じることができるんじゃないか、と。

実際、イアソンの彼女に対する言葉は、えっれ~理不尽で身勝手で、アホちゃうかとしか言いようがないものなのですよ。

「国王の娘と再婚するのは、子どもたちに素晴らしい兄弟を作るため、つまりはおまえのためじゃないか」
って、どんな表情をして言ったんだか、想像もつきません(笑)

「女」は、男と比べると体力も腕力もありません。
そのことが引き起こす、社会的な格差というものは、時代が遡れば遡るほど、大きかったのではないかと思います。

そんな中で、女たちが自分の社会的立場を確立するには、どうすればよいのでしょうか。

日本の場合、女性は「巫女・シャーマン」として、ある程度の地位を持っていた場合もあるようです。

卑弥呼のように、その神秘的な力を大いに利用して、王と君臨した女性も、日本古代にはかなりいたのではないかと思われます。
日本書紀や古事記を読めば、「どうやら女系の一族らしいな」と思われる部族が散見されるのです。

でも残念ながら、ギリシャにおいては、巫女の力はさほど重要視されていなかったのでしょう。

もしかしたらメディアの祖国・コルキスでは、女性の、巫女としての力をとても大切にしていたのかもしれないですね。
だからこそ、アイゲイウスはメディアの神託を読み説く力を尊重した。


でも、私がひっかかるのは、「メディアは薬草の知識にたけていた」ということなんですよね。

薬草の知識は、古代の人々にとってとても重要なものだったでしょう。
だから、その知識にたけた人は、大切にされ、恐れられたはず。

でも、どういう意味で?

日本において、「薬草の神」といえば、少彦名でしょう。
そして、関西に在住する私には、「中将姫」という名前が浮かびます。

そして偶然かどうか、少彦名も中将姫も、「うつろ舟に乗って流れてきた」とする伝説を持ちます。
柳田国男は、「幼い子どもの姿をして、水辺によりつく神」と「シュク神」を重ねてはるとのことですが……。

婦人病に大いなる霊験を発揮した淡島様の薬を売り歩いた「淡島願人」など、薬を売り歩いた流浪の民は少なくなかったと思われます。

なぜ、薬を売り歩くのが流浪の民であったか。

道教で、薬の神と言えば、神農ですよね。
彼はすべての薬草を飲んで、その薬効を確かめたとか。
そのせいで、皮膚の色が透明で、頭に角があるんでしたっけ。

つまり、薬効をよく知っているということは、それだけたくさん、「人体実験をした」ってことですよね。
薬を売る人の体に、何かしらの不具合があれば、彼が売る薬の薬効には何かしらの信憑性が生まれたのかもしれません。

しかし、メディアは「美しい女性」でした。
そのことは、彼女が自分の体を使わずに薬の知識を得たということを暗示しています。
メディアが残酷な女性として描かれているのは、そこにも理由があるんじゃないかな……と。

メディアが、自分の体を実験台として薬の知識を深めたのか、それとも他人の体で実験をしたのかはわかりません。

ただ、彼女を残酷に違いないと断じた当時のギリシャの感覚では、「実験は他人の体でするもの」だったのじゃないかななどと考えたりするのでした。

実際、メディアはなぜこんなに残酷とされたのでしょう。

「私は女」
このセリフの意味を、私はまだつかめていません。
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Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

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