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池坊550年祭記者発表会に参加してきました

記者発表会のような場に仕事で参加したことはありますが、一ブロガーとしては初めて(^^ゞ
なんか却って新鮮でした。

さて、生け花が文書に登場した最初は、1462年2月25日のこと。
「碧山日録」には、この日、池坊専慶が春公に招かれ、金瓶に梅……じゃなくて(わからん人にはさっぱりわからんジョークですいません(^^ゞ)数十枝の草花を挿したと記録されています。

それまでもさまざまな形で花は活けられてきたでしょうが、はっきりと記録に残っているのはこれが最古なのだそうです。

そしてその日から550年目にあたる来年、池坊550年祭が開催されるわけです。
オープニングとして、今年11月11日~14日の「旧七夕会池坊全国華道展」

「なんで11月に七夕?旧暦としてもおかしくない?」
と思われることでしょう。

さもありなん。

これにはワケがあるんですよ。

そもそも、7月7日というのは、先祖供養の日である……というのは、何度かお話ししたと思います。
ですから、野見宿禰と当麻蹴速による、日本最古の相撲も、垂仁天皇7年、7月7日に開催されています。
太古の相撲は殺し合いですから。
つまりは「生贄を捧げる儀式」になるわけです。

その後、仏教が入ってきましたが、インドにおける仏教には先祖供養という意識はありません。
「仏教行事」として、盂蘭盆会が開催されるようになったのは、先祖供養を大切にする日本の風土に合わせるためでしょう。
寺院にての盂蘭盆会が許可されたという記事が、日本書紀推古天皇条に見えます。

ですから、新暦のお盆は、旧暦7月7日ごろになるでしょ?
そういうことです。

江戸時代初期の後水尾天皇は、立て花の行事として「七夕会」を盛大に行われていたと言います。
主旨はわかりませんが、当時も七夕の日は重要視されてたんでしょうね。

後水尾天皇は、三十二世家元・池坊専好(二代目)に師事していたこともあり、
「私の死後は、池坊がこの行事を引き継いでくれ」
とおっしゃったとか。

そこで、後水尾天皇の命日にあたる9月に「旧七夕会」が開催されることになったんですね。

そして、現在は、繁忙期を避けて11月になったんだそうです。
「七夕」という名前に惑わされてしまいますけどね(^^ゞ

今年の旧七夕会には、被災された師匠たちも、平和を祈って華をたてられるそうです。

その他、西国三十三ヵ所すべてで献華式が行われるなど、盛りだくさんのようですから、興味のある方は、池坊のサイトをチェックしてみてください。

さて。
記者発表会は、家元・池坊専永氏の挨拶から始まりました。
華道は、現在320ほどの流派があるんですってね(^^ゞ

私は未生流の師範免状をもっていますが、これは江戸時代の発祥。
池坊の傍流にあたるようです。

「生け花は形に残らないので、流儀が語り継がれるのだ。」
「師匠の生きてきた道を伝えることがもっとも重要である。」
「生け花の基本、心の動きをとらえること。」

んなことを、訥々と……ときには雄弁に語られたのですが、恰幅のいい男性が華道について語っておられるときには、さほどフラッシュは光りませんでした(笑)

パシャパシャと前が真っ白になったのは次の次第のときですよ(笑)
1101ikenoboi_8.jpg
池坊由紀・次期家元(46世)による550年前のいけばな再現。
女性初の家元になるそうです。

1101ikenoboi_7.jpg
まだお若い。
着物が似合う。
そりゃ、写真映えしますよね(^^ゞ

池坊は、六角堂に仕える僧侶が、仏様に捧げる花を活けたことがルーツですから、彼女も既に得度されているようです。
なんて色っぽいお坊さんなんだ(笑)

由紀さん曰く、550年前の日本において、専慶の立て花が注目を浴びたのは、前年に寛正の大飢饉があったからだろうとのこと。
専慶の花には弔いの思いがあり、それに癒される人も多かったゆえ、愛されたのでは、と。

再現生け花は、六角堂境内で一般公開されているようですので、興味のある方はこの機会に。
1101ikenoboi_4.jpg


花材は、菊三種・鶏頭・紫蘭・寒菅・藤袴・女郎花・石蕗・竜胆・羊歯です。

立て花って、未生流でいう格花と似てますね。
自然を模倣しているのだと思います。

そして、ここでメイン行事。
時代小説「花いくさ」について発表されました。

三十一世家元・池坊専好が、豊臣秀吉に「華」で挑んだという話です。

実際、続群書類従中の「文録三年前田亭御成記」にも、前田利家邸での花立ては記録されていて、その意匠の奇抜さも克明に表現されています。
作品は、「前田亭大砂物」として知られているとか。

四間床をいっぱいに使い、雄大な松の枝を伸びやかに活けた「砂物」の後ろには、四幅の掛け軸。
そしてそこには……20匹の猿が描かれていたと言います。

豊臣秀吉主賓の華会に「猿」。
1101ikenoboi_3.jpg

故意だったか、偶然だったか。

まぁ、故意でしょうね。

でも、それが悪意……揶揄だったのか、日吉の神使いである猿に対する敬意だったのかはわかりません。

ただ、作者の鬼塚忠氏は、盟友利休を切腹に追いやった秀吉に対し、一矢を報いたのだと考えられたのでしょう。
実際、利休が専好の華を愛していたらしきこと、そして専好に師事していたらしきことは、「江岑夏書」「齢花集蘭」に記録されているようです。
1101ikenoboi_6.jpg

鬼塚氏がメインなんですが……。
フラッシュの量は、由紀さんより少なかったかもしれません。

やっぱり美人は得ですね(笑)

「花いくさ」は、角川書店より、12月26日に刊行だそうです。

鬼塚氏は、過去にご自分の小説を映画化した実績をお持ちで、この作品の脚本も書き始められているのだとか。
確かに、生け花は映像栄えするでしょう。

問題は配役かなぁ……。
専好役には、渡瀬恒彦なんてどないでしょ(^^ゞ?

その後は、健康いけばなの提唱。
93歳の、柴森斐水先生が登壇されました。
1101ikenoboi_5.jpg

うちのばあさまとほぼ同じ年だと考えると、感慨深い。
我が祖母はもうほとんど寝たきりですから。

手を使うと頭の運動になるというのは本当みたいですね。

阪神大震災では、家が半壊したけれど、1ヶ月しか稽古を休まなかったとおっしゃってました。
大正の女性は気丈です(#^.^#)

この後、西国三十三ヵ所における献華式の発表があり、閉会。

写真撮影となりました。
私も前列に行きましたが、腕前がねぇ(^^ゞ
1101ikenoboi_1.jpg

思いっきり斜めになってますね(^^ゞ

ただ、「大砂物」の掛け軸絵に思わず目がいきました。
1101ikenoboi_2.jpg
この猿、見覚えないっすか?

私はあります。

堺市の大安寺……呂宋助左衛門の邸宅でもあった……で、これとよく似た猿が描かれたふすまを見たんです。

同じ絵師のものかなぁ?
時代も同じですから、可能性はあると思います。

大安寺の襖絵は、狩野永徳の作とされてるようですね。

華から茶へ。
そして絵へ。

話は無限に広がりそうです。

日本の伝統文化を見つめれば、その時代が見えてくるのかもしれません(#^.^#)

さ、今日も出かけます。
バタバタ用意するぞ!!
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