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結界の話

今日は取材なので、詳細に調べながら書いている時間がござんせん。

こういうとき、自分が知ってることを書けば短時間で済むと思うでしょ?
それがさにあらず(笑)

なまじ知ってるつもりなもんで、ちゃんと裏付けを取ってないことが多いんですよ。
で、書くとなって初めて調べてみて、
「うわ、思いっきり勘違いしてた……」
と冷や汗かくことも多々ありますねん(^^ゞ

それぐらいなら、よくも知らないことを、
「きっとこうに違いない」
「たぶん、こうだろう」
と、てきと~に流して書く方が速い(←仮にもライターの言うことだろうか(^^ゞ)

そんな問題じゃなかろうといわれるのはわかっておりますが、日ごろから気になっていた「結界」についてちょっとぐだぐだいうてお茶を濁そうかな、と。

きっかけは「鳥居」なんですよ。
いったい鳥居とはなんなのかという話。

私が知っている「鳥居の起源」は、タイにあるワットスタットのサオチンチャー。
別名「ジャイアント・スイング」。

鳥居にそっくりなんですが、でかい。

なんでもその昔、ここにひもをつるしてブランコにし、これを揺れることで、「別世界」を覗き見ることができたとかなんとか。
これは宗教的儀式で、「トリーヤムパワーイ」と呼ばれてます。
1930年代に廃止。

高さ20メートル超っていいますから、ハイジのブランコに少し足りませんね。

ハイジのブランコの長さや時速は、チェーンメールとして回ってきたことで有名になりました。

それによれば、落差18m。
最高速度は、時速68kmとのこと。

そりゃ「別世界」ものぞけるってもんですよ(^^ゞ
そしてそりゃ廃止にもなるだろうって話です(笑)

でも調べてみると、鳥居の起源にはいろんな説があるんですね。
WIKIだけでも、

主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説、インド仏教にみられるトラナや中国の華表や鳥竿、牌楼(ぱいろう)、朝鮮半島の紅箭門(こうぜんもん・フンサルムン)、イスラエルの移動型神殿、雲南省とビルマとの国境地帯に住むアカ族(英: Akha)の「村の門(ロコーン)」など海外に起源を求める説などがある。また、ユダヤ教と関連があるとする説もある(日ユ同祖論)

だそうで(^^ゞ
つぅか、サオチンチャーは起源説にないのね(^^ゞ???

まぁそれはともかく。
鳥居ってのは、神社に行けば必ずあるものでございます。

で、その役割は何かといわれれば、この起源もまた諸説あるものの、現在の意義は、「結界」ですよね。
ここから内側は聖域だということ。

なぜ「鳥居」なのかにも諸説あるようです。

そもそも鳥居が天照大神の岩戸隠れに際して活躍した、長鳴鳥の止まり木だとする説をとるなら、「鳥居」の意味はおのずから明白ですよね。

鶏が居る場所だからでしょう。

でもそうでないなら?

これまたWIKIを見れば、
鶏の止まり木を意味する「鶏居」を語源とする説、止まり木(あるいは神前止まり木)説、「とおりいる(通り入る)」が転じたとする借字説、トラナを漢字から借音し表記したとする説などがある。Karow&Seckelは鳥居の名称を鳥(Vogel)そのものに求め、死者の家として家屋の中心部だけを残して崇敬の対象としたとの説をとる。
構造そのものに着目した説としては、鳥居桁(架木)説とでも呼ぶもので、そもそも建築用語として高欄の横木の最上部のものを鳥居桁と呼ぶことは奈良時代の資料から明らかになっており、障子の上桁の横木を鴨居と呼ぶのと同じく、「トリイ」とは古来からの建築用語であり、これが神社門に転じたとする説である。奈良時代に「トリイ」の語は建築用語として存在し、平安初めに一般神社門は「トリイ」と俗称され、平安中期にはこの名称が庶民によって用いられたとする。


とのこと。
私が聞いたのは、「鳥」は人の魂だからというものでした。
つまり、邪悪な魂は鳥居の中に入ってくることができないため、鳥たちがそこに居座ることになります。

だから「鳥居」と。

つまり、「結界」としての「鳥居」を説明する内容ですね。

ただ、いつも思うんですよ。
「結界」って双方性があるものなのかなって。

聖邪を隔てるのが結界だとしてですね。

もし間違って邪が聖の領域に入ってしまった場合、結界があるがために出られなくなるってことはないんですかね(^^ゞ?

それとも結界のこちら側は聖で、あちら側は邪と決まっていて、邪は邪の世界から聖の世界へ入ることはできないけど、聖の世界に間違って入ってしまった場合、邪の世界へ戻るのは簡単なのかな?

どちらなんでしょう?

っていうか……。

そもそも、「聖と邪」を区別するのって、あんまり神道っぽくない気がします。

「荒ぶる神は祀って鎮める」
のが神道ですよね?

スサノオのごとく、「邪」を作り出して放逐し、それで厄払いをするのも神道ではありますが……。

でも、とすれば、鳥居の中は「邪」から守られた、安全な場所?

う~~~~~~~ん……。

以前も何度か書きましたが、「パラダイス」はペルシャ語で「閉じられた庭」のこと。
「garden」も、エデンの園を意味し、追い出されたアダムとイブは、二度とそこに入ることができませんでした。
つまり、閉じられていた。

なぜ閉じられてなくちゃいけないんでしょうね?

それは、「聖」と「邪」を区別するからでしょう。

な~んかそれって……日本本来の神道っぽくないなぁ(^^ゞ

と、ね(^^ゞ
なんかモヤモヤしてしまうのでした。
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順逆の入口:南里

神殿が高い所に位置しているからなのか
「鳥居」は「聖の入口」「邪の入口」に見えます
そして
「聖の入口」では「おかえりなさい」が
「邪の入口」では「いってらっしゃい」が
聴こえてくるように思います

おはようございます♪

神戸の北野坂も
ちょっと似た様な感覚に
なったこともあります
登る時には、過去を感じ
下る時には、明日を思う

「聖」の側でしか存在しなかった魂が
何らかの使命を受け
「邪」の側との一体化を図ろうとしているのかもしれません
相反するものの融合が行われつつあるように思われて
ワクワクします

「邪」あっての「聖」であり
その区別を要しないようになったとき
宇宙はその完成をみるのではないかと
さらにワクワクして参りました

この世にある限り
相反するものの区別は
起こるものなのかも知れません
そして、融合に近づく事は
宇宙の完成への発展という気がしてきました

そして
私たちが高度な調和を求め、
相反するものの融合
宇宙の発展のために
遣わされてきたことから言えば
「鳥居」の存在は
区別をするためではなく
「融合を試みる」ために
「鳥居」が存在するように感じてきました
「結界」という文字が示すように
「結ぶ(つながる)」「界(区域)」
となりますもんね

糸へん



「結」ぶ
という文字
私、大好きなんです

相反を 行ったり来たり 人ならば
 調和もたらす 「結び」とならん
”若旦那〜♪、なんり、深感恩

Re: 順逆の入口:南里

結界は融合を試みるためのものっていう考え方、いいですね。

「きれいはきたない きたないはきれい」
聖と邪に区別があるとしても、それらは容易に反転する。

ならば融合してしまえばいいわけですよね(#^.^#)

二つの相反するものが融合できるのは、「違い」を明確に意識できたときかもしれない。
ふとそう思いました。
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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