苦行
あほ犬のえさ、固いうちに粉々にする案、実行しました。
ビニール袋に入れて、上からすりこぎで叩いたんですが……。
あきまへんわ(T_T)
袋が破れる(>_<)
でも、そこでまたふっと思いつきましたよ。
「ビニール袋に入れるまではよかったんちゃうん?」
って。
餌をビニール袋に入れてから水も入れ、手でもんでぐちゃぐちゃにすれば早いんちゃうん?
ねぇ。
これ、ほとんど正解ちゃいます?
ってことで、今朝はこの手法を実験。
お~楽だ!!
これで朝の支度、大幅時間短縮できるかもよ??
さて。
昨日は午後からずっと、「インド神話」を読んでました。
うちにはヴェーダ神話やらウパニシャッドなどもありますが、これらは詩ですからねぇ。
雰囲気はわかるし、何が崇拝対象かまではわかりますが、全体的な流れはイマイチ理解できませんでした。
そこで購入したのが、ちくま文庫の「インド神話」。
マハーバーラタや、ラーマヤナ、あとはジャータカなどからインド神話を引っ張ってきて、比較&紹介された本です。
すごくわかりやすく作られてるんだと思いますが、なんせインド人の名前って覚えづらいんすよ(>_<)
ヴァイシュラヴァナ、ヴァイシュラヴァス、ヴィシュヴァーミトラ。
三柱とも、別神格です。
ひ~ん、こんなん覚えられるわけないやろ~~~~~~!!!!!!
……ってことで、何度も読み返さなくてはならず、たった300ページほどの本にてこずっております(^^ゞ
ちなみに、ヴァイシュラヴァナの別名は、クベーラ。
毘沙門天の別名とも書かれています。
ここもややこしいんですよね。
ヒンズーの神々は、日本にやってきて、仏教神となってたりしますが、もともとの性格と変わってるんですよ。
毘沙門天と言えばどんな神様だと思います?
武神じゃありません?
黄金の鎧を身にまとい、虎に乗り、大きな槍を持つ、力強いお姿を連想します。
が。
クベーラの別名は「財主」なんですよね(^^ゞ
なんか違うでしょ?
ここでまた、頭がぐっちゃぐちゃになる(笑)
でもいちばんの問題は、そこじゃありません。
私をもっとも悩ませているのは、道徳観の違いです。
日本の場合、神は正義であり、至高の存在です。
だからこそ、乱暴者のスサノオが、神々の悪を一身に背負わねばなりませんでした。
でもインド神話はそうではない。
神は罪のないものを殺すし、無責任なことを言う。
でも一番の相違は、神よりバラモンの方が力を持っているということでしょう。
バラモンが苦行をすると、その身に威光を身に付け、神の力を凌駕してしまう。
だから神は苦行の邪魔をしに来るわけですね。
その根底には、厳然たるカーストがあります。
社会科が大の苦手だった私でさえ、カーストのことはよく覚えていますから、ほとんどの方がカーストとはいかなるものかご存知じゃないかとも思うのですが、蛇足ながら説明しておくと、カーストには二つの種類があります。
一つはジャーティと呼ばれる区分。
これは「職業」とほぼ同じ意味みたいですね。
たとえば、「靴職人のジャーティ」みたいに。
もう一つは、ヴァルナと呼ばれる分け方。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4種類からなります。
バラモンは僧侶、クシャトリアは武士や王族、ヴァイシャは平民、シュードラは奴隷ですね。
でも実は、ヴァルナを持たない人も相当数存在し、彼らは、アチュート、不可触民と呼ばれますね。
ダリットという呼び名の方が知られているんでしょうか?
インドでは、建前上、「カーストはなくなった」とされています。
が、それは嘘らしいですね。
まだまだカーストの感覚は残っており、ダリットたちは、とんでもない境遇で暮らしているようです。
つまり、何をされても文句が言えない。
もちろん警察も動かない。
よく一緒に仕事をするカメラマンが、
「ネパールの人々を撮影に行ったんですが、カーストだけはどうしてもなれませんでした。上位カーストが下位カーストを殺すなんてことが日常茶飯事なんですよ」
と眉をしかめながら教えてくれました。
差別はくっきり残っているのですね。
現代でさえ、です。
その昔はもっとひどかったと想像しても、あながち間違ってないんじゃないでしょうか。
バラモンは、何をやっても許されるようです。
たとえば、バラモン教最高の神であるところのインドラは、クシャトリアの階級にあたるそうなんですが、神々をおびやかすバラモンを殺すと、インドラは力を失ってしまいました。
インドラは最高神ですよ?
それでも、クシャトリアである限り、バラモンより力がないのですね。
う~ん……。
また、苦行さえすれば、どんな人間でも、ブラフマン(宇宙原理)の恵みを受けることができるという思想もなじめない(^^ゞ
ある人食い鬼は、10の頭を持っていて、その一つ一つを切り離し、火に投入するという苦行を行いました。
すると、ブラフマンは彼に、不死身の肉体という恩寵を与えたのでした。
……ね?
日本神話だったら、人(それは同時に神をも意味すると思います)喰い鬼がどんなに苦行をしたって、不死身の体を与えるなんてことはあり得ないと思うんだな。
しかしまぁ、それが「宇宙原理」なのだという発想なのかなぁ???
もういろいろつっこみどころが多すぎて(笑)
ただ、こういう土壌があったからこそ、お釈迦様は「解脱したい」と考えたのだなとも納得できます。
「解脱」ってわかります?
カーストでは、現世では決して位を変わることができません。
ただ、現世で苦行を積めば、生まれ変わったとき、上位カーストに生まれ変われるのだと考えます。
つまり、バラモンたちが大手を振って悪行を行うのは、
「過去に苦行をしたんだから、これぐらいの悪行は当然だ」
という発想があるんですね。
ムカつく~~~~~~!!!!!!
で、「解脱」ってのは、「もう生まれ変わらない」ってことなのだそうです。
……と、橋本治は「宗教なんて怖くない」で書いてはりましたし、インド神話を読めば、「そうなんだろうな」と思います。
なんにせよ、バラモンたちは、「自分たちは神より偉い」って思ってるわけですよね。
なんだかなぁ。
宗教にはいろいろな面があり、それぞれ一長一短あると思います。
が、「自分より偉いもん」(BY某知人)のない宗教って、害悪しかない気がする。
せめて、「一番偉い人たち」は、他の人たちの手本となるよう、自覚をもってふるまってもらいたいものだと、読みながらつくづく思ったのでありました。
今週からちょっと忙しくなるので、今日の午後には読み終える予定です。
……読めるかなぁ(^^ゞ
ビニール袋に入れて、上からすりこぎで叩いたんですが……。
あきまへんわ(T_T)
袋が破れる(>_<)
でも、そこでまたふっと思いつきましたよ。
「ビニール袋に入れるまではよかったんちゃうん?」
って。
餌をビニール袋に入れてから水も入れ、手でもんでぐちゃぐちゃにすれば早いんちゃうん?
ねぇ。
これ、ほとんど正解ちゃいます?
ってことで、今朝はこの手法を実験。
お~楽だ!!
これで朝の支度、大幅時間短縮できるかもよ??
さて。
昨日は午後からずっと、「インド神話」を読んでました。
うちにはヴェーダ神話やらウパニシャッドなどもありますが、これらは詩ですからねぇ。
雰囲気はわかるし、何が崇拝対象かまではわかりますが、全体的な流れはイマイチ理解できませんでした。
そこで購入したのが、ちくま文庫の「インド神話」。
マハーバーラタや、ラーマヤナ、あとはジャータカなどからインド神話を引っ張ってきて、比較&紹介された本です。
すごくわかりやすく作られてるんだと思いますが、なんせインド人の名前って覚えづらいんすよ(>_<)
ヴァイシュラヴァナ、ヴァイシュラヴァス、ヴィシュヴァーミトラ。
三柱とも、別神格です。
ひ~ん、こんなん覚えられるわけないやろ~~~~~~!!!!!!
……ってことで、何度も読み返さなくてはならず、たった300ページほどの本にてこずっております(^^ゞ
ちなみに、ヴァイシュラヴァナの別名は、クベーラ。
毘沙門天の別名とも書かれています。
ここもややこしいんですよね。
ヒンズーの神々は、日本にやってきて、仏教神となってたりしますが、もともとの性格と変わってるんですよ。
毘沙門天と言えばどんな神様だと思います?
武神じゃありません?
黄金の鎧を身にまとい、虎に乗り、大きな槍を持つ、力強いお姿を連想します。
が。
クベーラの別名は「財主」なんですよね(^^ゞ
なんか違うでしょ?
ここでまた、頭がぐっちゃぐちゃになる(笑)
でもいちばんの問題は、そこじゃありません。
私をもっとも悩ませているのは、道徳観の違いです。
日本の場合、神は正義であり、至高の存在です。
だからこそ、乱暴者のスサノオが、神々の悪を一身に背負わねばなりませんでした。
でもインド神話はそうではない。
神は罪のないものを殺すし、無責任なことを言う。
でも一番の相違は、神よりバラモンの方が力を持っているということでしょう。
バラモンが苦行をすると、その身に威光を身に付け、神の力を凌駕してしまう。
だから神は苦行の邪魔をしに来るわけですね。
その根底には、厳然たるカーストがあります。
社会科が大の苦手だった私でさえ、カーストのことはよく覚えていますから、ほとんどの方がカーストとはいかなるものかご存知じゃないかとも思うのですが、蛇足ながら説明しておくと、カーストには二つの種類があります。
一つはジャーティと呼ばれる区分。
これは「職業」とほぼ同じ意味みたいですね。
たとえば、「靴職人のジャーティ」みたいに。
もう一つは、ヴァルナと呼ばれる分け方。
バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4種類からなります。
バラモンは僧侶、クシャトリアは武士や王族、ヴァイシャは平民、シュードラは奴隷ですね。
でも実は、ヴァルナを持たない人も相当数存在し、彼らは、アチュート、不可触民と呼ばれますね。
ダリットという呼び名の方が知られているんでしょうか?
インドでは、建前上、「カーストはなくなった」とされています。
が、それは嘘らしいですね。
まだまだカーストの感覚は残っており、ダリットたちは、とんでもない境遇で暮らしているようです。
つまり、何をされても文句が言えない。
もちろん警察も動かない。
よく一緒に仕事をするカメラマンが、
「ネパールの人々を撮影に行ったんですが、カーストだけはどうしてもなれませんでした。上位カーストが下位カーストを殺すなんてことが日常茶飯事なんですよ」
と眉をしかめながら教えてくれました。
差別はくっきり残っているのですね。
現代でさえ、です。
その昔はもっとひどかったと想像しても、あながち間違ってないんじゃないでしょうか。
バラモンは、何をやっても許されるようです。
たとえば、バラモン教最高の神であるところのインドラは、クシャトリアの階級にあたるそうなんですが、神々をおびやかすバラモンを殺すと、インドラは力を失ってしまいました。
インドラは最高神ですよ?
それでも、クシャトリアである限り、バラモンより力がないのですね。
う~ん……。
また、苦行さえすれば、どんな人間でも、ブラフマン(宇宙原理)の恵みを受けることができるという思想もなじめない(^^ゞ
ある人食い鬼は、10の頭を持っていて、その一つ一つを切り離し、火に投入するという苦行を行いました。
すると、ブラフマンは彼に、不死身の肉体という恩寵を与えたのでした。
……ね?
日本神話だったら、人(それは同時に神をも意味すると思います)喰い鬼がどんなに苦行をしたって、不死身の体を与えるなんてことはあり得ないと思うんだな。
しかしまぁ、それが「宇宙原理」なのだという発想なのかなぁ???
もういろいろつっこみどころが多すぎて(笑)
ただ、こういう土壌があったからこそ、お釈迦様は「解脱したい」と考えたのだなとも納得できます。
「解脱」ってわかります?
カーストでは、現世では決して位を変わることができません。
ただ、現世で苦行を積めば、生まれ変わったとき、上位カーストに生まれ変われるのだと考えます。
つまり、バラモンたちが大手を振って悪行を行うのは、
「過去に苦行をしたんだから、これぐらいの悪行は当然だ」
という発想があるんですね。
ムカつく~~~~~~!!!!!!
で、「解脱」ってのは、「もう生まれ変わらない」ってことなのだそうです。
……と、橋本治は「宗教なんて怖くない」で書いてはりましたし、インド神話を読めば、「そうなんだろうな」と思います。
なんにせよ、バラモンたちは、「自分たちは神より偉い」って思ってるわけですよね。
なんだかなぁ。
宗教にはいろいろな面があり、それぞれ一長一短あると思います。
が、「自分より偉いもん」(BY某知人)のない宗教って、害悪しかない気がする。
せめて、「一番偉い人たち」は、他の人たちの手本となるよう、自覚をもってふるまってもらいたいものだと、読みながらつくづく思ったのでありました。
今週からちょっと忙しくなるので、今日の午後には読み終える予定です。
……読めるかなぁ(^^ゞ
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