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昼は人が 夜は神が

近つ飛鳥博物館のチケットがあったので、昨日はその展示を観に行ってきました。

テーマは、「前方後円墳の成立」。

タイトルは、「卑弥呼死す、大いに冢をつくる」

「冢」は、「塚」。
つまりは、古墳のことみたいですね。

さて、卑弥呼という人物は、日本の史書には登場しません。
いや、登場してたのかもしれませんが、卑弥呼の時代……2~3世紀……の書物は、日本には残っておりません。

日本最古の書物とされているのは、日本書紀。
日本書紀が成立したのは、720年とされてます。

しかし、日本書紀編纂者は、魏志倭人伝の存在……ひいては卑弥呼の存在を知っていたのではないかと言われています。
というのも、卑弥呼を意識したと思われる女帝が登場するからです。
その名は、神功皇后。
そして、倭迹迹日百襲媛命(やまととととびももそひめ)。

二人とも重要な人物ではありますが、明治~昭和戦前にかけては、神功皇后こそが卑弥呼であるというように、学校で教わったのだとも聞きます。

で、今、奈良の桜井市、つまり三輪山の麓にある市では、
「我が市こそが、邪馬台国である」
というPRを盛んにしてはります。

というのもですね。

倭迹迹日百襲媛命の墓である古墳……箸墓古墳に調査が入っているからです。
そしてどうやら、その調査では、いろいろと重要なものがでているらしい。

そういや、こんな記事もありました。
石室囲む「玉垣跡」発見、全国で初 桜井茶臼山古墳

副葬された鏡も日本最多級で、墓に玉垣跡が見つかったのは、全国で初めてだそうな。
古墳時代前期の前方後円墳だから、卑弥呼の時代よりは後ですね。

さて、それでは、倭迹迹日百襲媛命とはどのような人物なのでしょうか。
彼女については、
巫女として重要な予言を的中させたこと。
そして、三輪山の神に思いを懸けられ、夫婦になったこと。
しかし、神の正体を見て驚いた為、神の怒りを買ったこと。
そのことを後悔して、陰部に箸をつきたて、自害したこと。
彼女の墓は、昼は人が、夜は神が造ったということ。
などが日本書紀に載っています。

陰部に箸をつきたてて自殺するということの意味は、いろいろ取り方があるでしょうが、
「神の子を宿す」
ということについての暗喩ではないかというのは、多分、間違ってないんじゃないかという気がします。

ただ、それが具体的にどういうことなのかというのは、想像するしかありませんが。

つまり、もし日本書紀の記述が嘘偽りのないものであるのならば、彼女が、
「ごくごく優秀で特別な巫女」
であったことは間違いがないと思う。

それが卑弥呼と重なるといえば重なります。

そして事実、箸墓近辺は、古代、ひじょうに重要な「国」があったらしいことは、今までの調査でわかってきているよう。

でも、
「それでは邪馬台国は箸墓近辺にあったのですね?!」
と言うのは、私はものすごく早計だと思ってます。

箸墓の周囲に、古代栄えた都市・国があったことは、多分間違いないでしょう。
でも、なぜ、それが邪馬台国でなくちゃいかんのだ、と思うんですよね。

「中国の史書には載っていない、力のある国が、箸墓にはあった」
では、なんでいかんのだろう???

「あまりに栄えすぎて、あまりに力がありすぎて、当時の中国の王が、敢えてその存在を無視せざるを得なかった王国が、箸墓にはあった」

って思う方が、よっぽどロマンがあると思うんだけどなぁ???

個人的には、なんでそんなに邪馬台国がもてはやされるのか、よくわかってません。

だってさ、だってさ。
「魏志倭人伝」
なんでお大層に言ってるけど、この書物、全部で65巻もある「三国志」の中の、その半分近くを占める30巻の「魏書」の、そのほんのほんのほんの一部、「倭人」について伝えた、たった一条なんですよ?

私たちが読もうと思うなら、岩波文庫から出てるのが一番手軽だと思いますが、魏志倭人伝の本文はたった15頁。
しかも半分以上は、訳注です。

その程度の扱いをされてるだけなんですって。邪馬台国は。
しかも、「倭」って言葉の意味はご存知ですか?
「支部」的な意味です。
つまり、中国の「支部」「属国」でしょ?

中国の支配も受けず、中国の影響もうけない、もっと独特で、もっと華やかで、もっと栄えた国が、三輪……箸墓にはあったと考える方が、私は楽しいけどなぁ。

と、またまた非常に長い前振りにはなりましたが。

昨日の展示は、なかなかおもしろかったです。

古墳の副葬品には、さまざまなものがあるようです。

弓矢や剣などの武器。
首飾りや腕輪などのアクセサリー。
水甕や皿などの食器。

死者が、「あの世」で、何不自由なく生活できるために、さまざまな高級品が埋葬されたようです。

今回は、鏡が多く展示されていました。

当時の技術で、どうやってこんな深く鮮やかで美しい模様を刻むことができたのだろうとも思いましたが、それよりもやはり、純粋に、「綺麗だな」というのが素直な感想です。

ただ、展示の横に、模様についての説明があって、
「これは西王母で、これは東王父で、これは黄帝」
なんて書いてあるのを見ると、
「なんでそれがわかるんだろう???」
と首をかしげてしまいましたが(^^ゞ

だって、ぱっと見た感じ、それが男性か女性かさえよくわかんないのに(^^ゞ
それが、道教の特定の神様だとなぜ言いきれるのか(笑)

まぁ、なんか見分けるための特長があるんでしょうけどね。

で、今回、一番強く感じたのは、
「古墳時代、道教の神々は、多く日本に入ってきているのだな」
ということ。

そして、そうならば、その神々は、もちろん日本の神々と融合したりしたとおもうんですよね。
でも、その割には……日本の神々に、道教的な色合いが、あまりにも薄いような気がする。

確かに、イザナギが黄泉の鬼たちに、桃を投げつけたのは、道教的な思想だとおもう。
だけど、もっと根本的な、カラーが、日本神話と道教神話では、差異がありすぎるような気がするなぁ。

と、思うのは、私が縄文神話好きだからでしょうか(笑)

とはいえ、数多い日本神話のうち、どれが縄文人の伝えた神話で、どれが弥生以降の神話かなんて厳密に区別できませんけどね(^^ゞ

ただ、「因幡の白ウサギ」なんかは、まったくそっくり(兎は鹿になってますけど)な神話が、インドネシアにあったりして、とすると、海洋民族が日本に伝えた神話が少なからずあったことは間違いないとおもうわけで。

もう、独断と偏見で、「この神話のエッセンスには、海洋民族の香りがある!!」なんて決めつけたりしてます(笑)

あぁ、話しが逸れまくった(^^ゞ

邪馬台国が、縄文時代から続く人々の国であったということは、「男たちは鯨面す」という文面から、そう考えられているようです。
鯨面とは、顔に施した入れ墨のこと。

ポリネシア人とか、アボリジニとか、いわゆる海洋民族の末裔とされる人々は、現代でもまだその風習を残してますね。

さて、それでは、箸墓にあった王国は?
縄文時代から続く古い王国だったのか。
それとももっと新参の勢力が、またたく間に作り上げた王国なのか?

そんなことを想像する方が、ずっと楽しいとおもうんだけどなぁ、私。

でも、博物館の展示はかなり面白く。
もう一枚(一枚で二名入場可能)あるんで、期間中、時間があれば、もう一度行ってみようかな?
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
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