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凸と凹のポテンシャル

人間をどう定義するのか。

これって難しいですよね(^^ゞ

昨日の夜、旦那と一緒にブルーレイを見てたんですが、見終わって入力を切り替えたら、筒井康隆が出てました。
「なんだろ?」
と思ってみてたら、役者さんたちが、「さまざまな出版社から出ている辞書」を演じることで、その特徴を表現するという寸劇(?)でした。

一言で国語辞典と言っても、オリジナリティを追及する出版社もあれば、文例を充実させている出版社もあるようで、なかなか興味深い。

特に、新明解国語辞典を編纂した山田忠雄氏が、凡百の辞書を「芋辞書」と呼んでるというのが面白かったなぁ。

「芋辞書」とは「芋づる式につながった辞書」のこと。
つまり、先駆書の解釈にひきずられ、似たような説明しかできてない辞書のことでしょうね。

確かに、「広辞苑」とほとんど同じような説明ばっかりの辞書って、見かけますよね(^^ゞ
まぁその方が安心でしょうけども。

でもやっぱり、それじゃあ面白くない。

どんな事象でも、その人なりの定義があるはずですもんね。
客観的でありながらも、ユニークな解釈がされている辞書なら読んでみたい。

でも、もし自分が辞書の編纂者になったら、何をどう説明します?
そんなことを考えていたわけですよ。

たとえば、冒頭の「人間」をどう説明します?
進化論者ならば、「サルから進化した動物。ほかの動物たちとの決定的違いは、理性を持つことである」と説明するかもしれませんね。

キリスト者ならば、「エホバに似せて作られた、最初の動物」と説明するかも。

孟子なら「仁・義・礼・智という四端の徳をもつ動物」かも。

人によっていろんな解釈がありそうで、それを読むのは楽しそうです。

で、ふと思ったんですよね。
「男」「女」を定義してみるのはもっと面白そうだなって。

もう何度も何度も書いてますが、私は「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」もしくは「男とはこういう生き物」「女とはこういう生き物」などという考え方が、大・大・大・大・大っ嫌いです。

確かに性による傾向はあると思います。
でもそれよりもずっと個性の方が大きいはず。

以前も書きましたが、たとえば、短距離走のタイム。
女子平均が男子平均を上回ることは、これ以前も以降も、ないでしょう。

でも、A子さんとB男君が競争した場合、どちらが勝つかはわかりません。
A子さんの方が速い可能性は十分ある。

結局は、「男」「女」という区分で人を判断するのは無理。
2種類しかないという意味で、血液型占いよりもアテにならんと思うんですね。

でも、男と女がまったく同じかと言われたら、そんなハズもない。
たとえば、遺伝子が全然ちゃう。

外見上の違いも明らかですね。

男は凸、女は凹。

古事記の冒頭、イザナギとイザナミは国を生もうとして、お互いの違いに思いをはせます。
それが、
「私の体にはなりなりて成り余れる処一処あり」
「私の体にはなりなりて成り成り合はざる処一処あり」
ですね。

男と女の外見上の違いで、決定的かつ間違いないのはここでしょう。

とすると、男の本質は凸にあり、女の本質は凹にあるともいえるかもですね?

でも、凸の本質、凹の本質とは?

イザナギは凸を「成り余れる処」と表現し、イザナミは凹を「成り合わざる処」と表現してますが、凸の本質は突出することで、凹の本質はへこんでいることでもないと思うんですよね。

どちらかというと、凸の本質は「放出すること」じゃないかな、とか。
とすれば凹の本質は「受け入れること」なのかもしれません。

その立場にたてば、昔の人が、男を陽、女を陰に分類したことも納得できるかなぁとか思ったりして。

で、またふと思ったわけですよ。
それでは「凸」と「凹」の本領とは?
などと。

っていうか、「凸に求められるもの」「凹に求められるもの」ですかね?

それを言い出すと、「男とは」「女とは」とつながってしまうので、あまり言いたくもないんだけどさ(^^ゞ

傾向として、あくまでも傾向としていうならば、男の方が女より体力があるんですね。
とすれば、凸に求められるのは「力」ってことになってしまうのでしょう。

ここまではわかるんだけど、それじゃ凹に求められるのはなんなんでしょうね?

弱さ?
繊細さ?

「優しさだ」という人もいるかもですね。
もしも凹の本質が受容することなら、相手のすべてを受け入れること、なのかもしれませんね。

でも、それがたとえ、自分のパートナーでも、「すべてを受け入れる」のは無理かもなぁ(^^ゞ

普段は旦那のいびきはまったく気にならないし、却って安心感を感じるんだけど、花粉症のときは……(笑)
だってねぇ、「ピー!」とかいうんですよ(^^ゞ

それが急に静かになったら、今度は心配になるしさ~。

ましてや、パートナー以外からやってくる押しつけは、受け入れられないときは絶対受け入れられないよなぁ(^^ゞ
無理むり。

向こうからやってくるものを大きく二つに分類するとすれば、
「押し付けようとする」
のと
「許可を求める」
があるかなと思うんですけども。

凹が受容体だとしても、それが受け入れるのは後者なんじゃないかなとも思います。

旦那はですね。
凸としてのポテンシャルがかなり高い方だと思うんですよね~。

なもんで、そのパートナーとしての自分はどうなんだろうと考えて、ちょっと……。
う~ん、凹の本質とは、なんなんでしょうね(^^ゞ?

自信なし(笑)
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融合:南里

この世に存在する
二つの相反するもの
なぜそれが存在するかは
それがこの世であるという証だからかもしれません

おはようございます♪

凸と凹!
おお!、さすがのすばらしい話題です
ありがとうございます

結論からいくと
この世は
その融合を
高いレベルの調和でもって
成し遂げてゆくものだと思います

この世(宇宙)ができて
二つに分けられるということが始まったんだと思うんです
有る無し、みたいな・・・♪

そして、それが終わりへと向かう
究極は
生と死、始まりと終わり
おおよそ無ではなく空に帰する
その融合ではあります

この宇宙は、空という0次元への旅を
しているのだと思うんです
生死の別なく有無の区別なく
始終の別なく新旧の区別ない

真に「正しい」ということすら
しっかりと説明ができないのに
再現性のある
科学の法則にそれを求めてきた
西洋文明において立てられた仮説が
「宇宙は0に帰すること」
なんですね

次の一秒のない時間、外側のない空間

「0」=「空」
という東洋の思想に帰着したのは
ほんとうに驚くばかりです

高度な調和で以て
融合を果たそうとすることが
全生物の大きな使命であり
特に、その感性の頂点に存在する生物が
人であると仮定したいと思います

私たちは、
イギリスの日本庭園を散策される
明仁天皇・美智子皇后両陛下の姿を見て
(のん様ご夫婦もこんな感じかな♪)
「和の美」を以て
高度に調和し融合している
男女を感じることもできるのですからね♪

この世には 男女の別の あるがゆえ
 愛あるを以ち 和の美輝け
”若旦那~♪、なんり、深感恩

「宇宙は0に帰すること」

これ、すごく興味深いです。

そもそも「0」ってすごく好奇心そそられる数字ですよね。
インド人がこの数字を発明(発見?)しなかったら、世の中はなんと不便だったでしょう。

宇宙は無限だと教えられてきました。
でも、「無限」という数字は、本当に理解しづらい。
中学生のとき、それを想像しようとして、気持ち悪くなった記憶があります(笑)

そしてそれが「0」であるというのは……。
う~む。

天皇皇后両陛下を見ると、本当に「あぁ美しいなぁ」と心の底から思います。
「夫婦」というものが、まぎれもない一つの単位だということを、確信しますね(#^.^#)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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