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ミクロとマクロ

写真を撮ろうとして、「あれ?」って思うことが結構あります。

見事な紅葉の写真を撮ろうとして、アップにすると……、
「あれ?」
以外と葉っぱ一枚一枚はそんなに綺麗じゃなかったりするんですよね。

満開の卯の花……そばに寄ってみると、多くの花の先が茶色くなっちゃってる。
う~ん、どこをどういう風に撮影すれば綺麗に見えるだろ……。
全景を撮ればいいんですね。

それを構成する一つ一つは完璧じゃなくても、全体としてみると、大変美しい。
それなら、全体を見ればいいんじゃないかなどと思ったりします。

世界というものを全体から見渡せば、マクロな視点で見れば、美しいものなんだと思うんですね。
だけど、私たちはミクロの世界に生きています。
だから、時折は、意識してマクロな視点で見なきゃ、バランスが悪いよなと思うんだけど……。
何しろ、日常がミクロだからなぁ(^^ゞ
なかなかに難しいことです、それは。

足利事件で犯人とされた菅家さんが冤罪とわかったとき、真っ先に思ったのが、
「林真澄死刑囚はどうなんだろう?」
ってことでした。

非常に疑わしい人物ではあるけれど、「充分である」とされる状況証拠は、果たして10年後にもなお、「有効」とされる程度のものなんだろうか、と。

で、予想されたごとくに、再審請求
その記事を読んで、まず目に止まったのが、「安田好弘」という名前だったりしました。

光市の母子殺人事件の弁護団代表ですね。

人権派弁護士っていうくくりにもいろんな人がいると思います。
売名行為だけの人ももしかしたらいるかもしれないし、本当に困っている人のために働いている人もいると思うし。

上記弁護士さんが、どういう方なのかはわかりませんが、ただ、私にはあの弁護内容は、あまりにも醜いと思えました。

後から、法律に詳しい知人に聞いたら、
「片手で首を絞めている」
などの状況証拠から、「殺意がなかった」と言う点を強調するほか、弁護士としては弁護のしようがなかった。だから、方針としては正しかったと思う。

というようなことを聞きましたが……。
でも、やっぱしあの内容は美しくない。
なんだかとっても美しくないと思えました。

私には、「被告人が遺族に謝罪する機会を永遠に奪ってしまっただけ」と映りました。

だけど、この弁護士さんの頭の中は、「被告を死刑から逃避させる」ってことに目的が集中してるんだろうなとも。
それが良いことなのか、悪いことなのかはわかりません。

私は、「人が人を裁くのは驕りである」というような意見は嫌いです。
人が人を裁かなくて、誰が裁くのか、何もかも神に裁いてもらおうというのでは、自立しない子どもと一緒じゃんか、と。

だけど、「死刑」を「人の死」に注目して見てみたらば、また違う感想を持ったりします。

世の中に取り返しのつかないことはいっぱいあるけれど、その最たるものが「死」だと思うからです。

死刑執行の後、冤罪がわかっても、もう取り返しがつかないんですよね。
そういう意味では、死刑廃止論にもうなずけるものがあったりします。

安田弁護士といえば、オウムの松本智津夫被告を弁護して、書類の提出を引き延ばし引き延ばしにした~~~……とか。
光市裁判では、最高裁の口頭弁論を欠席して、愚にもつかない弁論を展開した~~~……とか。
なんとなく「手段を選ばない人」という印象を持ってもしまうんだけれど、その一つひとつを持って、この弁護士の思想やら考え方やら、人となりやらを「美しくない」と決められるものでもないのでしょう。

全体を見れば、もしかしたら、ものすごく立派なのかもしれないな……とかちょっと思ったのでした。

この弁護士さん、よく名前を見るけれど、有名な事件の弁護人をよく引き受けてはるんですよね……。
でもそれは、彼が売名行為からそうしているわけではなく、誰も引き受けたがらない裁判を引き受けているからという見方もできるわけで。
和歌山カレー事件も、「たっての希望で」ってことで、この弁護士に依頼があったという風に報道されてるみたい。
それをどう見るか……いろんな見方ができるのでしょうね。

で、全体を見ようとするならば、その器がどれだけ大きいかというのは、重要な要素になってくるかもしれませんね。

「小さな花も大きな花も綺麗」
っていうけれども、人間の器ってのは、「小さな花・大きな花」っていう区分とはまた違うと思うんですよね。
どれだけ、「無私」になれるか「他利」を考えられるかだと、私は思ってます。

視点をどの高さに設定できるかってことかなと思うんです。

高ければ高いほど、視野が広い。
その視野と器の大きさってのは、比例してるのかな~とか。
だって、自分のことしか考えてない人を見て、「器がでかいなぁ」とは思わないですもんね。

でも、「この人はお人よしだなぁ」って思う人と話しをしてて、本人は世界のこととか社会のこととかにほとんど興味を持ってなかったとしても、「器でかっ!!」って思うこともあるので、意識の問題だけでもないのだろうと思いますが……。

う~ん、よくわかりませんが、なんともかんともう~ん。

人の視点の位置はいろいろです。
高さだけじゃなく、東や西や、南や北、いろいろ。

カレー事件において、安田弁護士はどこに視点を置いてるんだろう。
再審の場が設けられたとして、どういう風に弁論するんだろう。

林真澄被告について改めて思うのは、彼女はあまりにも「ミクロな証言」でしか見られてないってこと。
「ちょっと変な人」という近所の奥さんの証言とか。
「旦那さんがヒ素中毒になった」という事実とか。
林真澄被告が全体としてどういう思想の持ち主で、どういう生き方をしてきた人なのかがあまりにも見えてない気がします。

ということで、なんだかすごく、注目してしまうのでした。
う~ん。
どうなんでしょうね。
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こんにちは!

いいこと書いてますね。感心しちゃいました。
ミクロとメクロの視点、確かに! バランスよく持ちたいですね。
安田弁護士、あらためて注目してみたくなりました。凄腕の弁護士さんっていう漠然とした印象でしたので・・・きっと、いい弁護士さんなんでしょうね。
カレー事件やオームの麻原担当を弁護した真相も興味あります。単に人がいいだけでなく、弁護士という職務の本質が、そこにあるような気がするんですが、はて?どうなんでしょうか・・・・。

こんにちは

バランス良くいるってのが、結局は一番難しい気がします(^^ゞ

安田弁護士については、いろんな見方ができると思うんです。
個人的には、「正義」のバランスがあまり良くない方のように思えますが、でも、そういう人もいないとダメだと思うんですよね。
いろんな人がいて、全体としてバランスがとれるってところもあると思うので。
バランスとは別に、人一人が、極端であるためには、それなりの勇気がいると思います。
埋没しておきたいっていう人の方が多いと思うんですよ。
その方が楽だから。
でも、この弁護士さんは、極まることを選んだ。そのことの善し悪しは別として、注目したい人物だと思ってます。

すべては無へ

なんと!
なんて濃厚な内容のレポートでしょう!

巨視的と微視的感覚
司法とビジネスに対する心構え
そして、死という不可逆性への悩み

こんばんは~

さて、私が眠れなくなる問題を
一気に掲げていただいた感じで
響くものがたくさんありました
ありがとうございます

弁護団に対して「醜い」という表現に、
おいおい!
そりゃおかしいやろぉ~
そんなことやったらあかんやろぉ~
という感じが伝わります
「醜い」という感覚に
「美しい」という比較対象が存在することが分かり
「美醜」という感性または判断基準が人に備わっていることに
のん様の良心の存在を強く、尊く思います

ここで、比較対象という、一対のものが見えてきます
生死もその一つ、簡単なところでは
前後、南北
その片われの存在を認識するとき、
自ずともう一つの片われの存在を引き寄せていることに
レポートを
読んでいて気がついたんです

自然界というか、科学の世界では
正と負と呼ばれ
これは引き合うようにできています

うまく説明できないのですが
自然界は、この融合を求めて発展しているのではないでしょうか?
(男女の融合もそうですよねー!)

そこにすばらしいもの?「無」という境地を
開こうとしているように思い至りました

現在の科学の仮説では、ビッグバンが宇宙の始まりなら
その果ての「宇宙の死」も存在することになっています
証明は果たされていません
ブラックホールという何でも吸い込んでしまう存在に科学はその仮説を立てました
「宇宙の死」
すなわち
その外側のない空間にゼロまで収束し、
次の1秒のない時間で終わる
想像もできないことが科学の世界では繰り広げられ
すべては無に帰するために進んでいると仮説が立っていると言われています
時間と空間で隔たれた生と死の融合がここに完結します

それは、とても儚いことのように思うのですが
宗教が果たしてくれた役割は
神の意志を推し量るため
人類が遣わされていると説いています

では、なぜ私たちは生きるのでしょうか?
宇宙の極微小存在
その極微小存在は、鼓動を打ち、地に立って、天を仰ぎ
今日も神の意志(マクロ)を解き明かそうと必死で
わが存在の価値(ミクロ)を求めているようです

ん~、まだまだ悩むのだ~
”若旦那~、なんり、深感恩

美醜

美醜の判断も人それぞれの感覚によるものなので、これまた絶対的なものでは決してないのですが……。
光市の事件におけるあの弁護活動は、「人」に対する敬意というものが決定的に欠けているように思えたのでした。
それは、被告の「人」に対しても、被害者の「人」に対しても、遺族の「人」に対しても。
人は本来美しいものであると信じている人の弁論と思えなかったのです。
そういう人が……人を美しいものだと信じられない人がなぜ、死刑廃止を唱えるのだろう……とも。

ただ、「とにかく、まず死刑回避が先決。そのためにはああいう弁論方法しかなかったのだ」と言われれば、そうなのかと言わざるを得ませんよね。

人間は自分の器でしかものを計れませんから、その小さな器でもって何かを批判するよりも、なるべく多角的に眺める努力をする方が有益かもな~と思います。

>比較対象という、一対のもの

若旦那の言うてはる意味とは違うかもしれませんが、例えば、「人に尽くすために何ができるかといつも考えている人」と、「人から何をやってもらえるかばかり考えている人」ってのは、対照的な一対ですよね。
この一対が引きよせられてしまったら、前者がいつも苦労することになるような気がします。
若旦那は前者ですよね。だから、「ただで何かやってよ」っていう人を引き寄せてるところは確かにあるような気がする(笑)
だけど、結果として、若旦那がババを引いているかというとそうでもないんじゃないでしょうか。
若旦那のような人に好感を持ち、若旦那のような生き方をしたいという人が集まってきて、とても良い輪ができて、人生に幅がでるんじゃないかと思います。
それは、もし人から何かやってもらうことばかり考えている人が、運よく人からいろいろやってもらうだけで生きていけたとしても、それよりもずっと良い人生ですよね。そう私は思います。

いろいろ悩むし、いろいろ首をかしげてしまいますが……結論として、自分は自分を誇れる自分でいられるように、自分のことよりも世界のことを考えられる自分でいようといつも自分の身を引き締めているしかないと思います。

だから、私は、そうであれるように、なるべく自分の周りを「気持ちよく」しときたいんですよね(^^ゞ
自分が小さいってわかってるから(笑)

なんにせよ、私には、若旦那はものすごく器のでかい人だと思えます。はい。
一緒に前向きに悩みましょう!!
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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