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苦手なこと

私はすごく理屈っぽい人間です。
子どものころからそれがコンプレックスだったし、感性にあふれる友人を見ると、まるで自分がダメな人間のように感じました。

以前も書いたかもしれませんが、はっきり覚えているのは、小学三年生か四年生の頃、町内の映画上映会のときのこと。
今思えば、ディズニーの「白い荒野」という映画だったのでしょう。
数が増えすぎたレミングが次々と海に飛び込み、「自殺」していくシーンがありました。

映画の説明では、
「種自体を存続させるため、こうやって個体数を調整しているのだ」
という話でした。

それを見ながら、
「もしかして、人間が戦争をするのも同じ理由なんだろうか?」
などと理屈をこねまわしていた私は、となりで涙を流していたあやちゃんに、
「のりちゃんは、可哀そうと思わないの?」
と心の底から不思議そうに聞かれたとき、自分自身がものすごく恥ずかしい人間のように感じたんですよね~……。

しかもその話を父にしたら、
「のりこは、普通の女の子が望むような幸せは、欲しがらない方がいいかもしれんな」
と言われちゃって(^^ゞ

ま、結果オーライですが(笑)

さて。
私が「ライター」を名乗ったのは10年前のこと。
ネット上で「ライター募集」の広告を見かけ、応募したのがきっかけです。

そのクライアントが大胆というかいい加減というか、ほとんど経験のない私に、芸能人のインタビューや官庁主催のイベントという、キャリアのあるライターがするような仕事を任せてくださったんですね。
そしてそれが実績となり、今に至る。

本格的に仕事が増えだしたのは去年からですが、それまでもとりあえず細々とは仕事をしていました。

つまり、「文章の書き方とは?」「良い原稿とは?」などということをほとんど考えず、行き当たりばったりでこの仕事を続けてるとも言うわけですよ。
あぁ怖い。

私が送った原稿を、編集さんや校正さんが直してくださるんで、「商品」になるときには正しい形になってるわけですが……。
私のところへのフィードバックがほとんどないので、「正しい文章」がわからないままになることが多いんですね。
ということはつまり、いつまでたっても同じ間違いを繰り返している可能性大。
こわっ!!

怖いので、文章を客観的に直してほしいなと、エッセーの通信教育を受け始めました。
幸い、最初に受け持ってくださった先生は、漢字の使い方や、文章の決まりごとなど、とても丁寧に教えてくださる方で、「文章の書き方」をイチから学ぶことができました。

その後、フリーパーパーなどの超低予算でやっている現場では、ライターも編集的役割をこなさねばならず、「この用語は使わないように」とあらかじめ「NGワード集」を送ってくださるんですが、それはほとんどあらかじめ先生から教わったことでした。
ありがとうございます~~~~~~~m(__)m

……というように、私は、書いてある内容に共感してもらえるかどうかじゃなく、一重に文章を評価してもらいたかったんだけど、先生によっては「共感」を重視される方もおられるようで、
「それがエッセーというものか」
とも思ったのでした。

ただ、文章を直していただけるという嬉しさとは別に、苦痛なこともできてきたんです。
それは、
「もう少し自分のことを書いてみてください」
というリクエストでした。

別に、自分のことを書きたくないわけじゃないんですよ。

このブログでも、「ど~でもいい私生活」を垂れ流して平気でしょ?
別に秘密主義なわけじゃありません。

でも、少なくとも先生に提出するエッセーは「作品」として書きたいわけです。
「作品」というか「商品」。
お金を出しても買いたいと思っていただける文章……ですね。
そじゃなきゃ添削してもらう意味なくない(^^ゞ?

でも、私の生活についてなんか、読者が読みたがるとは思えないんですよ(^^ゞ

参考になるわけでもないし、教養が身に着くわけでもない。
はっきり言って、世の多くの女性は、私に共感もできないと思う。
なんせ私は、「女らしさ」のかけらもない女……。

化粧するの嫌い。
着飾るのめんどくさい。
小難しい議論、好き。
小理屈こねるの、楽しい。
しかも、自分で納得がいかなきゃ気持ち悪いので、理解できるまで質問しまくる、調べまくる。
その上、疑問に思ったことは、そこにいる自分以外のすべての人が関心をもてなかったとしても、調べなくては気がすまない。

もちろん、そんなことをやってたら周囲の人に迷惑をかけるという自覚はあるので、「じゃ、私はここで」と、離脱はしますが、そういうことがあった後、かならず、
「あの人、すごい変わってるよね!」
と言われます。ま、当たり前ですよね(^^ゞ

こんな女の戯言を、誰が聞きたいっての?
こっちが教えて欲しいですよ。ったく。

でも、私が共感できるのも、私と同じようなタイプなんですよね(^^ゞ

日常生活で感じたこととか、ちょっとした発見とかについては、
「なるほど。そういう風に感じるんですね」
と興味深くは感じますが、
「わかるわかる!」
となることはめったにありません。

ましてや、誰が誰をどう思ってて……のような「噂話」的な話題になると、それをどう受け取っていいのかよくわからない。
まだ客観的な事実部分はいいのだけれど、主観的な感想になると、
「それは著者の考えであって、本人はそういうつもりじゃないかもしれないしなぁ」
などと余計なことを考えてしまうんですよね(^^ゞ

そんなわけで、自分のことならばまだ書けますが、他人を巻き込むことについては、すごく書きづらい。
いきおい旦那のことばっかりになってしまう。

「本当に仲がよいんですね」
と言われることもありますが……。
まぁ、確かに仲は良いと思います。
でも、それ以上に、
「旦那以外の他人については、たとえそれが親友であっても、毎日顔を合わせているわけでもないのに、わかっているようなことを書きづらい」
という事情があるんですね。

そんなことよりは、「敬語の使い方とは」「クリスマスとはなに?」「月はなぜ追いかけてくるの?」というテーマで文章を書く方が楽しいし、読者が面白がってくれるものを書けるはず!!

でも、それじゃあ、「エッセー」にはならないみたいなんですよね……。
どうやったら「エッセー」が書けるか。
悩んだ末、モンテーニュの「エセー」をパラパラと読んでみたんですが、う~~~~~ん……面白いんだけど、これは日本で言われているところに「エッセー」とは違う気がする(^^ゞ

考えれば考えるほど、エッセーがわからない。
正直、通信教育受けるのをやめようかとも思いました。
今は、編集さんとのやりとりも増えたし。
文章の書き方を質問できる機会はいくらでもできてきたからです。

でも、せっかくここまで習ってきたのに、
「エッセーは合わない」
なんて放り出すのもなぁ……。
少なくとも、最初のころはすごく楽しかったんだから。

それにさ。
もし、モンテーニュのエセーがエッセーの元祖だとしたらです。
こういう理屈っぽいエッセーもありってこと。
方丈記も、徒然草も、枕草子も、全部エッセーなんでしょ?
ということはつまり、自分のスタイルでいいってことですよね。たぶん。

ならば!
……私は新しいエッセーのスタイルを築きあげるという方向で突っ走ってみようか、と。

例えば、全部会話だけのエッセーとか。
反対に、日常で気付いたことについて、自分の考えを延々と書いただけのエッセーとか。
もしくは反対に、自分の考えを一切書かず、あったことだけをつらつらと書く……中に何か発見を内包できるようなエッセーとか。

ザッと考えただけでも、いろいろアイデアはあります。
ちょっと、自分のスタイルについて模索してみようと思います。
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人の感性:南里

ようやく
一年やり続けなくてはならない仕事が
引き継ぎを迎え、寂しくもありますが
ほっとひと安心♪

このブログにツッコミを入れる余裕ができたことを
ほんとに幸せに思うし
一年ぶりの、ブログを読んで
涙があふれそうになるほど
変わらない心構え・志に
懐かしさを思いました♪
ありがとう♪

表現のテクニックよりも
素直な表現をされていること
相変わらず敬意をもって読ませていただきました

おはようございます♪

どこから見ても明るい太陽って
その全体像を
想像するには容易なのですが
現実に人の目を通して見ると
必ず、裏側ができるって話を知ってます?
裏側を見ることは不可能って!!!

この話を聴いた時
人の感覚って限界があることと
人の想像力って限界がないってことを思ったんです

「ごちゃごちゃ考える」のは楽しいってのは
マッタクモッテ
共感!!!

どこから見ても明るい真理は
実は人の感覚を通して見る場合
必ず陰の部分が欠落して伝わっていることを思います

宇宙の本当のあり方、人の本当の役割
感覚を通じて感じるその陰の部分は
あらゆる感性を投入し
想像力を駆使するところにだけあって
人の表現力を越えたところにあるように思います

見える所だけ見て
ごちゃごちゃ考えるために生きて
楽しんでいるようなアホで
いいんだとも思います

のん様が
本当にまともな人間に見えるのは
私だけでしょうか?
”若旦那~なんり、深感恩

おおおおお!

何やら大役を引き受けておられたんですね。
お疲れ様です。

人間の目から物を見た時、必ず裏側ができてしまう。
考えてみたら当たり前のことなんですが、意識したことありませんでした(^^ゞ
確かにそうですよね。

私たちが見ているのは、物事の一面だけ。
それでいいんだけど。
それを意識しているのといないのでは大きく違いそうですね(#^.^#)

そういえば、月の裏側も私たちは肉眼では見れませんよね。
いつも同じところばかり見てる。

筒井康隆は、
「裏側には人類が発射したロケットがいっぱい刺さってて、血みどろの兔がいる」
なんて書いてましたが、誰だったか忘れましたが他のSF作家は、
「天使が落書きをしてしまったから、裏側は見せられないのさ」
なんていう結論にしてました。

月の裏側に何があるのか。
どんな想像をするかで個性が見えて楽しいですね(#^.^#)

プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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