FC2ブログ

人間って

今、「江戸怪談集」を読んでます。

「曾呂利物語」や、「伽婢子」など、江戸時代の怪談集から面白い物語を選び、脚注を加えたもので、これが面白いんですよ。

ただ、この怪談集、上中下のうち、上巻だけが品切れ中。
まぁ、岩波なんで、言うてるうちに復刊するとは思てますが。
復刊してよね~、読みたいよぅ(>_<)

さてさて。
怪談自体は、それほど目新しいものはありません。

それにしても、二人の側室を持った男が、女の嫉妬を見て恐れる話が多いなぁ(^^ゞ

女たちは、外面上は仲よくしているから、
「仲良きことは 良きこと哉」
な~んてのほほ~んとしているんですね、男は。大概の場合。

ところがひょんなことで、二人の女の心に燃えたぎる怨みの炎を見て仰天する……と。

その後、「もう二度と妻は持たん」と言う男もいれば、「あ~怖かった」としか考えない男もいるんですけどね(^^ゞ

自分が逆の立場だったらどうかという想像力さえあれば、「だから女は浅ましい」じゃなく、「二人のパートナーを同時に持とうと望み、それが実現すると考えていた自分が浅ましい」と思えたはずなのにね(笑)

でも、面白いのは、なぜか女の嫉妬は、「蛇」になるんです。
神話では、蛇は男神の化身であることが多いのに、江戸時代の怪談では女の嫉妬心の化身であるという不思議。
なんでなんでしょうね?

シンプルで面白いのは、「曾呂利物語」にある「夢争ひの事」かな。

二人の妾が仲よく昼寝をしているので、
「うちの二人の女たちは、仲が良いなぁ。俺は果報者だなぁ」
なんてニヤニヤしながら見ていたら、そのうち二人の髪の毛が絡み合い、争い始めた……なぁんてのがあります。

その黒髪は長く伸び、のたうち、さながら蛇のようにとぐろを巻き、組んではほぐれ、威嚇しあい……。
恐ろしきこと限りなしってことで、男は腰を抜かすわけで。

女の嫉妬心が蛇に化身するというのは、髪の毛が長いことからの連想……とかいう、実はすごく単純明快なことかもしんないですね。

んでもって、神話においては、男神の男根が長くて立派で自由自在(?!)であろうという願望の含まれた連想とか(笑)

なんにせよ、いろいろ考えちゃうところではあります。

でも、もっと面白いのは、人間の図太さたくましさが、ここにも充分に描かれているということ。

「江戸怪談」の中巻には、「因果物語」が多く収録されています。
その名の通り、「因果応報」とでも言うべき話ばかりなんですけどね(^^ゞ
その周囲の反応がえらい面白い。

例えば、ある鋳物師の話があります。
この鋳物師は、寺の鐘を盗んで溶かしちゃうんですね。
そりゃ罰が当たるやろと思うでしょうが、その通り(笑)

彼が仲間たちとある霊山に登ったときの話。

山の中腹あたりで、いきなり炎が巻き起こり、彼の周囲をぐるりと取り囲みます。

「熱い、熱い!!」
と騒ぐ男に、仲間たちはどうすることもできません。

「うわぁ、どうしよう」
「このままでは死んでしまうな」
「うん。死んでしまったら、それが穢れになって、せっかくこの山の中腹まで来たっつのに奥の院に入れなくなってしまうな」
「そりゃ困る」
「困るなぁ。そんじゃこいつが死ぬ前にさっさと奥の院まで行ってしまおか」
「そうしよう」

ってんで、どんどん山に登っちゃうんですね(^^ゞ

なんつぅ薄情な……。

この時代、「身近な人が死んだらそれが穢れとなり、社寺の門をくぐれなくなる」という考えが強くあったんでしょうね。
今では、寺の中でお葬式をしたりしますから、そんな感覚はもうないでしょうが。

また、この鋳物師が炎に巻かれたのは、寺の鐘を炎で溶かしたことに対する報いなのではありましょう。

そこらへんはわかりやすいんですけどね(笑)

「死んだら穢れになるから、その前に山に登ろう」
っていう発想が心底すごいと思う。

現代においてですよ?
友達と一緒に霊山に登ってたときに、友人が谷底に落ちたとしましょうよ。
その友人は日ごろからバチあたりなことを繰り返していて、谷底に落ちたのはバチかもしれないという感覚もあったとしましょう。

でもそれで、
「うわぁ、こいつが死んだら穢れになって、せっかくこの霊山まで来たのに、頂上には行けなくなってしまう!」
ってんで、さっさとほうって行ってしまったとしたら、
「いくらなんでもそれはひどいっ!!」
と非難ごうごう浴びると思うんですけどね(^^ゞ

つぅか、仲間なわけなんだから、まずは
「助けなきゃ!」
って思わないんかなぁ(^^ゞ

とはいえ。
昔の登山は今の登山とはまったく違っていたでしょう。

多分ですが、文字通り命がけであったかと思います。

なんせ、道は整備されていないし、崖もあったろうし、危険な動物もわんさか。

山伏の友人から、「昔は、滑落した山伏がいたら、滑落する奴が悪いとほうって行かれたんですよ」と聞いたことがあります。
一人脱落したとしても、その団体にはさほど影響はないでしょう。
しかし、その一人を助けるために団体の全員が労力を割いたとしたら、そのせいで団体全体の体力が落ちてしまうかもしれません。

つまり、今ほど余裕がなかったんでしょうね。
みんな、ギリギリのところで生きていたから、自分が生きるので精いっぱい……という時代もあったってことでしょう。

今の時代の常識で、古の物語を斬ることはできません。

ただ、江戸時代ともなれば、そんな感じでもなさそうですけどね(^^ゞ

それが証拠に、この物語はまだ続きがあります。

仲間たちが頂上で参拝を済ませ、下りてくると、まだ男は炎に巻かれて生きていた……と。

で、彼らは
「うわぁ、まだ生きてた」
「ほんまやほんまや」
と、家に帰っちゃうんですわ(^^ゞ

そしてその後しばらくその炎を見ることができた……らしいです。

ほんま、薄情や(笑)
とはいえこれも、「仲間」という言葉にだまされてるのかもしれないですね。
「仲間」たちは、鋳物師を内心では嫌っていたのかもしれない。
江戸時代は、五人組なんかの名残みたいなのがあって、近所同士が仲よくなくても一緒に出かけたりすることもあったのかもしれないし。

よくはわかりませんが、こういうのを読むと、
「人間ってさぁ」
って思わずにいられないのでありました。

つまりね。
人間って、まずは自分のことを考えるわけですよね。
それはしょうがない。自分が生きなくちゃいけないんだから。

だけど、「自分以外の存在の利益」を考えなきゃ、「社会的動物」とは呼べません。
なるべく「公共」「自分以外の存在」について思いを馳せようと思えば、視野を広げるしかないんですよね。
頭の体力をつけるしかないんだと思います。

昔の人たちは忙しくて、頭の体力の多くを、仕事や家事なんかの雑事に使わねばなりませんでしたが、今の私たちは、多くの「雑事」から解放されているはず。

そのおかげで「頭の体力が落ちている」としか思えない、びっくりするぐらい自分勝手な人もいるんでしょうが……。
単純に考えれば、頭の体力を保持さえできれば、今までよりもっとずっと、公共のことを、他人のことを考えられるはずなんですよね。

そういうことを考えれば、私たちは、この「江戸怪談」に登場する人たちよりは、もう少し人情味篤く生きられるはず……なぁんてことを思ったのでした。
スポンサーサイト



プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
カレンダー
09 | 2010/10 | 11
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -