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1300年

昨日は昼前に家を出、JR関西線に乗りました。
土曜日だからもっと混むかと思ったんですが、電車はガラガラと言って良いほどの乗客率。
とはいえ、座席は結構埋まってたかな。
立っている人はいないってぐらい。

「でも奈良駅についたらすごい人混みかな?」
とも思ってましたが……。
そうでもなかった(^^ゞ

「1300年祭シャトルバス乗り場」
の看板に導かれて行くと、すでにバスは来ていて、
「もうすぐ出発します!」
とのこと。

「もうすぐ出発」のくせに、まだ空席がある……。

なんとなく拍子抜けしながら発車を待っていると、後から乗りこんできた女性に声をかけられました。

「あの……間違ってたらごめんなさい。のりちゃん?」
と。
本日待ち合わせのchacoさんでした。

彼女は北九州在住で、古代史という共通の趣味があります。
ただ、情報交換やらはネット上だけで、実際に会ってお話しをするのはこの日が初めてでございました。

バスの中で、関西の神社事情や、九州の神社事情を話していたんですが、面白いなと思った話題はこれ。

「あのね、香椎宮ってあるでしょ?九州ってお祭りのときに屋台が出ることはまずないんです。でも香椎宮(すいません。香椎じゃなくて、箱崎宮だそうです(^^ゞ。でもここは神功皇后つながりなので、文脈的にはOK??)だけは見世物小屋がたくさんでるんですよね。いわゆる芸能の民が生業としていたような出店がいっぱいでます。これってなんでだと思います?」

正直なところ、たまたま今の宮司さんの趣味であるという可能性はあると思います。
でも、「芸能の民」と神功皇后の取り合わせは興味が引かれます。

個人的に、川原に住んでいた人たちと、神功皇后には深いつながりがあるんじゃないかと思っているので。

神功皇后は、「見る人が驚くような美女であった」と日本書紀には書かれています。
でも、各地の神社などに残る伝承では、「湧水で顔を洗った途端、かさぶただらけの顔になった」などという、不可思議かつ意味深長な体験をされていたりするんですよね。

その昔、川原に追いやられた人たちが、どういった神様を必要としたのか。
それはもちろん、自分たちを救ってくれる神様なのでしょうが、それではどのような神様が自分たちを救ってくれると感じてたでしょうね?

お伽草紙を読むと、厄介者扱いされていた「三年寝太郎」やら、小人として生まれてきた「一寸法師」が、一発逆転的に出世して、その後調べてみたら、天皇の血筋であったことがわかったという筋立てになっていることに気付きます。

ご落胤思想というものが生まれる背景には、さまざまなものがあると思います。

「あんなすごい人が、こんな環境から生まれるはずがない」
といった場合にもそれがあると思いますが、しんどい環境にいる人が、
「ある日突然『おまえは実は高貴な血筋の生れであったことがわかった迎えに来た』と言われ、生活が一変しないだろうか」
という希望を持つこともあったでしょうね。

……などと。
そんなことを考えたりもしてるわけです。

その他、chacoさんに教えていただいた中で面白かったのは、大宰府(すいません。ここ私の勘違いで、宇佐神宮の裏山だそうです)の裏山にある「佐田」という場所。
ここにはなぜか製鉄関係の施設があったとか。

この話題になったきっかけは、
「菅原道真公の大宰府行きは、左遷ではなかったという話を聞いたことがあるんですよ。土師(菅原氏の前身)氏は製鉄に深い関係があったため、製鉄が盛んであった北九州へ自ら向かったって」
なんていう話をしたときでした。

chacoさんは、
「あぁそういえば、大宰府(これまた勘違いの引用(^^ゞ宇佐神宮が正解っす!すんません!)の裏山のところに『佐田(さだ)』という地名があるんですが、なぜかそこに製鉄小屋(という表現をされたと思います)があるんです。なんであんなところに……っていう場所なんですよね」
とおっしゃったんですよね。

私が引っかかったのは「佐田」という地名でした。
大阪に蹉跎神社という神社があるんです。
この神社もまた「さだじんじゃ」と読みます。

そしてこの神社もやはり、菅原道真公と深い関係がある。

菅公左遷の折、この地で一旦休息をし、そして愛娘である苅屋姫とここで別れた……と。

なぜこの地に愛娘を置いていったのか?
……と考えると、「さだ」には何かがあるのかもしれないですね。

とまぁ、話の内容自体はとりとめがないながらも、やはり違う土地で育った人と情報交換をするのはすごく興味深い。

そうこうしてるうちに、バスは平城宮跡に到着したのでございます。

会場は……広い(笑)
何しろ都があった場所の跡が会場ですもんね。

バスを降りて、今回一番の呼び物であるところの第一次大極殿の建物を探すと、
「あら~、はるか向こうなのね~」
というぐらい遠くにあります(^^ゞ

とりあえず昼ごはんを食べましょうということで、エントランス広場のフードコートに入り、平城京遷都祭りにきたくせに、ネパールカレーを食べました(^^ゞ

その後すぐ、いきなり向かったのは、お祭りと関係ない、宇奈多理坐高御魂神社。
地図では会場の中というようにも見えてましたが、なにしろ会場が広いんで、そこへたどり着くのが結構大変でした(^^ゞ

途中で、東院庭園広場を経由しましたが、なぜこんなに浅い池が作られていたのか、それが一番気になった(笑)
0508nara.jpg

東宮の居所だったと説明にはありますが……こんなに浅い池じゃ魚を飼うこともできないよねぇ?

とはいえ目的は神社だったので(ヲイヲイ)、ここでじっくり謎を解明することもなく通過。
神社は鎮守の森の中にありましたが、なんとなくさびしい佇まいでした。

おまけになぜか、本殿へ入るための門が封鎖されてるし??
門の外から参拝を済ませ、次に向かったのは、「平城京なりきり体験館」でした。

特に何か目的があったわけじゃなく、「建物が見えたから」という理由なんですが(^^ゞ

「天平衣装体験」は人気だという前評判を聞いていたので、「とりあえず様子を見るだけ」と思ってたんですが、この日はほとんど待たずに体験できるとのこと。

「こりゃラッキー」
と体験することにしました。

0508ishou.jpg

なんつぅかかんつぅか。

「歩きづらい」
がすべての感想でした(笑)

最後に向かったのが、メインの呼び物であるところの、太極殿。
0508taikyokuden.jpg

中はフラッシュ禁止とはいえ、撮影自由。

割と自由な雰囲気です。

ま、「復元」ですからねぇ(^^ゞ

天井付近に書かれていた四神の絵や、十二支の絵は独特で面白かったんですが、資料を見ると、
「当時の資料が残ってなかったから復元は大変だったんだよ~!」
という苦労話が書かれていましたから、これらの絵も当時のものってわけじゃなさそう(^^ゞ

「独特」だけど、当時のものじゃないならあんまし意味ねぇか。
現代の絵師さんのイマジネーションによって描かれた作品なのなら、あの独特さも頷ける(笑)

てな感じで、本当にざざっと周っただけですが、それでも会場に3時間ぐらいいたかな。
広いので、移動だけでも結構時間がかかります。

赤膚焼きの製作体験などもやろうと考えているならば、半日から一日は時間をかけた方が良さそう。

私個人はかなり楽しんで帰ってきました。

でも、帰りのバスも待たずに乗れたし、座れたし……。

もっと旅行客に来てほしいなぁと思ってしまいましたですわ。
いや、空いてる方がいいんだけどさ。

とはいえ、個人的には、ここメイン会場よりも、お祭りの会期中に行われる、さまざまな寺社での特別開帳などの方がお薦めだったりします。

例えば、吉野山金峯山寺の蔵王権現特別開帳にはぜひ足を運んでいただきたい。
あれはすごい仏像だったと思います。

信貴山絵巻も公開されますが、これは確か毎年一部が開帳されてたかな?

一度見ておいていただきたいものがこの期間中に公開される予定になってるようです。

そしてその後、できれば平城宮跡の会場にも足を運んでいただいて、にぎやかしていただければなぁ……と。

奈良好きの私としては思うのでした(^^ゞ

さ、今日はUSJです。

遊んできます!!
日焼けしてきまっす!!!!!!!

……昨日一日で、もう真っ黒なんですけどね……ふふふふふふふふふふ。
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うわっほ~い♪

あーーーっ! 私が登場してる(^▽^

んでね。 これまたお手数をお掛けして申し訳ないのですが、
直リン教えてくださいませm(_ _)m

で、更に申し訳ないのだけれど、佐田があるのは「宇佐神宮の裏山」でする。
佐田から連想したのは、スサノオでした。 それから、mayoさんによれば、
宇佐の製鉄は中国よりも古いという一説があるようです。
それにしても見世物小屋の話は、すっかり記憶から無くなっていました(==;
そして、これは私がのりちゃんに謝らなければいけないのですが・・・
見世物小屋は箱崎宮でした。(記事になった後でごめんなさい(><))
大分の賀来神社と同じく、歴史は古いと思います・・・。

このページのURLは

http://noriobachan.blog56.fc2.com/blog-entry-478.html
です。

で、すいません(^^ゞ
おもっきり勘違いだらけでしたね(^^ゞ

バスの騒音がすごくて~(←言い訳)

オアシス

のりちゃんこんにちは!

浅い池ですが・・・故郷を忍んで造られたオアシスではないのかしら。何世代前かは知らねど、故郷というのは中近東ペルシャ。二シャプール、クラサーン(コーラサン=コーヤサン?)コム=首都テヘランの近く・・・あるいはスサの有るチュニジア。

春に平泉の「毛越寺(もうつうじ)」に行った際小池に船が浮かび回りの松の枝振りなどを眺めた時の印象が強く、その印象がやはりこういう作りの池をなぜわざわざ造るのだろうと考えたときひょっとして「松」はほんとうは椰子のつもりかなと妄想いたしました。

アールデコさん

コメントありがとうございます。
そういう考え方もあるのですね。
オアシスのイメージだと言われたら、たしかにそうかもしれません。
面白いですね!

発想が一つ広がりました!
ありがとうございますm(__)m
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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