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いじめの此岸

大津の中学生自殺事件は、日に日に新しい展開がありますね。

でも、新しい報道がされるたび、驚かずにいられないのは、事件が起きた中学校、そして大津市教育委員会の「隠ぺい体質」じゃないでしょうか。

生徒たちが、「いじめ」の実態を……しかも記名で報告しているのに、「いじめはなかった」っていう理解になるのが本当に納得できませんし、「自殺の練習をさせられていた」という報告に「気づかなかった」ってのも……もし本当に気づかないんなら、そこまで注意力も読解力もないんなら、「教育長」なんてやるべきじゃないと思うんだけど?

また当該中学校の教師に対する調査では、だれ一人「いじめを認識していた」とは答えなかったとか。

むちゃくちゃやがな……。

こういうのを見ると、維新の会が掲げる「保護者らによる学校評価制度」に反対してるのは、こういう人たちなんじゃないかと思ってしまう……。

やっぱり誰かが評価しないとダメだよね。
ほんと、ズブズブじゃん。
自分たちがどれだけ醜いかわかってないのが本当~に怖い。

こわいこわい。

確かに保護者の目や、学生たちの目が狂わないのかと言われたら、心配はあるけれども。
でも、今回の事件は、ご遺族が民事訴訟に踏み切らなければ、隠ぺいされてたに違いないわけで。
それを考えるとすごく怖いと思うんですね。

ただ、もし自分が自殺した生徒と同じクラスだったらどうしたろうと考えると、ちょっとよくわからなくなってしまいました。

私の身近にいじめがあったかと言われたら、あったのかもしれないけど、さほど陰湿なものはなかったんじゃないかと思ってます。

中学時代、クラスに不登校になるような子はいませんでした。
私自身は、中二のとき、いじめらしきことは経験したことがあるんですが……。

男子で私と出席番号が同じだったのが、クラスの番長だったんですよね。
そういう場合、席が隣になったりするでしょ?
当初は仲良かったんですが、二学期くらいから急に攻撃してくるようになって、それがしつこくていやだったという経験があります。

とはいえ、それをいじめというのかどうかはわかりません。
無視してたらしつこくしつこく「ブス」とか「気持ち悪い」とか言ってくるのでさらに無視してたら、さらに大声で言ってきたり、消しゴム投げつけてきたり、定規で叩くまねをしてきたり(笑)
実害はありませんでした。

だからまぁ、それはいいんですけどね(^^ゞ

当時私はおかっぱ以外許してもらえなかったんですよ。
ただでさえ剛毛で髪の毛が多いもんで、自分でも「ヘルメットみたい」だと思ってました。
母には「段カットにさせてくれ」と頼んだんですが、我が母は聞く耳を持たないタイプの人だったので「段カットは不良がする髪型!!」と押さえつけられて、どうしょうもありませんでした。

自分でもそれがすごくいやだったので、
「ヘルメットを脱げ!」
と言われると、ものすご~くイヤでね(^^ゞ

無視できなくて、
「うるさいわ!!」
と反論し、私が反論するのがそこだけだったためか、彼の攻撃は私の髪型に絞られるようになり、私はすごくそれがいやで……。

と。
いま思えば、大したことでもないんだけど、当時はそれがものっそいやでしたね。

ただ、仲の良かった女子たちがかばってくれましたし、学校に居場所がないなどということはありませんでした。

というか、私の両親は、
「今日は学校を休みたい」
なんて言った日には、
「いつの間にサボりくせをつけたの!?あんたは本当に怠け者だ!情けない人間だ!!」
と人格を攻撃してきたので、
「学校行く方がましやわ(^^ゞ」
と、結局中学三年間、皆勤だったんですよね~私。

また、その番長くんは、クラスのある男子を目の敵にしている時期がありましたが、当該男子はものすごく正義感の強いしっかりした子だったんで、いじめという状況には程遠かったかな、と。

どちらかというと、私が気になるのは、中三のときのことです。

なぜだかわからないんですが、私は「この人なら友達になってくれそう」って思われやすいタイプらしいんですね。

中三の同級生はみんなサバサバしている子ばかりで、陰湿ないじめはありませんでしたが、やはり、「浮いてる子」はいてました。
別にいじめられるわけじゃないけど、修学旅行のときなど、どこのグループにも誘われはしないというか。

とてもおとなしい子だったんで、会話が続かないんですね。
一緒にいるとただひたすら気を使ってしゃべり続けなくてはいけないような。

でも彼女は気が付けばいつも私の後ろにいました。

「な、なに?」
と聞くと、
「ううん、何もないの……」
って言われるんだけど、また気づけば私の背後に立ってる。

嫌いだとかいうんじゃないんですよ。
ただ、どうしたらいいかわからない。

友達にはなれない。

私も幼かったから、どうしたらいいかわからなくて、逃げ回るしかありませんでした。

でもこれってさ……「いじめ」ではないまでも、当人にとっては相当残酷なことだったのかもしれないとも思います。

ただ、それじゃどうしたらよかったのかと聞かれたら、未だにわかりません。

それにね。
私に対して、
「なんで友達になってやらないんだ!」
と言う教師もいたんですよね。

でもさ。
友達ってのは「なってやる」もんじゃないでしょ?
気があって、一緒にいて楽しいから「友達」なんですよね?

私は結構頑固な子供だったんで、
「ちーりんと一緒にいる方が楽しいから、私はちーりんと遊びたいんです」
とか答えてましたが、素直な子なら、教師のいうまま、気を使い、精神をすり減らしながらそのおとなしい子と遊んでたんじゃないかなとも思う。

でもこの教師の言い分も、一種の「いじめ」じゃないかなぁ……。
そういう言い方は残酷ですかね?

でもはっきり言えばね……。

修学旅行やらの班決めの際、その子が必ずどこにも入れなくて残り、担任に、
「どこの班に入りたいのか言いなさい」
と言われて、私のいる班に入ってくる。
これだけでもかなりの重荷ではありました。

だって、旅行中ずっと彼女がそばにいるわけで。
どんな話題を振っても「うふふ」としか言わない彼女に何を話せばいいのかと頭悩ませて、本当にしんどかった。
まだ移動中はいいんですよ。
時々でも彼女に質問を投げかけて、何か答えてくれればグループの誰かがそれを拾ってくれるし。

でもバス移動のときがきつかった~……。
私、ちーりんが座った横の補助席に彼女が座ってたんで、彼女の言葉を拾うのは、私とちーりんの二人。
むちゃくちゃ気を使いました。

途中で彼女は「酔い易いから」と前の席に移動しましたが、すごくホッとした……と言えば残酷なんですよね。
でもなぁ。
無理に話を合わせるのって、すごく苦痛だよ?


この年になってもね。
「いや、どう~考えても、私とあなたの気が合うとは思えないんですけど?!」
としか言いようがない、非常に行動力のないおとなしい人に、
「お友達になってほしいんです」
って言われたりします。

「あなたと気の合う人と友達になった方がいいと思いますよ?私はあなたと気が合わないと思います」
とお断りするんですが、
「気が合うように、頑張ります」
と言われることも多々(^^ゞ

いや……そういう問題でわ………………。

私がいくら「気が合わないし、友達になれない」と言っても、「頑張るから友達になってくれ」としつこく付きまとうのは、これは一種の「いじめ」じゃないかなとか思ってしまうことさえあります。
だって断るのがすごく苦痛だもん。

だって、私の方が彼女よりも強いから、私が彼女の願いを断れば、私の方がひどい奴みたいになっちゃうでしょ?
それってすごく苦痛。

なんかすごく話がそれちゃいましたが、つまり言いたいのはこういうことです。

「いじめ」にはものすごいいろいろなタイプがあるんだよってこと。
たとえば周囲の目にはふざけ合ってるように見えても、少数派の誰かが一方的に攻撃されていて、本人がそれを苦痛と感じていればいじめなんだってこと。

「ふざけてるんだと思った」
「本人もうれしそうだった」
なんて言い訳するような奴が教師やるなよ!!!!!!

ってことです。

「いじめ」に鈍感な人間が教師なんかやるなよ!!!!!!

13歳から16歳の子どもって、一番繊細な時期じゃないですか。
親や教師、友人たち。
いろいろな思惑に翻弄され、自分の生きたいように生きてられる子供はどれぐらいいるんだろう?

「いじめ」とは何かと言われたら、こういうことじゃないかと思うんです。

同級生にせよ先輩にせよ教師にせよ、親にせよ、当人より強い力を持つものに、
「こういう風に毎日を過ごしたい」
という当人の願いとはまったく違うように生きさせられること。

でも多くの子どもたちは、親に、友達に、教師に、自分の思い通りの生き方を阻害されるものですよ、たぶん。
それに気づいて力を貸そうとできるような人以外、教師になっちゃいかんと思うんだけどな……。

今回、当該中学校の生徒たちのアンケートからあがってくる「いじめの実態」があって、それにも拘わらず「いじめがあったと認識」してなかった先生なんか、教師やる資格あるとは思えないんですけど。

毎日流れてくるニュースを見るたび、腹がたって腹が立ってしかたがないんですよ、本当に。
「学校評価制度」について、私は賛成したいと思います。
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整理できずスミマセン:南里

ごちゃごちゃ考え過ぎて
アホになりました♪

今日の主な項目です
1、生物である限りイジメはある
2、義務教育は国策
3、すばらしい人生

こんにちは

1、生物である限りイジメはある
病原体が体内に侵入したり
不快な感じになったりすると
その対象のものを排除するのは
自然のなりゆきなんだと思います
いくら平等をさけんでも
排除したくなるのが感情というもの
「イジメ」がないなんてことはありえないように思います

差別感情というのは
誰かをしいたげたり、低く見て
自分の地位の上位や居場所を確固たるものへと
安心を得るためにあるようにも思います

人と同じように遇されて生きたいと思うけど
早いうちから
「人と同じことをやっていてはダメだ」
と気づき
逆に個性を尊重なんてのも
国民主権の中で培ってしまっています
そして
個人情報保護・少年法を掲げながら
情報を国民は明らかにすることを
望んでいるようにも思えます

「イジメがあった
 ひとりの生徒が自殺した」

問題を「自殺した」という部分に当てると
イジメた人たち
同級生、同校の生徒
先生、両親、保護者
本人も、そして
義務教育の下では日本人全てが
「自殺」を
「人ととして
 してはいけないこと
 させてはいけないこと」
という強い意識を持っていないことが
すでに罪なんだと思います

イジメがあっても強く生きるために
偉人伝と落語に、大人も子供も
学校教育・家庭教育の間に
どんどんと触れてほしいと思っています
偉人伝からは、逆境にたいする心構えと志を
落語からは、世の中を生き抜くアイディアとユーモアを
どんどん吸収して欲しいと思っています

2、義務教育は国策
小・中学校は、国民の義務として
必ず受けなくてはいけない
これは、未来に向け
しっかりと国家を受け継ぎ
強い国へと発展を促すための
最低限の修業ともとらえられますが
現在、主に日教組の考え方で
「お国のために」という部分が
大々的な欠除に追い込まれ
まさに、福祉の行き過ぎをタテにとり
国家をイジメるために
未来の国民を育てているように思えますが
先生と名のつく職域への
「学校の評価制度」や「裁判員制度」や「治療法選択確認書」など
やはり「素人の口出し」みたいなことをするのは
私としては、とてもイヤだな〜と思うんですね
それは「国策」としての独立、自律を守りたいからなんです
天職として使命感をもってやってほしいからなんです

努力からの成果、共生・仲間意識
感謝の交わし合い、真の学問の楽しさ
自己開発・成長の喜びなどなど
義務教育では、このような学びが得られます

私の通ったところでは
小学校で勉強を通じて
仲間と共に努力することを練習し
中学校で学問のすばらしさへの架け橋を
感じるにまでいたったと思います

放課後(←懐かしい響きですね)
にソフトボール等で遊んでくれた先生
先生自身も、イジメられたような経験の話
生徒会長選挙で不真面目な態度に
社会科の先生が涙で全校生徒を叱る
「この選挙権を得るために
 長い長い間、人々が血を流し続けたんだ!」
学問の尊さを思わされました
また、体育の先生は、こんなことも言ってくれました
鉄棒の実習で「け上がり」をあきらめようとする私に向かって
「おまえが『できた♪』って喜んでくれることが
 オレはうれしいんだよ!
 だから、あきらめずに、もう一度やってみろ!」
生徒の成長を心から自分の喜びだと言ってくれた先生がいました

義務教育の多感な、そして吸収しやすい時期
先生の存在は、やはり大きなものという感じあります
私自身は、そのような先生の存在を
わが子から聴いて
保護者が守らなくてはいけないと思うんです
そして、学力を上げるならば
保護者は生徒が授業に少しでも集中できるように
すなわち、先生の話をよく聴くように
先生・学校を信頼する態度をとるべきであると思います

できることなら
学校教育・先生を通じて
我が国・日本のすばらしさを学び
人として生を受けたことの喜びを感じて
我が国に生まれたことに
そして
お母さんがお腹を痛めて生んでくれたことに
「ありがとう」の念が湧き
未来の我が国・日本に対して
勤勉になってくれるといいなと思います
そうなれば
義務教育がたいへん有効な国策となるでしょう

3、すばらしい人生
イジメられたけど
がんばって生き抜いた人生って
どうでしょう?
イジメられてた仲間を
守り抜いた人生ってどうでしょう?
両親でも、先生でも
こんな話ができると思います

「イジメ」を摘み取るのではなく
良心・志の芽を伸ばす方向へ導くのが大人の使命です

自分が「イジメ」られていると思っている人は
悲しい・苦しい・やりきれない
イヤな想いをしていると思います
そんな「イジメ」られる気持ちがわかる人は
・世の中から「イジメ」がなくなるように願う人になれる
・「イジメ」られる人を救えるようなれる
・「愛」がなんだか分かる人になる
先頭に立っていると思います

立派に生きた偉人もそうなんですけど
イジメや不遇にあうことは
悪いことではないということ
そして
もちろん本人は全く悪くないと自覚してほしい
そして、耐え忍ぶ毎日なら、自分を抱きしめ
「よくがんばっているな、すごいな、エライな」
と自分を誉めてほしい
そして、この機を
むしろ、すばらしく命に価値を与える
人に役に立つ、人を喜ばせられる
生まれてきて良かったと思える人生の入口ということを
偉人伝等に感じてくれたらいいと思います

今、義務教育に修学している児童・生徒たちが
「早く大人になりたい」と思える様な
仕事や家庭・夫婦生活や地域活動を
自らの使命・喜びとして
イキイキとした背中が伝わるよう
おじさんもがんばるからね
大丈夫だよ〜♪
なんて伝えたいんです〜♪

先頭を 走るものども いつだって
 風、アゲンスト 脚力もつく
”若旦那〜♪、なんり、深感恩

No title

そうなんですよね。
結局、「素晴らしお手本」をみんながマネできればそれが一番いいと思うんです。

私が6年生まで通っていた小学校も、先生たちが本当に親身に子供たちとかかわってくださる良い小学校でした。
それを考えれば、「学校評価」はピンときません。

が、現実に、ニュースになっているようないじめがあり、教師や教育委員たちがそれを隠ぺいしようとしている事実があります。
そして、両親が民事訴訟を起こさなければ隠ぺいされたまま誰にも知られなかったでしょう。

確かに、「学校は評価するものではない」という大義名分はわかるんです。
でも今それが狂ってきています。

ならば、正常に戻さなくてはいけませんよね?
そのために、一時的にでも、「評価」というものを取り入れるのはありだと思いません?

とにかく、このニュースに関しては、先生方、教育委員の方々の態度に、不可解さと不快さしか感じません。
早く正常になってほしいと思わずにいられないんですよね……。
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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