彳
「彳」と書いて、たたずむ。
……ビビビッときません?
私はきました(笑)
私のパソコンで「たたずむ」を変換すると「佇む」しか出てきませんが、「彳む」の方がずっと雰囲気が出てる。
いかにも物思いにふけっているような、情緒があふれてませんこと?
さて。
「彳」に行き当たったのは、先日読んだ「少将滋幹の母」の中でのことです。
このお話はとても有名で、たぶんほとんどの方がどこかで聞いたことがあると思います。
藤原国経という大納言がいます。
御年80歳。
当時としては、かなりな長寿と言ってよいでしょう。
大納言という地位が当時としてどれほどのものか、私にはちぃとわかりかねますが、「並ぶもののない権勢」と言うほどのものでは決してなかったことはわかる(笑)
そんな彼は、身にすぎた宝をもっていました。
彼の妻は美男で有名な在原業平の孫で、絶世の美女なのですね。
彼女を狙う男も多かったようですが、言うても正室です。
比較的恋愛が自由だった平安時代でも、そう簡単にちょっかいだすわけにもいかん……ようで。
さて。
当時、「天下人」と言っても過言ではないほど栄華を誇っていた男がおりました。
名を藤原時平。
菅原道真を陥れ、呪い殺された人物として有名な男です。
菅公への同情からか、「ずるくて残酷な男」として描かれがちな時平ですが、そんな男が国経の妻に興味を持ってしまったから大変です。
彼は奸計をめぐらせ、国経を陥れ、正妻を奪おうとするんですね。
その方法は?
……至って単純です。
まずは国経を「伯父上、伯父上」とおだてて見せ、豪華な贈り物をする。
その上で、
「遊びに行ってもよろしゅございますか?」
などと殊勝なことを言って大宴会を開かせるんですね。
国経としてはうれしかったでしょう。
はしゃぎすぎ、テンションを上げすぎた。
その帰り、時平は、
「引き出物が欲しい」
と言い出します。
国経は家宝の珍しい楽器などを用意してあったのですが、
「こんなつまらぬものではなく、あなたしか持ちえない、素晴らしいものがあるじゃないですか」
なんて催促するんですね。
ここで国経が、
「はて、なんのことですやろ?」
と首をかしげなかったところを見ると、彼とて自分の妻がこの世で二つとない、素晴らしい女性だと常々思ってたんでしょうね。
時平の思惑を知ると、
「わかりました。私の宝をお持ち帰りください!」
つぅて、自分の妻を差し出しちゃいました。
時平は、
「どうもありがとう」
と、彼女を連れて帰り、それはそれは寵愛します。
国経は死ぬまで後悔し続けましたとさ。
どう思います?
この話ほど、だれに感情移入するかで見え方が違ってくる話も珍しいくらいだと思うんですよ、私。
谷崎潤一郎は、
・国経は、我が精力の衰えを覚え、妻に申し訳ないと思っていた。
・これほど素晴らしい人を、だれにも見せずにいることが歯がゆかった。
などの理由で、
「時平に自慢したい。妻を幸せにしてやりたい」
という思いもあって、時平に妻を譲ってしまったのではなかろうか、と、推察してはります。
確かにねぇ(^^ゞ
絶世の美女ですよ。
そんな人が、80歳……当時の80歳ですから、今の80歳よりもずっと老けて見えるでしょう……の老人の妻でいて、幸せでしょうか。
それはもう、相性とかいろいろあると思いますが、彼女は平中と浮気してたみたいですから、満足はしてなかったんだと思うんですよね。
国経が平中と妻とのことを知ってたかどうかはわかりませんが、「な~んか申し訳ないな~」っていう思いもあったでしょうね。たぶん。
この時代、貴族の女性にはあまり自由がなかったと思います。
特に後ろ盾のない女性の場合、世話をしてくれる男性を見つけることこそが重要だったはず。
とにかく一生食べていけるだけの世話をしてくれる男性を見つければそれでよかったのかも。
愛とか恋とか言えるのは衣食住が足りてるからで、いつ羅生門の上の屍となるかわからぬ身よりは、どんな男でも世話をしてくれる人がいればそでいいっていう考え方もあると思う。
いや、たぶんそうだったでしょう。
でも……国経はそれで満足だったのかなぁとも思います。
自分がこの上なく愛している妻が、自分のことを、
「世話してくれる人」
としか思ってないわけですよ。
これって、夫婦でありながら、片思いと一緒やないですか。
それで満足だったのかなぁ?
時平とすればです。
「ありゃ~奥さんがかわいそうだ。私が救い出してやろう」
っていうぐらいの気持ちだったかもしれませんし。
この話を聞いて、
「時平ってほんとにひどい人!!」
と思うのは、ものっそ男の目線だと思うんですよね~……。
少なくとも、「恋」「愛」を中心に考えている人ならば、
「奥さんの気持ちを聞いたれよ」
って感じるんじゃなかろうか。
でもこういう感覚……つまり男目線……は、結構最近までふつうだったんじゃないかと思います。
中学生のとき、夏目漱石の「こころ」を読まされました。
で、
「なんじゃこりゃ」
と思った。
小説の中で、「先生」と友人の「K」は、ともに「御嬢さん」を好きになります。
でも先にそれを表明したのは「K」。
しかも「御嬢さん」に対してではなく、「先生」に対してでした。
それを聞いた「先生」は自分も「御嬢さん」が好きなことに気づき、「御嬢さん」の母親に気持ちを告げます。
すると母親は、「あの子はいやだと言わないと思いますよ」と請け合い、確かに御嬢さんは嬉しそうに嫁に来るわけです。
そこで「K」は、出家するんですが、それは失恋の苦しみというよりも友達に裏切られた苦しみゆえ……って言うんですけどね?
ここで「先生」が、自分の思いを押し殺して、「K」と「御嬢さん」の恋を応援したとしてですよ?
「御嬢さん」の気持ちはどうなるわけ????????
「先生」は正しいっ!!!
「御嬢さん」を幸せにしたんだから、それでええやん。
「K」はおかしいっつの。
あんたは「御嬢さん」の目には、「先生」よりも魅力がなかったんだから。
どうしょうもないやろが。
何をうじうじと、被害者面して。
ねぇ?
武者小路実篤の「友情」もそうでした。
主人公野島が惚れた杉子は、大宮のことが好きなわけです。
でも、大宮は、野島に「おれ、杉子ちゃんが好きなんだ~。だから、協力してくれよ、なっ!」などと言われ、困ってヨーロッパへ行ってしまいます。
その際、杉子の悲しみようを見て、
「あ、杉子は大宮が好きだ」
と気づく。
……ここで諦めろよ(^^ゞ
そして、それから一年後、杉子もヨーロッパへ行くわけですね。
この時点ですべてを悟れよ。
それでもまだ杉子に未練を持つような、煮え切れない男だから、杉子から、
「野島様が私を好いてくださる気持ちは、はっきり言って迷惑!」
って言われるんでしょうがよ。
なのに、ヨーロッパの大宮から手紙が来て、杉子と大宮が結ばれたことを知ると、被害者面するんですよ、こいつ。
確かに、大宮のやり方は、杉子と大宮の書簡をそのまま小説にして野島に見せるという、情け容赦のないものですけどさ。
でもその中で杉子は、
「あなた(大宮)以外の方が私を愛してくださるなんて不自然」
とまで言っている。
それを読んで、
「今後も僕は時々寂しいかもしれない。しかし死んでも君達には同情してもらいたくない。僕は一人で耐える」
って言うんですよね~、この男。
まずは自分の今までの行いを反省しろよ。
迷惑加減を思い知れよ。
あんたのおかげで、大宮と杉子にどんだけ遠回りしたと思うてんねん。
どんだけ哀しい思いをしたと思うてんねん。
もうねぇ。
アホか、と。
言いたくないけど、あんたそれはもう、
「死ななきゃ治らない」
レベルですよ……。
これが「珠玉の青春小説」って言われてんですから(^^ゞ
この小説が発表されたのは、1920年。
100年足らずで、いい時代になったもんだねぃ。
少なくとも、「女」にとってのこの100年は革新的な変化のあった時代じゃないかと思います。
でもね。
この世の中は、男と女で成り立ってるんですよ。
女が不幸なとき、男だけが幸せなわけはない。
そりゃ相手の気持ちを無視できるような幸せな人ならいいでしょう。
でも、人は誰かを愛したら、その人の心まで抱きたいと思うものでしょう?
その「誰か」が自分を愛していなかったら。
ただ、圧力に負けて自分の妻となっているだけだったら?
それはそれで不幸だと思うんですよね。
ってことでね。
恋する人たちにとって、今はほ~んとにいい時代だな、と。
つくづくしみじみ思うのでございます。
……ビビビッときません?
私はきました(笑)
私のパソコンで「たたずむ」を変換すると「佇む」しか出てきませんが、「彳む」の方がずっと雰囲気が出てる。
いかにも物思いにふけっているような、情緒があふれてませんこと?
さて。
「彳」に行き当たったのは、先日読んだ「少将滋幹の母」の中でのことです。
このお話はとても有名で、たぶんほとんどの方がどこかで聞いたことがあると思います。
藤原国経という大納言がいます。
御年80歳。
当時としては、かなりな長寿と言ってよいでしょう。
大納言という地位が当時としてどれほどのものか、私にはちぃとわかりかねますが、「並ぶもののない権勢」と言うほどのものでは決してなかったことはわかる(笑)
そんな彼は、身にすぎた宝をもっていました。
彼の妻は美男で有名な在原業平の孫で、絶世の美女なのですね。
彼女を狙う男も多かったようですが、言うても正室です。
比較的恋愛が自由だった平安時代でも、そう簡単にちょっかいだすわけにもいかん……ようで。
さて。
当時、「天下人」と言っても過言ではないほど栄華を誇っていた男がおりました。
名を藤原時平。
菅原道真を陥れ、呪い殺された人物として有名な男です。
菅公への同情からか、「ずるくて残酷な男」として描かれがちな時平ですが、そんな男が国経の妻に興味を持ってしまったから大変です。
彼は奸計をめぐらせ、国経を陥れ、正妻を奪おうとするんですね。
その方法は?
……至って単純です。
まずは国経を「伯父上、伯父上」とおだてて見せ、豪華な贈り物をする。
その上で、
「遊びに行ってもよろしゅございますか?」
などと殊勝なことを言って大宴会を開かせるんですね。
国経としてはうれしかったでしょう。
はしゃぎすぎ、テンションを上げすぎた。
その帰り、時平は、
「引き出物が欲しい」
と言い出します。
国経は家宝の珍しい楽器などを用意してあったのですが、
「こんなつまらぬものではなく、あなたしか持ちえない、素晴らしいものがあるじゃないですか」
なんて催促するんですね。
ここで国経が、
「はて、なんのことですやろ?」
と首をかしげなかったところを見ると、彼とて自分の妻がこの世で二つとない、素晴らしい女性だと常々思ってたんでしょうね。
時平の思惑を知ると、
「わかりました。私の宝をお持ち帰りください!」
つぅて、自分の妻を差し出しちゃいました。
時平は、
「どうもありがとう」
と、彼女を連れて帰り、それはそれは寵愛します。
国経は死ぬまで後悔し続けましたとさ。
どう思います?
この話ほど、だれに感情移入するかで見え方が違ってくる話も珍しいくらいだと思うんですよ、私。
谷崎潤一郎は、
・国経は、我が精力の衰えを覚え、妻に申し訳ないと思っていた。
・これほど素晴らしい人を、だれにも見せずにいることが歯がゆかった。
などの理由で、
「時平に自慢したい。妻を幸せにしてやりたい」
という思いもあって、時平に妻を譲ってしまったのではなかろうか、と、推察してはります。
確かにねぇ(^^ゞ
絶世の美女ですよ。
そんな人が、80歳……当時の80歳ですから、今の80歳よりもずっと老けて見えるでしょう……の老人の妻でいて、幸せでしょうか。
それはもう、相性とかいろいろあると思いますが、彼女は平中と浮気してたみたいですから、満足はしてなかったんだと思うんですよね。
国経が平中と妻とのことを知ってたかどうかはわかりませんが、「な~んか申し訳ないな~」っていう思いもあったでしょうね。たぶん。
この時代、貴族の女性にはあまり自由がなかったと思います。
特に後ろ盾のない女性の場合、世話をしてくれる男性を見つけることこそが重要だったはず。
とにかく一生食べていけるだけの世話をしてくれる男性を見つければそれでよかったのかも。
愛とか恋とか言えるのは衣食住が足りてるからで、いつ羅生門の上の屍となるかわからぬ身よりは、どんな男でも世話をしてくれる人がいればそでいいっていう考え方もあると思う。
いや、たぶんそうだったでしょう。
でも……国経はそれで満足だったのかなぁとも思います。
自分がこの上なく愛している妻が、自分のことを、
「世話してくれる人」
としか思ってないわけですよ。
これって、夫婦でありながら、片思いと一緒やないですか。
それで満足だったのかなぁ?
時平とすればです。
「ありゃ~奥さんがかわいそうだ。私が救い出してやろう」
っていうぐらいの気持ちだったかもしれませんし。
この話を聞いて、
「時平ってほんとにひどい人!!」
と思うのは、ものっそ男の目線だと思うんですよね~……。
少なくとも、「恋」「愛」を中心に考えている人ならば、
「奥さんの気持ちを聞いたれよ」
って感じるんじゃなかろうか。
でもこういう感覚……つまり男目線……は、結構最近までふつうだったんじゃないかと思います。
中学生のとき、夏目漱石の「こころ」を読まされました。
で、
「なんじゃこりゃ」
と思った。
小説の中で、「先生」と友人の「K」は、ともに「御嬢さん」を好きになります。
でも先にそれを表明したのは「K」。
しかも「御嬢さん」に対してではなく、「先生」に対してでした。
それを聞いた「先生」は自分も「御嬢さん」が好きなことに気づき、「御嬢さん」の母親に気持ちを告げます。
すると母親は、「あの子はいやだと言わないと思いますよ」と請け合い、確かに御嬢さんは嬉しそうに嫁に来るわけです。
そこで「K」は、出家するんですが、それは失恋の苦しみというよりも友達に裏切られた苦しみゆえ……って言うんですけどね?
ここで「先生」が、自分の思いを押し殺して、「K」と「御嬢さん」の恋を応援したとしてですよ?
「御嬢さん」の気持ちはどうなるわけ????????
「先生」は正しいっ!!!
「御嬢さん」を幸せにしたんだから、それでええやん。
「K」はおかしいっつの。
あんたは「御嬢さん」の目には、「先生」よりも魅力がなかったんだから。
どうしょうもないやろが。
何をうじうじと、被害者面して。
ねぇ?
武者小路実篤の「友情」もそうでした。
主人公野島が惚れた杉子は、大宮のことが好きなわけです。
でも、大宮は、野島に「おれ、杉子ちゃんが好きなんだ~。だから、協力してくれよ、なっ!」などと言われ、困ってヨーロッパへ行ってしまいます。
その際、杉子の悲しみようを見て、
「あ、杉子は大宮が好きだ」
と気づく。
……ここで諦めろよ(^^ゞ
そして、それから一年後、杉子もヨーロッパへ行くわけですね。
この時点ですべてを悟れよ。
それでもまだ杉子に未練を持つような、煮え切れない男だから、杉子から、
「野島様が私を好いてくださる気持ちは、はっきり言って迷惑!」
って言われるんでしょうがよ。
なのに、ヨーロッパの大宮から手紙が来て、杉子と大宮が結ばれたことを知ると、被害者面するんですよ、こいつ。
確かに、大宮のやり方は、杉子と大宮の書簡をそのまま小説にして野島に見せるという、情け容赦のないものですけどさ。
でもその中で杉子は、
「あなた(大宮)以外の方が私を愛してくださるなんて不自然」
とまで言っている。
それを読んで、
「今後も僕は時々寂しいかもしれない。しかし死んでも君達には同情してもらいたくない。僕は一人で耐える」
って言うんですよね~、この男。
まずは自分の今までの行いを反省しろよ。
迷惑加減を思い知れよ。
あんたのおかげで、大宮と杉子にどんだけ遠回りしたと思うてんねん。
どんだけ哀しい思いをしたと思うてんねん。
もうねぇ。
アホか、と。
言いたくないけど、あんたそれはもう、
「死ななきゃ治らない」
レベルですよ……。
これが「珠玉の青春小説」って言われてんですから(^^ゞ
この小説が発表されたのは、1920年。
100年足らずで、いい時代になったもんだねぃ。
少なくとも、「女」にとってのこの100年は革新的な変化のあった時代じゃないかと思います。
でもね。
この世の中は、男と女で成り立ってるんですよ。
女が不幸なとき、男だけが幸せなわけはない。
そりゃ相手の気持ちを無視できるような幸せな人ならいいでしょう。
でも、人は誰かを愛したら、その人の心まで抱きたいと思うものでしょう?
その「誰か」が自分を愛していなかったら。
ただ、圧力に負けて自分の妻となっているだけだったら?
それはそれで不幸だと思うんですよね。
ってことでね。
恋する人たちにとって、今はほ~んとにいい時代だな、と。
つくづくしみじみ思うのでございます。
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