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昨日は一日ゴチャゴチャとHTMLを触ってました。

2月に依頼いただいたウェブサイト。
クライアントのお引越しなどで遅れましたが、今日、正式に公開となりましたよ!

イングリッシュ・ワークショップ

すべてのブラウザで動作確認ができるわけじゃありませんので、もし
「表がくずれてる」
「文字が重なってる」
などがありましたら、ご指摘いただけたら幸いでございますm(__)m

素人仕事なので、格安でお請けしましたが、やっぱりサイト作成って楽しいね(#^.^#)
夢中になっちゃいましたよ~。

さてさて。

昨日の記事に、南里文具店の若旦那からコメントをいただきました。
若旦那はね~。
ほんっとに誠実な人なんですよ。
そんなもんで、コメントに対するレスも、誠実にしよう、と。

いや、もちろん普段からなるべく誠実に行動したいとは思ってますが(^^ゞ
生来の性格がええ加減なもんで(^^ゞ
普段はかなりちゃらんぽらんかも。

……すいませんm(__)m

で、若旦那のコメントにレスポンスをしようとして、「赦」という言葉を検索してみましたら、面白いネタを発見。

「ゆるす」と読む漢字って、「赦」「許」「恕」だけじゃないんですね。

いやむしろ「恕」はあまり使われないみたい。

ちなみに「漢辞海」で調べると、「ゆるす」と読む漢字は、このほかに、
「縦」「予」「允」「免」「舎」「宥」「原」「釈」
などがでてきます。

「縦」は見逃す、捨て置くという意味が強いみたい。水滴が落ちていくのを見逃すという感じ?
「予」はよいと認めるという意味のゆるす。
「允」も同じ。
「免」は免除するの意。
「舎」も同じ意味みたい。
「宥」は大目に見るという意味合いが強い。
「原」は赦免すること。原っぱに逃してやるって感じですかね?
「釈」もほぼ同意。

ちょっとずつ違って面白いですよね(#^.^#)

ネット上では、「許す」「赦す」と並んで、「聴す」という漢字が出てきました。

なるほど。
「相手の言い分を聴こうとできる」ということがすなわち、「ゆるす」ということなのかも、しれませんね。

「聞く」と「聴く」は同じく「きく」と読みますが、相手に敬意をもって言葉をきくことを、「傾聴」って言いますよね。
耳を傾けて、熱心に聞き入る様が思い浮かぶ、いい熟語だな~って思います(笑)

そしてそれはすなわち、「聴してもらう側」も、熱心かつ謙虚でなくてはいけないってことなのだとも。

30代ぐらいまで、私は活字中毒でした。
本がないと、手持無沙汰で仕方がなかった(^^ゞ
今思えば、文字を追っていただけで、内容を理解していたとは言い難い気もしますが(笑)

とにかく本が必要でした。
でも、人を煽り立てるようなノンフィクションとかは嫌い。
学者がエラそうに何か説を垂れているのはもっと嫌い。

つまり、小説ばっか読んでたわけですね~。

でも、そんな中で、「いけ好かん!」と思われるジャンルがありました。

それは、「キリスト教文学」なてカテゴライズされていましたね。

「谷間の百合」「狭き門」。
ヒロインは、目の前にいたら、小一時間説教したくなるような、いやな奴でした。

「神に愛される自分」になろうとするあまり、他人のことを考えてないんですよね。
すべての思考が縦方向。
つまり、神と自分しかないんですよ。

自分と夫。
自分と恋人。
そういう横方向の思考の方が、私には大事に思えました。

でも、もっと
「なんじゃそりゃぁ?!」
と叫びそうになったのが、短大時代に課題として出された、ホーソーンの「緋文字」でした。

この小説はデミ・ムーア主演で映画化もされましたから、ご存じの方も多いでしょう。

ヒロインのヘスターは、美しく敬虔なクリスチャンです。
彼女はかなり年上の、醜い医師と結婚しましたが、それが過ちであったことに気づきます。
なぜならそれは、「愛のない結婚」だったからです。

夫に先んじてボストンへやってきた彼女は、かわいい娘を出産します。
でも、その父親は夫ではない。
日数が合わないんですね。

しかし彼女は、自分の道ならぬ恋の相手が誰なのか、決して語ろうとはしません。
そうして一人で罪をかぶり、胸に「姦淫(Adultery)」を意味する、赤いAの文字を縫い付けて過ごすことになるわけです。

そのころ、夫もボストンへやってきて、妻の不義を知り、怒りに燃えます。
「相手を絶対見つけてやる」
執念で彼女を追い詰めます。

さて、彼女が住む村には、高潔で、みなから敬愛される牧師(神父だっけ?)がいました。
彼の表情はある日を境に、さらに研ぎ澄まされていきます。
心の奥底に抱えた悩みが、彼の精神を鍛え、彼の心にある高潔さをいやましていました。
そう。
ヘスターが愛した男とは、この牧師なんですね。

ヘスターの夫はそのことにうすうす感づき、牧師に罪を告白させようとするのですが、
「罪を打ち明ける相手は神だけです」
とか言いやがります。
なんじゃこの言い訳は。
盗人猛々しとはこのことじゃ!!

物語の最後で、この牧師とヘスターはいっしょに逃げようとして、踏みとどまります。
そして、二人が死ぬと、天使が迎えにくるんだっけかな?

悔い改めた者の罪は許されるっていう結末ですよ。

そして、ヘスターの夫の罪は許されない。
彼の罪とは何かわかりますか?

それはね。
「許さなかった」
という罪なんです。


なんじゃそりゃぁ!!!!!

罪を差別すんなやと思う。

「許せない」なんていじらしい人間だからこその罪やないですか。

害をなされたから怒ってるんですよ。
また同じ害をこうむるのがいやだから許さないんですよ。
相手が「迷惑をかけました。反省してます。もう二度としません」っていわない限り、許すという段階じゃないやんかなぁ?
そりゃ「二度としません」と言いつつ同じ過ちを繰り返すのも人間ですよ。
でも、その「二度としません」さえ言えない人間を、どうやって許すのさ???
無理、むりむりむり!!

「神はお許しくださるのだから」
って言われるかもしれませんが、神と弱い人間を同列で考えるのはどうなん?

あのねぇ。
誰だって、「許せないこと」を胸に抱えて生きていくのは、すんごいしんどいですよ?
できれば忘れたい。

私なら許せない相手を見ないようにします。
見なければ、心乱されることもありませんもんね。

「かわいさ余って憎さ百倍」
なんて言葉もありますけども。
私なら、相手を憎いと思った瞬間に、好きじゃなくなってます。

……っていうほど単純な人間ばっかじゃないのかなぁ(^^ゞ?

ようわかりませんけど、「憎み続ける」なんて、よっぽどのことじゃなきゃ無理ですよ。

そもそも、ヘスターは「愛がない、誤った結婚をしてしまった」「自分は夫にだまされた」なんて思ってるわけですが、しっつれいな話ですよ、これ。
それでも自分の意志で結婚したんちゃうんかと。

彼女はうわべは夫に尽くしますが……。
これもやっぱり失礼な態度だと思うわ。

相手をバカにしてるからそうなるんやんか、ねぇ?

相手に対してちゃんと対応しようとするなら、責めるなりなんなりしますやん。
そうもせず、表面上は繕おうとする。

夫からしたら、
「離婚してくださいっ!!」
と言われる方がずっとええんちゃうか。

……まぁ、時代が違うと言われればその通りですけどね(^^ゞ

たださ。
「許せない」なんていう、弱い弱い人間のかわいらしい罪だけを差別するなんて、変な話だと思うわけですよ。
許せないもんは許せないやろがよ。
無理して許せってかよ?
おかしいやろ、それ。

……と。

許せないのは、相手が自分に害をなしたからでしょ?
相手が反省し、罪を償い、心から許しを請うてきたのなら、許しもしようがね。
「心を改めません」
っていう相手をどうやって許すのさ?

だって、ヘスターは、うわべっつらだけ従順にするだけで、夫を愛そうとはしなかったんですよ?
彼の良いところを探そうとか、尊敬できる部分を見つけようとか。
まずは自分が変わろうという努力をしなかった。

うわべだけ。
心の中では夫を冷たい目で見てた。
自分は夫以外の男の子を産んでおいて。

なんじゃその態度は。

許せなくて当然やろが。
何がおかしい?!


……ぜいぜい。

つまり、私が言いたいのはですね。
ヘスターは、夫が「聴そう」としても、ちゃんとした言葉を彼に与えなかったのだな、と。

妙に納得したのであります。

なんか最近、(引用文が多いからなんだけど)やたら長いな(^^ゞ
すいません。
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「憎」かぁ:南里

この文字、大好きなんです
なぜか、外国人さんから伺ったんです
「聴」は「耳」「+」「目」と「心」
耳プラス目と心
いやあいい文字です
ほれぼれします♪

おはようございます♪

気がついたことがあります
「愛」というのも「憎」という反対語をもつということで
すなわち相対的な感情なのだと
でも、なぜかシックリこないんです
「愛」というのに
絶対的なものを求めているからでしょうかねぇ
そして
「憎」を持つ人とは「罪」深いものなのかも
ということも

隣人を 愛せといわれ かたくなな
 我が観念に 気づくばかりか
”若旦那~♪、なんり、深感恩

ほれぼれ

私もときどき、日本語の美しさに、ほれぼれすることがあります。
いやぁ、日本語っていいもんですよね(笑)

愛の反対語は「無関心」だとも言いますよね。
私の場合はこれが当たってます。

本当にいやなものは、「見ないでおこう」とします。
憎むってすごく体力のいることでしょ?

「愛」と「憎」が対語であるためには、その対象者に対して執着がなくてはいけないってことなんだと思います。
もしくは、こちらが無関係になろうとしても、それを許されない状況だとか。

「隣人を愛せ」というのは難しいことですよね。
ただ、「自分の大切な人を愛せ」ということなら簡単。

そこから始めてみるのがベターかと思います(#^.^#)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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