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妹背

「妹背」という言葉が好きなんです、私。

「妹背」は、「いもせ」。
「いもせ」は、「妹兄」と表記することもできます。

とすると、兄と妹のことかと思われるかもしれませんが……。
ちゃいますよね。
夫婦のことです。

私はこの言葉を「日本版の『ベターハーフ』」と想ってます。

でも、「それじゃあ、兄と妹のことではないんですね?」と言われると、そうとも言い切れないんですわ。

今昔物語の中に、「妹背島のこと」という短編があります。

両親が仕事をしている間、船の中で遊んでいた兄と妹。
その船が流されてしまい、二人は四国の伊予近くにある小島に流れ着きました。
そして二人はそこで結婚し、始祖となったのです。
そしてその島を「妹背島」と呼ぶのです。

ただそれだけの話ですが、この二人は、兄と妹であり、かつまた夫婦でもあることがわかるでしょう。

日本書紀に登場する、日本最初の夫婦神、イザナギ・イザナミも兄妹です。

よくはわかりませんが、夫婦というものは、生まれながらにして夫婦である。
夫婦は夫婦として生まれてくるのだ……という考えが、この「妹背」という言葉の中にはあるような気がするんですね。

昨日の史学研究会で、代表者である田中久夫先生は、
「元明・元正天皇と光明皇后と孝謙天皇と」
というタイトルで、3時間にもわたる研究発表をされました。

田中先生はたぶんもう60歳は越えておられると思うんですが、すごくお元気で、挑戦的な研究をたくさんしてはるんですよ。

今取り組んでおられるのは、古代日本が母系社会であったに違いないというテーマみたいです。
先生曰く、「古代の皇后は必ずしも天皇の妻ではなく、『皇后職』という役職だったのではないか」。

……研究者の間ではブーイングの嵐だそうですが(^^ゞ
発表の後の質疑応答の際、
「なんでも聞いて。この説について反論されるのはもう充分慣れてるから」
と多少開き直った雰囲気でおっしゃってました(笑)

先生は沖縄でも熱心にフィールドワークされています。
沖縄では、一番偉いのはもちろん君主ですが、次に偉いのは巫女さん。
聞得大君(きこえおおきみ)ですよね。

仲哀天皇と神功皇后の話を読むに、古代日本でも、皇后がこの聞得大君のような役割を果たしていたのでは……という発想は突飛でもないような気はします。

ただ個人的には、「天皇と皇后はそれぞれ国を治めるための役職で、夫婦ではなかった」というよりも、「天皇と皇后はそれぞれ国を治めるための役職で、かつ夫婦になるようにして生まれてきた」と考える方が、しっくりくるわけなんです。
二人は、「兄」そして「妹」として、他者とはまったく聖別されて生まれてきた。
と。

ただ、昨日の研究発表は、孝謙天皇についてのお話しが中心でした。
改めて彼女の事跡をたどると、面白いねぇ……(^^ゞ
間違いなく彼女は、日本史上まれにみる傑物だったんじゃなかろうかと思う(笑)

女性ながら天皇となり、女性であるから……と、母親の愛人であり朝廷内での有力者でもある藤原仲麻呂が、いいようにしようとすると、
「なにすんねん!!!!!」
とばかりに肘鉄食らわせる。
一旦は上皇職に退くも、次の淳仁天皇が自分の思い通りにならないと、
「新しい天皇は不敬だから、やっぱり私が天皇をやる!!」
と重祚。

この女帝は、なぜこんなに力を持ってたんですかねぇ?
よっぽど頭が良かったのか、それとも何か不思議な力でも発揮したのか?

日本史上、重祚したのは、この女帝と、そして皇極(斉明)天皇の二人だけですが、この二人の事情はまったく違う。
皇極天皇は自分の意志で重祚したわけじゃなかろうけれど、孝謙天皇は、自分の意志で、しかももぎ取るようにして重祚してるのが、すごいなぁと。
しかも重祚してその名を「称徳天皇」。

彼女の腕力でも、弓削道鏡を天皇にすることはできなかったってのもなんだか象徴的な話である気もしますが。
この二人の場合、称徳天皇が「兄」で、道鏡が「妹」だったんじゃなかろうかとか。
だから、道鏡が「皇后」になるのならアリだったのではとか、いろいろ想像しちゃいます(^^ゞ
いやはや面白い。

そういえば、数日前、かぐや姫について新発見があったとニュースになってましたよね。

えぇっと……。

かぐや姫:月でなく富士山に登った伝説の根拠、富士市に 企画展で文献公開中 /静岡

かぐや姫。
竹取物語は、日本最古の物語だと言われてますが、この物語にはモデルがあったとも言われます。
たとえば、五人の貴公子の中に一人は、藤原不比等だと言われます。
ということはつまり、かぐや姫はちょうどこの孝謙天皇の時代か、それより少し前の女性ということになるでしょう。

私は、林羅山の「本朝神社考」を持ってるんですが、「かぐや姫」しか読んでおりません。
つ~か読めねぇっつの。
だって、活字じゃないんですよ。筆書きしたのをコピーしてあるだけの本なんですもの。
読めるかいっ!!!
でも、かぐや姫だけは興味があったんで、死ぬ気で読みました(T_T)

この本の中で、かぐや姫は、天皇から求婚され、富士山に逃げたと書かれていました。
そして天皇が富士山まで追いかけていくと、岩の陰に呼びいれた……と。
そして彼女は富士山の神となったと。

以前、仕事でこのあたりの原稿を書いたとき、
・富士市の西方に「比奈」という地域がある。
・「比奈」はひな、「姫名」「姫奈」というかぐや姫の「姫」という名前から生まれたといわれている。
・比奈にはかぐや姫の生まれたという伝承が残っている「竹取塚」という場所があり、かぐや姫は竹の中からではなく、「鶯の卵」から生まれたという伝承が残っている。

と、地元の方からの情報をいただきました。
竹ではなく鶯というのも興味深い話ですよね。

そしてもう一つ、
・富士市にある「米之宮神社」のご祭神は、富士宮の浅間神社のご祭神と仲が悪く、どちらかの大祭の時に雨が降ると「あちらの神さんが怒っている」と言う。

などという話も。
米之宮神社のご祭神は米之宮神というお名前なので、どういった神様かはわからないんですけどね。
一度参拝してみたい神社ではあります。

と話が逸れましたが……。
つまり、かぐや姫が結局帝と結ばれているのならば、姫が逃げたのは、いわゆる「花嫁の呪的逃走」であったということになりますよね。

彼女はしかるべき手順を踏んで帝の「妻」とはなったけれども、皇后とはならずに富士山に登り、浅間明神、浅間大菩薩……つまり、神仏となった。

……この筋書きを見ると、作者はかぐや姫を、「天皇より偉い女性」として描いているように思えません?
天皇は、かぐや姫とは「妹背」とはなれなかった、と。

そんな女性にモデルがいたのかどうかはわかりません。

わからないんですけどね。
でも、孝謙天皇の時代の少し前には、持統天皇から、元明・元正……と続く女帝三代がありました。

なぜ女帝となったかというと、その時代、皇室にしかるべき男性の存在がなかったからですよね。
つまり彼女たちには、「妹背」となるべき相手が見つからなかったか、それともその相手に早逝されてしまったか。

そんな女帝たちと、かぐや姫の姿は重なるような気がしたりしなかったり(^^ゞ

なんにせよこの時代は面白いなぁ……。

なにはともあれ、いろんなものを「妹背」を一つの単位として見ると、なんだか少し面白い発見があったりするのです。はい。
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Author:のりちゃん1968
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