スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

価値観・距離感

世の中にはいろんな考え方があって、いろんな感じ方があって、そうやって世界が成り立ってます。

でも、中にはどうしてもその人の価値観や倫理観などが理解できないこともあって、そういう場合は、距離を置くしかないと思うんですよね。
たぶんどっちが正しいってもんでもないのだろうし、無理に合わせようとしたら、お互いに迷惑をかけあったり、傷つけたりすることになる。

基本的に私は、だれかと仲良くすることについて、厳密なところがあるように思います。
「囚人のジレンマ」を乗り越えられるなと信じる人以外とは、友達づきあいをするのは難しい(^^ゞ
「適当に付き合う」ということができないんですね。
そういうとこ、非常に不器用なんです。
ほんとに、不器用なんですよ(^^ゞ


さて、私が今まで生きてきた中で、「価値観が違うな」と感じたパターンをいくつか。

当時私は会社のお局で、毎日21時まで残業。
責任者という立場から精神的にもかなりヘトヘトでした。
土日は昼まで寝て、夜は早めに風呂に入り、ゴロゴロするとか。
旦那と二人で自然を見に行くとかで、なんとかリフレッシュして乗り切っておりました。

そういうとき、「食事会するから遊びにきて」としつこく誘いを受けて、断ってたわけですよ。
でもあんまり言われるし、いかないとややこしいことになりそうなので仕方なく行きましたが、ほぼグロッキー状態でバテておりました。

そしたらまた不満をぶつけられるんですよね(^^ゞ
「あんたは何も手伝わない!!何をしにきたの?!」
って。

何をしにきたのって……。
「来い」としつこく言われたから。
断ってもまだしつこく言われたから来たんやんか(>_<)
なら呼びつけないでよ……(>_<)
私だって来たくなかったんだよ~(>_<)

また別のパターン。
OLをやめて、フリーランスとして働き始めたころのことです。
ある人から留守居を頼まれました。
でもその日は16時半にクライアントからメールがあり、即座に対応しなくてはいけなかったので、
「仕事があるから、必ず16時には帰ってきてね」
と念を押していたわけです。
そこから我が家までは最低30分はかかりましたからね。

ところが彼女が帰ってきたのは、16時半。

「約束は守ってくれなきゃ困る」
という私に、
「だって、久しぶりの友達に会ってしもたんやもん。すぐ帰るわけにはいかへんやん!!」
と強い口調で抗議されたんです。
「それが常識やろ?」
とでも言わんばかりでした。

でも私には彼女の考えがどうしても理解できませんでした。
そこで、
「それなら『人を待たせてるから。後で連絡するわ』って連絡先を聞けばええやん」
というと、
「連絡先を聞いてまで話したい相手じゃない」

……私には理解不能の世界でした。
走って帰り、クライアントに謝りつつギリギリ対応は済ませましたが、約束を破った本人であるはずの彼女が、
「あなたは厳しすぎる」
と不満そうで、一言も謝罪の言葉を口にしなかったことが、どうしても理解できなかったんですよね(^^ゞ
いや、私は実害受けてるんですけど……(>_<)

私なら、連絡先を聞くほどの相手じゃないなら、約束を破ってまで話をしたりなんかしません。
そんなうわべの付き合い、したくありません。
大切な友達が困ってるというならともかく……。
正直「非常識」としか思えませんでした。

私は学生時代、またOL時代、
「変わってる」
「何を考えてるかわからない」
と言われましたから、私の世界観や価値観が変わってるんだと思います。

うわべだけ「わかるわかる~♪」と言っておけばいいのかもしれません。
でも私にはそういうつきあいは、苦痛でしかないんです。

私は、権威者が決めたことに盲目的に従うことはなんだか怖いし、着飾ることも興味がないし、人のうわさ話にも興味がありません。
ただ、きれいな花を見てたら楽しいし、歴史ある場所で昔の人が何を考え、何を思ったのかなどということを妄想してたら時間を忘れることができます。
そういう妄想を文章にして発信するのも楽しい。

でもそういう話をすると、
「そんなことして、何になるん?」
「うんちくが言いたいだけやろ?」
「ばかばかしい」
という人もいる(^^ゞ
「くだらん」
と吐き捨てられることもありました。

幸い、そういう人ばかりじゃなく、私の発信したものに共感し、歴史友達となってくれた人もたくさんいますが、そういう人は少数派なんだと思います。
旦那は私と目線を合わせ、同じものを見ようとしてくれますが、それは旦那だからでしょう。
ほかの人では決してこうはいきません。

だから私は、ほとんどの人とは価値観も世界観もあいません。
それは私が変なんですよね(笑)
よくわかってます。

だから、合わない人と無理に合わせる必要はないとも思うんですよ。
合わない人とは、距離を置いてつきあえばいい。
場合によっては、没交渉にすれば済むことです。

そうやっていれば平和なんですが……。

そうもいかないこともあるんですよね(^^ゞ

っていうか、実は上記「合わない人」はすべて、母のことだったりするのでございます……。
一部(私の価値観が自分と違うと知るや「ばかばかしい」「くだらん」と心底バカにした口調で吐き捨てた人)は父ですけども(^^ゞ

私がライターを始めたと両親に告げたとき、母の反応は、
「そんな、体を売って仕事をもらうようなこと、したらあかん!」
でした。
何を勘違いしてたのかはわかりませんが(^^ゞ
誤解のないよう説明しておけば、ライター始めて8年、体を売るようなハメになったことは一切ございません。
つぅか誰も欲しがらんっつぅの(笑)
少なくとも一番初めに勤めた「大手金融会社」のひどいセクハラ不倫地獄に比べれば、信じられないほど健全な世界なんですけどね。
でも、権威しか信じられない母には理解できないようです。
私が書店に並ぶような本を書かせていただけるようになって、やっと認めてくれるようになりました。

ただ、権威が認めたものだけを信じるというやり方は楽かもしれませんが、すごく危ういと私は思う。
このことも、両親の価値観との大きな齟齬になっています。

子供のころから、何かを始めようとするときは、両親には決して言わない、内緒にするのが習慣でした。
上記のように、ケチをつけられちゃいますからね(^^ゞ
私は言霊を信じるタチなんで、こういう言葉だけでもひどいダメージを受けるんですよ。

両親とも、良い人であることはわかっています。
父も母も、反社会的な人間では決してないし、間違いなく親切な人たちです。
強権的なところはあるし、私にとっては、「それは性的虐待以外の何ものでもない」と感じることはありましたが、本人に悪気がないことも理解しています。

ただ、決定的に、価値観も世界観も違う。
そして、私はそれを当然のことだと思っているけれど、両親にとってそれは、「さんざ世話になったくせに、自分たちと違う価値観を持つことは裏切り行為」と感じるのだろうということも……意識はしてなくても、無意識にそう感じているらしいということも、なんとなく感じています。

そう。
私と両親の不幸は、私の感性や価値観が、なぜか両親とはまったく違ったことだろうと思います。

特に私には、両親が同和差別を当然のように感じているらしいことが我慢できずにいやでした。
権威の認めたものだけを「是」とする人たちが同和差別を是認することは、自然なのかもしれません。
でも私にとってとにかくそれは、我慢できないことでした。
下品極まりない、野蛮なことだと思えるのです。

でも、幼いころ、私が自分の価値観に正直に行動しようとすると、それが両親には、
「反抗的」
「ずるをするための言い訳」
と映るようでした。

そこでまた、心ない言葉を投げかけられたり、怒られたりします。
本人たちは「叱ってる」つもりなのだと今はわかります。
でも、彼らとまったく違う価値観を持つ私には、わけもわからず怒られてるとしか思えませんでした。

あるとき私が、
「人が差別を作り出すのは自然の成り行きかもしれない」
といったことがあります。

もちろん、差別を是認する言葉ではなく、
「それは人間が弱いから。でも人間は叡智があるのだから強くなれる。だから差別は撤廃できるはずだ」
と続けようとしたんですが、そこで母が、
「やっとあんたも差別を認めたな」
と言ったので、言葉を失いました。

そのとき、価値観のあまりにも大きな違いを実感せずにいられませんでした。

母は悪い人ではないのですが……。
私にはない強さと優しさを持っており、「すごいな」と思うことも多々あるのです。
ただ、親しくなれる人でもありません。
生きていくうえで見ている方向が、あまりにも違うのです。

価値観の違いを実感し始めた私の、最初の行動は、「わかってくれ!」と抗議をすることでしたが、そうすればするほど相手は攻撃的になるとわかったので、「距離を置く」という方法に変えたんですね。
分かり合えないのなら、距離を置くのが一番です。
でもうちの両親は、それさえ反抗的だと言いましたけどね(^^ゞ

そのころから、一度たりとも、
「私の感性を理解してくれ」
と言ったことはなかったと思います。

考えてみれば、私も両親が何を考えてるのかわかりませんでしたから。
分かり合うなんていうのは無理だと思い知るしかありませんでした。

私の価値観を、
「くだらん」「そんなことして何になるの?」と蔑まれたことも、とくに苦には感じませんでした。
そりゃわからないだろうなと思います。
反対に、わかるはずがないと思うのに、
「親なんだから誰よりわかってる」
と言われる方が、不気味でした。
どう曲解しているのだろうと想像して、いやな気分になりました。

絶対わかってないと思うからこそ、「わかってるつもり」になられることが苦痛でした。
相手がわかってるつもりなのに「全然違う……」というと、それがまた反抗的態度だと受け止められて、恫喝されましたから(^^ゞ

私だって両親の感じ方考え方がさっぱりわからないんだから、先方が私のことをわからないのは当然です。
当たり前なんです。
なんの不思議もありません。

私や旦那の仕事は技術職です。
典型的なブルーカラーです。

ホワイトカラーの世界しか知らない父や母が理解できなくて当然。
権威あるものが認めたものしか認められない両親が、認められなくて当然なんです。
それはいいんです。

ただ、両親の価値観を「これが正解なんだ」と押し付けられることだけは、心底堪忍してほしいのですね……。

普段、元気なときは聞き流しもできるんです。
でも、今のように、ダメージを受けまくっているときに、デリカシーのない言葉を投げつけ、
「頼むから、今だけはほうっておいてほしい」
と頼んでも、
「心配して電話してるんやん」
と私が悪いように言われるは……お願いですから、堪忍してください……。

心配してくれてるのはわかるんですよ。

わかるけど……。
なんでそんなに無神経な言葉を口にできるんだろう(>_<)

でもたぶん母は、自分がどれほど無神経な言葉を投げつけているのか、自覚さえしえないのだと思います。

仕方ないんですよ。
世界観も感性も違うんだから。

仕方がないけれど、私は「言葉」に十分苦しめられるタチなんです。
だからお願いだから放っておいてほしいのにね……。

私の願いは、彼らと私たちの価値観が決定的に違うこと。
彼らが自分たちのそれを私たちに押し付けたことが一つの原因で今私たちが大きなダメージを受けているということを認めて、今後押し付けることは一切やめてほしいこと。
それさえわかってくれればいいんだけど……。
ただそれさえわかってくれればいいんですよ。

とはいえ、父の口から、
「おまえたちとは価値観が違う」
という言葉が出たことは何度かあります。

ただそれは、
「だからお前らはおかしい」
という結論に結びつくんですね(^^ゞ

そういう態度が通ると思っているということが、はからずも彼らの生きてきた世界の狭さを露呈させている、と、私は思うのですが……。

でも、自分たちは間違ってない、すべて正しいと思ってるようです。

「あんたが今苦しんでることと、お母さんたちになんの責任もない!」
と言われてしまいました……。

「事情知らなかったんやからしょうがないでしょ」
と言い訳するなら、なぜあのとき、恥知らずにも、
「社会のことはお父さんが一番わかっとる!」
と怒鳴ったのか。

「てつおさんの仕事の特殊性はよくわかっとる!」
ですってさ(笑)

わかってるわけないやろ!
ほんまにわかってるなら、絶対そんな無理言わへんやろ。
どういう結果になったか想像すらできないくせに。
何をわかってるつもりなんだろう……。
自分が裸の王様だと思い知ってほしい。

恥ずかしい人。
本当に。
恥ずかしい人たち。

そして、だれも、
「王様は裸だ」
と言ってくれない、悲しい人たち。

情けない、情けない人たち。
あぁもう、関わりたくない。
本当に、もう。限界です。

私は少なくとも一因はあると思ってるから、今後価値観を押し付けるのはやめてくれと頼んでるのにね。
それさえわかってくれないんですね。

「あんたらのことを家族やと思ってるからいうたんやろ?!」
って……。
家族なら、無神経な価値観のゴリ押しが許されるの?

私は親しい人ほど大事にしたいから、相手の価値観を大事にしたいと思います。
大事な相手だからこそ、自分の考えが、相手の迷惑になってないかといつも心配します。
それが私と大事な友達たちとの関係です。

彼らの思う「親しい関係」と私たちの思う「親しい関係」は決定的に違うのでしょう。

でも、言えばいうほど、彼らは、
「(大恩ある)親を否定しやがる、この娘は!!」
と被害者的な感情になるらしいです。

父は強権的なタイプですが、母も、「自分が悪いのではないか?」と自省しない人だということは、よくよく知ってはいるんです。
本当につまらないことでも、決して自分の非を認めないんですよね(^^ゞ

「早朝の電車で大声でしゃべるのは迷惑」
「一車線しかない制限速度50キロの混雑する道路で、20キロで走るのは法規違反じゃなくてもマナー違反」
「いくらエスカレーターは歩くものじゃないといっても、いろいろな都合の人がいるのだから、横に並んで立つのはマナー違反」
とても些細なことではありますが、私にとって、母の行動が非常識に映ることが多々あります。
でも、
「やめようよ」
というと、
「あんたは何?腕なんか組んで(その日寒かったので腕を組んであっためてました)エラそう!何様?」
「でもあんたは運転へた!」
……と、だから何?な反応しか返ってきませんでした。
私がそのとき問題にしていることと、本質的に何の関係もないことで攻撃するんですね。
これが母の常套手段です。
そして決して「自分も間違ってるんじゃないか?」と自省することはしない。

母の価値観ではたぶん、自分は間違ってないんでしょう。
傾向として、母は「法律では決まってる」「これはこういうもの」というものの後押しがあれば、自信たっぷりです。

だからいくら後ろに列ができても20キロで走って(しかも彼女の場合、おしゃべりに夢中で遅いんですよ……)も、問題ないと思っている。
でも、
「後ろに列ができてるってことは迷惑なんじゃないの?」
と言われるとなんとはなしに、自分の正しさに自信がなくなるんじゃないかと思います。

だから、
「あんたは運転がへたなくせに!」
という私にとっては「???」な攻撃を繰り出すことになる(笑)

間違いを犯したって、次からただせば恥でもなんでもないと思うのだけれど。
自分の間違いを認めることができないのだと思います。
いや、間違いだと思ってないのかな?
わかりません。

だから、私が自分の思うようにならないと、
「あんたは興奮してる」
「もういい!!!」
という反応になってしまうのです。

私から見れば、興奮して冷静ではないのは、先方なのですが……。

言っても理解してもらえないのはわかってるんだけど。
言えばいうほど疲れるだけだとわかっているのだけれど。
でも、言わなきゃテリトリーに土足でズカズカと入ってこられるのです。
自分たちの思う通りにならなければ怒るのです。

わかってるんだけど、頼むからこれ以上、侵略してこないで……。
お願いだから。
今私の精神が限界なんだとなぜわかってもらえないんだろう。

自分が人に対して悪いことをしているなどということを想像もしたことがない、「無辜の人々」って、とても怖いと思うのです。

ただ、願いが叶うのならば、今後1年ぐらい、関わらずソッとしておいてもらえたら、少しは精神状態も楽になるかと思うんですけど……。
許されないんだろうな。
育ててもらい、お世話になった、子供だから(笑)

親子関係って、とても理不尽だと思わずにいられないのです。

親だって、何を考えているかさっぱり理解できない怪物みたいな私のために、お金や労力をかけてきたわけですよね。
もっと自分たちの思う通りになる娘ならよかったろうに。
そう考えると、申し訳なくて仕方ない気分にもなります。
でも私は、彼らの思うような娘にはなれません。

なぜもっと、互いに感謝し合える関係になれる者同士が親子としてこの世に生を受けないのでしょう?
なんとかならんかね(^^ゞ

もう今、ほんとにつくづく疲労困憊なので、深く考えてみる余力がありません(>_<)

でも親たちは、
「わがままだ!!」
「私たちはあんたのためを思って!」
っていうんですよね。

あなたがたの価値観のゴリ押しを、
「肉親だから」
という理由だけで飲んだことを、今私がどれだけ後悔し、呪っているか。
そのことだけでもわかってもらえたらいいのに。

「私たちは関係ないやん!!」
などと無神経に言える人にはわかりっこないのでしょう。

できるならば、もう関わりたくない……。

なのに、価値観が違うことすらわかってくれない相手が、私たちのことを心配してるからといって、
「心配してるんやろ!!それもわからんのか?!」
って言われたって……。
それはもう恫喝でしかありません。

「あれが恫喝か?!」
と母は言いましたが……。

辞書では、
「自分の利益を確保するために罵倒や怒声などで相手を畏怖させる行為を指す。」
とあります。
畏怖させてるって、わかってないんですね。
あなた方は、私を育てた親なんですよ。
莫大なお金を負担させてますよね。
知ってます。
何度も聞きもしました。
そしてもちろん実感としてわかってます。
そういう関係、なんですよ……。

そういう相手から、
「仕事が忙しいからって、おばあちゃんの葬式に出れないというなら、お前の親の葬式に出るな!!」
と怒鳴られて、それが恫喝じゃないと?

それを義父や義母に聞かれて、恥ずかしくないんでしょうね……。
私は想像するだに恥ずかしかったけど。

聞かれることはないだろうと思ってるから、
「あれは家族だと思ってるから言ったことで恫喝じゃない」
なんてアホな、甘えたことが言えるんでしょう。
客観的に考えてほしい。
恥ずかしい人たち……。

そしてそれが誰に影響を与え、だれに迷惑をかけ、どんな結果になってるのかということも。
想像してみさえしないのでしょう。自分たちは誰にも迷惑をかけずに生きてると信じ込んでるんでしょうね。
そのくせ人から指摘されれば、
「関係ない!!」
と逆ギレするのでしょう。

なるべく迷惑をかけないようにしようと、周囲に注意を払って生きていれば、他人から指摘されたら、
「しまった!すいません」
と思えると思うのですが、自分は正しいに決まってると思っていれば、他人からの指摘は中傷としか感じられないのだと思います。

悲しい人たち……。

たぶん、先方は本気で「自分たちは何も間違ってない。すべて正しい」と思ってるのでしょう。
でも私にはそれに付き合いきることはできません。

しょうがないよね。
価値観が違うんだもん。

あなた方が私を、あなた方の価値観の中で心配してることは想像できます。
でもそれは今の私にとっては、ただ傷つく理由にしかならないんです。
普段なら、
「悪気はないんだもん」
と思えるんだろうけど、今の私の精神状態に、追い打ちかけるように、「こちらの心配を認めろ!」って言われたってさ。
……そんなしんどいこと、しなくちゃいけないのかな……

「私たちは心配して言ってるねんで!!」
というセリフが価値観の押しつけだとわかってくれたらね……。
今、この状態で、両親が私にしてくれ得る一番の優しさは、ほっといてくれることなんだけどなぁ。
できれば10年……いや、5年ぐらいでもいい。
「帰ってこなくて大丈夫。自分の世界観の中で羽根を伸ばしなさい。私たちは関わらないから」
って言ってもらえたら、どれほど安堵できるだろう。
どれだけ楽に息ができるだろう。

しんどくて、息苦しくて、悲鳴をあげそうになることがあります。
自分で自分を弱い人間だとは思いませんが……。

どんなにしんどい状況でも、「いつかは抜け出せる」と思えるからこそ、前を向いて頑張っていこうと思えるんですよね(^^ゞ
雅子様の病気がよくならない理由、わかる気がするんですよ。
「一生この環境下で生きていかなくちゃいけないんだ」
と思うと、なかなかね。
とりあえず今の精神状態をなんとかせにゃあかんのだけど(^^ゞ

両親が悪い人では決してない。
ただ、価値観が合わなかったから、そのうえ「親子」という力関係だからこじれてしまっただけだ、と理解してるだけに、余計にね……。


いや。
笑って済ませなくては。
これぐらい、なんともないと言いたい。

もっとタフになりたい。
美しく強いものを見て、それに同調したい。

醜いものは、見なければいい。

「自分たちはいつも正しい。すべて間違っていない」
そう、声高に叫ぶのは勝手ですから。

でも、私たちはもう二度と聞きません。
聞こえない場所にいることにします。

ってことで、昨日撮影してきた写真を。

0513umami_6.jpg
この花はなんでしょう?

0513umami_5.jpg
ホオジロ。
鳴き声がきれいなので、
「珍しい鳥か?」
と色めき立って、
「なぁんだホオジロか」
とガッカリすることは(←失礼?)日常です(笑)

0513umami_2.jpg
カワラヒワ。
鳴き声がきれいなので癒されます。

0513umami_1.jpg
クマバチってエゴの花も好きなんですね。

0513umami_4.jpg
春の草原。
クローバーって、ただの白なのになぜこんなにふんわりしてるんでしょう?

0513umami_3.jpg
ニワザキショウとの共演。
白とピンクってきれいです(#^.^#)
紅白饅頭?

……よっしゃ。がんばるかぁ!!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

林住期

久々に、結構長い記事ですね^^;
実の親との関係については私も著しく経験しました。

何といいますか、どう考えても親が私に自分と同じ感覚を持つことを強要してきている。
そして親は、その感覚が世間的に正しいことであり、また強要しているということを了解しない。
思春期から始まり、特に成人して以降、そんな状態に悩まされ続けていました。
「いい加減、子離れしてくれ」と叫びたくなり、実際叫んでみてもなんも変わらんだのがキツかったです。

私の両親は82歳で二人共健康に暮らしていますが、いつの間にか上記のようなことが減りました。
両親とも、各々が生死にかかわるような手術をした以降だったと思います。
理由はよくワカランのですが、子離れしてくれたのかなぁ…。

タイトルにした「林住期」は、五木寛之のエッセイの題名にもなっっていることばです。
ご存知かもしれませんが、インドのヒンドゥー教における理念的な人生区分の一つです。
(あれ? 前にも紹介しましたかも?)

師のもとでヴェーダを学ぶ学生(がくしょう)期、家庭にあって子をもうけ一家の祭式を主宰する家住期の次に来る、森林に隠棲して修行する時期なのだそうです。
五木寛之は、ブッダも妻と子を捨てて修行に入ったことを紹介しています。

私も最近、親離れを経て、行く行くは(いい意味で)子離れ・妻離れをする時期が来るかも、などと思ってます。
その方が、より優しくなれるかななどと考えています。

No title

「うっへり」でしたっけ(^^ゞ
281028さんの記事で読んで、「わかるなぁ」と思ったのを覚えてます。

私と旦那の関係を見ても、
「お互い違う人格」
ということは強く意識してるんですよね。
だからこそ、
「何を思ってるんだろう?何をどう感じるんだろう?」
と一生懸命探るわけで。
そして「相手を喜ばせたい」と行動するわけですよね。
だから同じ方向を見て行動できるんだと思います。

親は
「おまえのことはわかってる!」
と思うからそれを省略して、押し付けちゃうのかなと感じてきました。
価値観が違うから、両親の思いはわかりませんけどね(^^ゞ

林住期って言葉は初めて聞きました。
私の場合、大事な友と認識している相手は5人います。
相手が私をどう思っているかはわかりませんが、自分に損があっても、相手を信じたいと思える友人です。

だから1つでいいとは思わないんですが、でも、信じられる相手を見つけるのが大変なことだとは思ってます。
でもだからこそ、信じられる相手は大事にしたいし、その価値観も尊重したいな、と。

私は今、他人に対してなんじゃかじゃ言える状況じゃないんですが……。

281028さんに、一部だけでも共感してもらえたことで、ホッとしました。
親に対して不満を言うのって、勇気がいるんですよね(^^ゞ
でも、ちょっと限界に近かったので吐いてみました。

実際、
「あ~~~~~縁切りたい!!合わせるのは無理!!!」
と叫びそうになったことは、内緒です(笑)
世話になってるもんなぁ。
それをわかって、遠慮してるのが子供なんですけどね(^^ゞ

親が私のことを、
「他人」
とわかってくれたら、何かが変わるのかもしれません。

私が変わらないといけないのかもしれません。

それは当事者にはわからないのでしょうね。

ただ今は、当分の間、できれば10年ぐらい、そっとしておいて欲しいと切に願ってます。

今はただ、
「もう、いや~~~~~~~~!!!!!!!!」
と叫ぶのをこらえてる状況……かなぁ。

いろいろなステージがあるのでしょうね。
特に結婚してると、自分が守らなくちゃいけない人がいるでしょ?
自分に対して価値観を押し付けてくる人が、自分にとって守るべき存在を脅かしているとなれば、「私がしっかりしなくちゃ!」と思う。

でも、その「守るべき存在」は、あんまり深く物事を考えず、
「あの人たち、かわいそうやなぁ」
というのであれば、そこまできばる必要もないと思うし。

でも客観的に見て、「守るべき存在」が、圧倒的な不利益をこうむってるんであれば、やっぱり私が抗議すべきだとも思うし。

うちの旦那は、信じられないぐらいの天然さんなんですよね。

先日、竹田城まで遠出をして、
「竹田城からの景色は最高によかったねぇ。あなたは何に一番感動した?」
と聞いたら、
「のりこが喜んでくれたこと!!」
とニコニコして答えられたこととか。

どうしたらいいのか、私の答えはまだ出てません。
でも、旦那はすごくかわいいでしょ(笑)
でも、信じられないぐらいバカ(^^ゞ
だから困ってるんです。

困ってますが……。
281028さんのコメントですごく救われました。
281028さんの本意じゃないかもしれませんが、「親不孝かも」という思いが少し軽減されました。
難しいですよね。人生って(^^ゞ

たはは(^^ゞ

おわー。自ブログで盛大に愚痴ってましたがな。忘れてたぁ~(@_@;)
オカン、退院した直後は全然穏やかやないやん。^_^;

何が親不幸かというのはいろんな考え方があるとは思いますが、
私は「子供自身が不幸になること」だと思うようになりました。

自家中毒じゃないですが、子供の幸福を最も願っている親自身が
子供を不幸にしてしまうということは起こり得るとも思います。

そんなとき、親を捨ててでも自分の幸せになる道を選ぶ。
そのくらいの覚悟を持っているほうが、真の親孝行につながるのではと信じることにしています。
自分の子供にはそのくらい自立して欲しいという願いでもあります。

(あ。これ、やっぱりキリスト教の影響かなぁ…)

No title

そうなんですよね~。
親の思いがどれだけ押しつけがましくても、彼らが私のことを心配してくれてる(つもり)なのは理解してるんですよ。
だから、私が幸せになれば、過程はどうであれ、彼らも満足してくれるのかなぁとも。
でもその過程が大変ですよね(笑)

価値観や感性の違いはどうしょうもないけれど、互いにそれを尊重しあえればハッピーなんだろうなぁ。

でもとりあえず私は、自分が選んだ人=旦那や親友たちを大事することから始めますね。
彼らは、価値観や世界観を共有したいと願い合った相手ですから。

……ただ、その価値観を尊重できない相手=親であることを考えれば親不孝をやってるという引け目は感じつつですけどね(^^ゞ

なんにせよ、ありがとうございます!!
引け目は感じつつも不当と感じる部分に関してはかなり低減されました(#^.^#)

親子関係ってほんま難しいですわ(^^ゞ

慈愛と自愛:南里

「恩は着せるものではなく、着るものである」
「ほんとうの優しさとは、人に気づかれないもの」
「誰か忘れてませんか?、大切なご自身のこと」

おはようございます~♪

子どもというのは
親と自分の板挟みになって
悩むものということに
気づきました
ありがとうございます♪

世の中「拾う神」ばかりでなく
そして
人の
「陰陽(見えるか隠れているか)」と
「善悪(良し悪し)」と
「明暗(結果の正否)」
が一致しない事も記されていて
うれしかったのは
「美醜」という感覚を育んでいらっしゃることです

愛すべき貴重なレポートと思いました
ありがとうございます♪

「家」というものを大切にする気持ちは
「自分の帰る場所」
「自分が属するものをあらわす所」
「自分が何者であるかが分かる所」
から来ていると思います

のん様が
「おかえりなさい」

言われる所
そして
愛する人に言う所
そんな家のあることを感じて
幸福になることを祈ります

のん様が
人の笑顔
人の喜び
人の幸せ

心の底から願うように
のん様が
決めたこと
行動したこと
話したこと
書いたこと
良かれと思ったこと

心から愛してほしいなあと思いました

ご主人様も
この超大作のブログたちも
書き続けてきた膨大な記事たちも
周りにいたペットたちも
畑も
畑の作物も
我が国の歴史も
撮り続けてきた写真も
みんなみんな・・・

誰に認めてもらえなくても
のん様の命が認めたものばかりだから
のん様が
のん様の
命を精一杯、愛してください
ほんとうに一生懸命がんばっている命を
抱きしめてあげてください

最終的に、自分自身が
「この世に生きていてもいいんだ」
と肯定的に自分を愛することができたら
「ほんとうに、生まれてきてよかった」
と感動し
悔いのない人生と、そして
自分の人生を着実に歩んでいる手応えを感じたならば
ようやく
「私を生んでくれてありがとう
 育ててくれてありがとう」
となるのかと思ったんです

抱きしめる 自分の身体 傷だらけ
 「ごめんね」という 涙流るる
”若旦那~♪、なんり、深感恩

No title

若旦那、ありがとうございます(#^.^#)

私は幸い、私の存在をすべて受け止めてくれる旦那と出会うことができました。
もちろん、旦那のことを「理解できてる」はずもありません。
でもそれでも、私も旦那の存在をすべて受け止めると決めているし、旦那にすべてを預けようと思える。

そこから踏み出せた第一歩が本当に大きかったんです。

もし旦那と出会えてなかったら、今頃私はどうしてたろうと考えるとすごく怖いですね(^^ゞ

最近、若旦那のことを「この人は途方もなく強いなぁ」と感じます。
旦那と同種類の強さですね。

若旦那と出会えたことにも、すっごく感謝してます(#^.^#)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。