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承認欲求

今朝、ニュースを斜め読みしてたら、「承認欲求」という言葉がでてきたんですよね。
で、
「ほぅ、こういう言葉があるのか」
と。

承認欲求と一言でいっても、
「他人から認められたい」
「自分が自分を認めればいい」
では、かなり違ってきますよね。

またまたWIKIですが、前者を他者承認、後者を自己承認と呼ぶそうです。

でも、私個人の感覚からいえば、他者から承認されてない人が、自分を承認するのって、すごく難しい気がします。

……なことないですかね(^^ゞ

いくら自分で、
「恥ずかしくない自分でいよう」
と自分を律し、それに成功していても、だれもそれを認めてくれなかったら、なぁんとなく不安定な気がするんですよ。
もちろん、他人にそれを求めるのは、幼稚な証拠だと言われたら、「そうだよなぁ」とも思うんですけどね。

ただ、人間が「神」を必要とするのは、自分を承認してくれる存在としてということもあるんじゃないでしょうか?
違うかな。
怒られるかな(^^ゞ

そしてまた、人間が「夫婦」という美しい一つの単位を作り出したのも、この「承認欲求を満たすこと」が、人間の本質にとってとても大事なことだからじゃないのかなぁと思ったりします。

でも、だからといって、他者から承認されれば、自分で自分を承認しなくてもいいなんてことは思いません。
いやむしろ、まずそこから始めなくては仕方ないんじゃないかな。

理想の自分というものをまず見つけ、それに合うよう努力していく。
その努力を認めてあげる。
そして、同じように、それを認めてくれる誰かがいる。

そうでなくては、なんか……ねぇ(^^ゞ?

もし、「ダメな自分」を認め、それを認めてくれる誰かを探そうとしたら……。
いや、「ダメな自分」ってのを「ありのままの自分」と考えれば、それはそれでいいのかもしれないけどさ。

「ダメな自分」を甘やかしてばっかりってのも、私はいやだなぁ(^^ゞ

アメリカのエイブラハム・マズローという学者さんは、「承認欲求」は、自己実現のための一つの段階だというてはるようです。

すなわち、
生理的欲求(physiological need)
安全の欲求(safety need)
所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
承認の欲求(esteem)
自己実現の欲求(self actualization)
の5つの段階ですね。

安全の欲求は、生理的欲求を満たされないと生まれてこない。

所属と愛の欲求は安全の欲求を満たさないと生まれてこない。

承認の欲求は、所属と愛の欲求を満たさないと生まれてこない。

そしてやっぱり、自己実現の欲求は、これまでの4つの欲求が満たされて初めて、生まれてくるんですね。

つまり、承認の欲求を感じてるってことは、「生理的なものが満たされ、安全で、どこかに所属していて、だれかに愛されてる」という状況なわけでしょうか。

でも、個人的には、「承認欲求」を他者に求めてる人って、「愛されてる」という実感が少ないんじゃないかなと思う。
世間的に言われている「承認欲求」とは、「所属と愛の欲求」のことじゃなかろうか?

ようわからんけど。

というか、「愛されている」という実感がなければ、ありのままの自分を出すのは難しいし、とすれば当然、それをありのままに承認してもらいたいという感情にはつながらないと思うんですよ。

旦那と会うまで、私が満たされいたのは、
「安全の欲求」
までだったと思います。

どこかに所属しているという意識はなかったんですよね。
いつもどこでも「一人でいたい」と思ってました。

信頼できる友達はいたけど、それに「所属してる」という感覚はなかったような。

勤め先の特許事務所も好きだったけれど、「そこの一員」であることにはあまり積極的じゃなかったかもしれません。
社内旅行とか、苦痛だったし(^^ゞ

実家は出たくて出たくて仕方なく、結婚前に家を購入し、一人暮らしを始めたぐらいです。
それを機会にハムスターを飼い始め、これがきっかけで旦那と知り合ったんだから、不思議なものですが……。

「愛されている」
という実感はありませんでした。
残念ながら。

もちろん、いろいろな人に助けられてきましたし、その実感はありましたが、「条件付きの愛」……というか、「条件つきの助力」だと感じてたんだと思います。
「そのかわりいうことを聞け」
「そのかわりこちらが困ったときは助けてね」
などという。

人間関係はギブ&テイクだから、「その変わり困ったときは」というのは当然なんだけどね。
なんだろ……。
当時はそれがすごく「義務」として感じられたというか。

今は「相手がどうであれ、自分が信頼したい友人にが困っているときは、できる限りのことをしたい」と、自然に思えるのだけrど。
そして相手もそう思ってくれてるなぁということを、信じられもするのだけれど。
それはたぶん、旦那に会わなければ難しいことだったように思います。

私はたぶん、我の強い性格なんでしょう。
旦那と出会ってからも、
「本当は条件付きの愛なんでしょう?」
というような疑惑みたいなものがあったようで(^^ゞ

いろいろ旦那を困らせたり、試したりしたんですよね~……。
でもその結果、
「所属と愛の欲求」が満たされたと確認したら、「承認の欲求」はすぐに満たされたような感じがします。

だってさ。
「愛される」ってことはすなわち「承認される」ってことじゃないのかな?
違うの?

そこがよくわかんない。

とりもなおさず、私がライターをやってるのは、私が書いた記事を読んだ旦那が、
「ププッ」
と笑ってくれたり、
「面白いなぁ」
と感想をくれたりしたからだと思うんですよ。

だからなんだと言われたら困るんだけど、「愛と承認」は、パートナーからやってくるものじゃないのかなぁとか思ったりします。
それ以外の誰にそれをもらうんだろうというか。
ってか、それをくれないパートナーってのは、どうなんだろうとか(笑)

とすればもし、夫婦仲がうまくいってないと思うなら、自分から「愛と承認」を心がけたらいいのかもですね。
よくわかんないですけど。

で、です。
承認の欲求が満たされたら次にくるのは、自己実現の欲求です。
WIKIによれば、
自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
とか。

たぶん、さらに正しく表現するなら、、
自分の持つ能力や可能性を社会のために最大限発揮し、具現化して自分がなりえるものにならなければならないという欲求。すべての行動の動機が、この欲求に帰結されるようになる。
でしょうね。

それを実現した人の特徴は、

1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
2.自己、他者、自然に対する受容
3.自発性、単純さ、自然さ
4.課題中心的
5.プライバシーの欲求からの超越
6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
7.認識が絶えず新鮮である
8.至高なものに触れる神秘的体験がある
9.共同社会感情
10.対人関係において心が広くて深い
11.民主主義的な性格構造
12.手段と目的、善悪の判断の区別
13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
14.創造性
15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

なのだとか。
これはたぶん、晩年にならないと無理でしょうけども(笑)

「プライバシーの欲求からの超越」ってのは、なんかわかるなぁ。
私はとてもじゃないけど超越してませんが、結婚するまで絶えず感じていた「一人になりたい」という欲求がかなりかなり軽減されたんですよ。
電車の中でも、すごく快適。
不思議ですね。

あと、「単純」になれるようになった気もします。
シンプルが一番いいって思うようになりました。

なんにせよ、人は、自分の存在を誰かに認めてもらえて初めて、「社会のために役立つ人間になりたい」って思えるんじゃないかとは思います。

そしてその「誰か」が「神」である人もいるのでしょうね。

残念ながら私は、旦那と出会うまで、「神」もよく見えませんでした。
でも不思議なことに、「承認」を感じたら、「神」も実感できるようになったんですよ。

そういうものでしょうかね?
私だけ?

よくはわからないけど、結婚してるのに、パートナーの悪口を言う人って、すっごくもったいないことをしてるなぁと思えてならないのでした。
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孤立と無用からの解放:南里

「ひとりじゃない」
と想うところに
「ひとりでも生き抜く」
という自尊心が生まれる?
というような感じがしました

おはようございます♪

もう20数年前になりますが
通勤の朝、ひとり友人が自ら命を絶ちました
彼は、大きな二つの想いを与えてくれました
1、孤立してほしくないという想い
2、無価値な人間だと思ってほしくないという想い
そんな想いを持ち続けようって思い
すぐさま
自分の周りから自殺者を出さない
という想いとなりました
それは
自分がどんなに責められようとも
自分がどんなに孤独になろうとも
人を「承認」し続ける立場になることが
ひとつの私の自己実現への欲求なんです

それから10数年が過ぎたころ
「功徳基本社会」という思想に触れます
(今、その兆候の先端が、格差社会でもあります)
「大切にしたいと思うことに
 役立ちたいと思い
 ただ働き続ける」

人は喜びと幸福を求めます
自己実現は、それの究極の姿なのかもしれません

自分自身のなりたい理想的な行動や自分像の周囲に
ほぼ、おおよそ多くの人が、その当時なり未来なりに
イキイキと過ごしている姿や
もしくは
おっしゃるように
「神さまがうなづき、ほほえんでいる」姿を
見ていると思います

そうして「共に生きる」という言葉を思い出したんです
共に学び、共にがんばり、共に励まし、共に支え、共に助け
そして、
共に笑い、共に楽しみ、共に過ごし、共に生きる
として
共に死ぬ

つまり自己実現とは
「与える」「許す」の基本信念に立った
主体的な共生のひとつのパートに身をおく
ことなのかも知れないなあと感じ始めています

殊にこの震災の一年
私たちは約2万柱の同国民の御霊の眠る国土に
命あることを辱く
生きてあることを尊く
感ぜずにはいられませんでした
そうして
一つの命を包み込む多くの命たちがあることに
気がついたとき
仲間と共に生きる喜びを覚え
その喜びは
多くの人々を孤独と苦悩と無力感から解放し
私たちの生きていく志をも高めてくれたように思います

多くの未来が、この国土の上で
つながりつつあることを感じて止みません
多くの方々の自己実現には
神さまと共に笑っている人たちの姿が
大きな喜びとなって
さらに多くの人を包み込むこととなると思っています

のん様の良さ
笑顔や思いやりや素直な心などなどに
多くの方が幸福感を味わっていると思います
あなたと共に生きられてよかったと思う人が
必ずたくさんいらっしゃいます
それを、承認というならば
自己実現は最終目標ではなく
日々、向上している自分の姿なんだなあと思うんですね
真実は今この瞬間を生き切ることとも言えるでしょう

共に汗 共に涙す 国土あり
 共に生きてる 共に喜び
”若旦那~♪、なんり、深感恩

No title

>つまり自己実現とは
>「与える」「許す」の基本信念に立った
>主体的な共生のひとつのパートに身をおく
>ことなのかも知れないなあと感じ始めています

共感します。

でも、人間って弱いものだから、すべての人に「与え」すべての人を「許す」のはとても難しいこと。
許せない人を許そうとしたら、くじけてしまいます。

マザーテレサは、「世界平和のためにできることはなんですか?」と聞かれて、「家に帰り、家族を愛しなさい」と言ってます。

まずはパートナーを愛することから始める。
それができれば近しい大事な友人を。
そしてそれができればフィーリングが合い、信頼できると思える人たちを。

そうやって広げていくしかないのでしょうね。

自己実現は最終目標じゃない。
確かにその通りかもと思います(#^.^#)

でもとにかく今日も一日、旦那を大事にしようと思います(笑)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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