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ユーモア

中学生のときから、国語の先生にはなぜかやたらと目をかけられることが多かった……もしくはなぜだか憎まれたりもしました。

憎まれたっつぅか目をつけられたっていうか、意地悪をされたんですよね。
中二のときの先生でしたが。
習ってないことを質問されて、答えられない、もしくは間違うと、
「あなたはその程度よね」
と言われたんですよね~~~……でも、習ってないことなんで、級友たちも呆気にとられてましたが。

その先生とは本当に気が合わなくて、高村光太郎の「レモン(梅酒だったかも)」の解釈で大ゲンカしたんですよ。
それがきっかけだったかと思います。

でもさぁ、詩の解釈に「正解」はないよねぇ?
「あなたの考えは間違いよ!」
って言われたら、反抗期の中学生はそりゃ大いに反発するって。
あげくの果てに、
「あなたは恋をしてないからわからないのよ!」
って言われたんですが……あとから聞いたことによると……っていうか噂になったところによると、かの先生は同じ学校の技術科の先生とつきあっていて、ちょうどそのころ別れたとか(^^ゞ

……まぁ……気持ちはわかる。
今となっては(笑)

でも、中一・中三・高二・高三の現代国語の先生には、なんでかわかりませんがやたらと気に入られ、期待されたんです。
でも短大のときの、英文学の教授から受けた期待……というか、なんだろう……愛情??は特筆すべきもんでして。

私の書いたレポートは、必ず授業で発表させられたものでしたし、さまざまな本を、
「読んでごらんなさい」
とプレゼントされたのでございます。

私自身は、英文学があまり肌に合わなかったので、ひっじょ~~~~~~に申し訳ない気持ちにもなりましたが、穏やかでいつもニコニコしている教授のことは好きでしたんで、卒業後も手紙のやりとりをしていました。

……その手紙も、残らず授業で使われたそうですが(^^ゞ
どういう風に使われたのかは知りませんし、あんまり知りたくないっす(笑)

教授の専門はもちろん英文学ですが、児童文学の分野でも活躍しておられるようで、彼女の研究論文と研究対象となった絵本を送ってくださることも何度かありました。

その中に、有名な「101回生きたねこ」もありましたし、「GIVING TREE(邦題は「大きな木」)」もありました。

絵本や童話って、実は深い教訓を含んでいたりしますよね。

かの教授がいつも言っておられたのは、
「英文学の特徴は、ユーモアなの」
でした。

残念ながら、私は英文学作品のユーモアをちゃんと受け止めることはできなかったわけですが……。
なんていうのか、文化の違いって、大きいと思うんですよ(笑)

キリスト教の国ですから、小説の背景にはかならずといってよいほどキリスト教的考え方があります。
私はキリスト教文学が苦手ですが……
でも、英文学に出てくるキリスト教的な感覚は忌避感を覚えるもんじゃなかったな、考えてみれば(^^ゞ

嵐が丘とか、ガリヴァーとか、サロメとか。
どちらかというと好き。
ディケンズの「クリスマスキャロル」はすごく面白いと思ったし(最初に読んだのは小学生のときですが)。

でぇ嫌いな「狭き門」と「谷間の百合」は、よくよく調べてみたら、フランス文学でしたし、「緋文字」はアメリカ文学でした(^^ゞ

でも……なんだけどこう……するっと入っていかないじゃないですか。
文化が違うからさ。

映画なんかも、洋画を見てて、
「チリッ!」
とすることが結構あります。

ありていに言えば、人種差別を感じてイラッとするってことですけどね(笑)
たとえばジョディ・フォスターの「フライトプラン」なんか、ひどくないっすか?

アラブ人を(なんの根拠も証拠もなく)誘拐犯だと疑っておいて、一言の詫びもないって、どういうこっちゃねん。

自分では被害妄想が強いほうだとは思ってないけども、どうもね。
無言の優越感を感じてイライラすることがあります。

「ラ・マン」なんか、読んだ後、フランスまで言って作者に屁ぇぶっかけたろかと思った(-"-)

……と考えたら、私が苦手なのは、フランスとアメリカの文化なのかしら。

キリスト教文学が苦手だと思っていたのは、クリスチャンの、そうでない宗教の信者もしくは無信仰の人に対する無言の優越感を感じちゃうからなんですよ、つまり。

でも、嵐が丘とか、クリスマス・カロルにはそれを感じないもんな。
……と考えたら、私はイギリス文学を「食わず嫌い」してたのかもしれないと、この記事を書きながら改めて気付きました(^^ゞ

さて、タイトルの「ユーモア」です。

かの教授は、ユーモアを説明して、「人を救うもの、人を愛する人のもの」というように表現されていました。

本屋さんの本の1/10は読破してるんじゃないかというほどの読書家の先輩は、「自分を笑い飛ばすもの」とおっしゃってたと思う。

ただ、個人的に「自分を笑い飛ばす」際に、見ている人に何かしら辛さを感じさせない「軽さ」が必要だとは思うけども。

つまり、ユーモアというものは、自己主張のための道具じゃないってことでしょうね。
あくまでも、自分を含めたたくさんの人のためのものだと考えられているんじゃないかな。

ユーモアと似た言葉に、「ジョーク」「ウィット」なんてのもあります。
「エスプリ」なんてのも似たような感じで使われたりもしますが、この言葉はフランス精神を意味するようですね。
笑いとはあんまり関係ないみたい。

さて、ユーモアは諧謔と訳されますね。
ジョークは冗談。
ウィットは機智・機転かな。

でも、諧謔って言葉は、普段あまり使われない言葉。
デジタル大辞泉では、「こっけいみのある気のきいた言葉。しゃれや冗談。ユーモア。」と説明してますね。
この言葉には、「自分だけのためのものではない」というニュアンスはないみたい。

ただ、ジョークにしろウィットにしろユーモアにしろ、自分勝手な笑いでは、本当には笑えないですよね(笑)


昨日は、「ジェイン・オースティンの生涯」という本を読んでました。
先述した英文学の教授が送ってくださったもので、この本の一章を彼女が翻訳されたみたい。

ただ私、「ジェイン・オースティン」の作品を一つも読んでないんですよね……。

ただ、オースティンの時代が、いわゆる「女三界に家なし」な時代であることはわかった。

つまり、結婚前は親の家に住み、結婚してからは夫の家に住み、老いては子の家に住む。
自分の家は生涯持てないって意味の言葉ですね。

女には遺産相続権もなかったみたいだしねぇ。
大変だわ。

そんな中で、オースティンが姉に書いた手紙には、いつも「笑い」の要素があります。

でもその「笑い」が、時にユーモアとなり、時に攻撃となり、時に自虐となるのが面白い。

笑いってなんでしょうねぇ。

もうずいぶん長く音信不通になっている友人が、順風満帆だった仕事をやめ、実家に帰るときにくれたメールを思い出します。
彼はSEとしてかなり優秀な人だったみたい。
母上が精神疾患を患われ、そのため妹さんの婚約が破棄され、心労で父上も病に倒れるという状況で、実家に帰らざるを得ないという状況での帰郷でした。

メールには、
「いつも笑わされてばかりでしたが、これでネタはいっぱいできますからね。今度は僕がのりちゃんを死ぬほど笑わせてみせますよ」
とありました。

その後連絡はないけど、多分忙しいんだろうと思います。
実家で仕事を見つけ、家族の世話をして……大変だろうけど。

いつか死ぬほど笑わせてくれる日を楽しみにしております。はい。

ユーモアってさ……ときにはしんどいよね(^^ゞ

だけど、みんな、がんばれ!!!!!!!
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

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