ふいご祭り
というわけで、昨日見学したのは、大阪市鎮座・生国魂神社の刀剣鍛練神事。
通称、ふいご祭りでございました。

このお祭りについて知ったのは2年前。
仕事でイベントを取材したんですが、そこに「鞴座」というトリオが出演してはったんですよね。
「鞴」という名の通り、「空気送り器」を使った楽器で演奏する面白い楽団でね。
アコーディオンやバグパイプなどの音も懐かしかったなぁ。
で、そこで聞いたんですよ。
「鞴祭り」という行事があることを。
そしてそのお祭りでは、刀剣鍛練の仕事を実際に見ることができるってことを。
家に帰ってすぐに日程を調べたら、お祭りは11月8日に開催されることがわかりました。
でも去年の11月8日は、他のイベントに気をとられちゃって(^^ゞ
えぇ、鴨川シーワールドで、赤ちゃんシャチが生まれたんですよ~。
で、そっちへ行っちゃったんで、祭りは見学できませんでした。
だから、今年は絶対行くと決めてたんですよ。
なにしろこのお祭りは、毎年決まって11月8日に開催されます。
旦那と一緒に行こうと思ったら、この日が土日にあたる年しか無理。
去年は土曜日で、今年は日曜日だったから、次に土日にあたるのは6年後ぐらいってことになっちゃいますもんね。
お祭りの詳細は、レポートをどうぞ。
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/ikutama_fuigo.htm
私は正面から、旦那は横からと、場所を分けて撮影したんで、割とわかりやすい画像になってるか、と。
さて。
お祭りはもちろんおもしろかったんですが、今回は、「ご縁」の面白さについてちょっと考えてしまったんですよ。
先日、水都大阪2009年のイベントに招待していただいた話は「水都」で書いた通り。
招待してくださったのは、中村扶実さんというシャンソン歌手で、このイベントの主役・大橋房太郎さんのひ孫にあたる方です。
彼女と知り合ったのは、やっぱり神社のお祭りでした。
直会のとき、前に座ったんでいろいろお話しをし、CDをいただきました。
その後、彼女の出演するプログラムに何度かお邪魔し、一緒に神社を周ったりしましたが、その後3年ほど、年賀状だけの仲になってました。
理由は簡単。
彼女が、電子メールをほとんど観ない人だったから。
私は電話が苦手だし、彼女は電子メールが苦手という(笑)。
そういうすれ違い方もあるわけですよね。
が、最近では彼女も電子メールをよく使うようになられたらしく、水都大阪の後は、結構メールのやりとりをすることになりました。
で、言われたんですよ。
「○○さん(私)夫婦と一緒に行った、神社ツアーは強烈で、忘れられません」
って。
そういう風に言われると張り切っちゃうのが私たちなんですが、今はちょっと生活が厳しくて、大がかりな神社ツアーをセッティングするのがむずかしい。
そんなわけで、
「そんじゃまぁ、お祭りにでも行きませんか?」
と誘ったわけです。
扶実さんは、フランスでもコンサートを開いたりして、ずいぶん活躍してはるようですが、だからと言って「自分は特別」という風では全然ありません。
普通~な感じ。
曾祖父様は政治家さんですが、いわゆる「清貧の人」だったらしく、おうちは旧家だけど、華美な生活をしてはるってわけじゃないみたい。
だから、私たちも特段構えることなく、「そんじゃ神社のお祭りでもいっしょに見学しましょか?」と言えるわけですが、考えてみれば、神社のお祭りって、大半の人が、
「だから何?」
な内容だったりもするんですよね(笑)
私たちは祝詞の内容にさえ興味を持ちますが、普通の人はそんなんどうでもいいと思う。
だから、古代史にさほど興味を持たない人を、神社のお祭りに誘うってのは、結構な冒険なんですよ。
でも、なんとなく、扶実さんなら面白がってくれるという感覚がありました。
さて、待ち合わせ時間。
「鳥居の前で」と約束してあったんですが、鳥居はいっぱいありまして(^^ゞ
案の定というかなんというか、お互い違う鳥居のところで待ってたもんで、落ちあえたのは約束の時間を10分ほど過ぎたころでした。
鳥居前にいたのは、扶実さんの娘さん、そしてお母様。
「脚が悪いんで、たまには運動をしなきゃと思って誘ったの」
ということでした。
神社の中は結構な人混みで、しかも開口部分が狭いんで、工夫しなきゃちゃんとお祭りを見れないだろうなという感じ。
お祭りが始まる直前に、隣の祠が開放されましたが、脚の悪いお母様は人混みに走り込むわけにもいかず、旦那たちに行ってもらうことにしました。
私とお母様は二人正面から見ることに。
とはいえ、私は塀のところにかぶりつき、隙間から一部始終を見ることができましたが、お母様の方は後方の日影におられたので、ほとんど見えなかったと思います。
ホストとしてはダメダメなんですが……(^^ゞ
「せっかく見にいらっしゃったんだから、気にせず、前へ行って見てきてください」
と言ってくださったんで、お言葉に甘えて。
途中、何度かちらちらと後ろを振り返って、しんどそうにしてはらへんことは確認しましたが……。
やっぱホストとしては失格っすね(^^ゞ
お祭りは結構本格的でした。
炭火で火を起こし、そこに鋼を入れて鍛えるんですが、炭の量も半端じゃなかった。
本気で火を起こしてはります。
真っ赤な鉄も、半端なく熱そう(笑)
見てて結構興奮しちゃいましたよ。
で、お祭りの次第が終わって、すぐに後方のお母様のところに戻ったんですが、
「音が聞こえたから、何をやってるかは大体わかりましたよ」
とおっしゃる。
「刀剣鍛練にお詳しいんですか?」
と尋ねると、にっこりして、
「父が日本刀の収集家で、刀匠とも懇意にしてましたからね」
とのこと。
文化保存委員長だとかなんだとか……私にはよくわからないけど、そういった役柄も務めておられたんだそうですわ。
そして、祠前の垂れ幕を指さして、
「この神社のご神紋は、刀の鍔のようですね」
と。

……ほんとだ。
全然気付かなかった。
「日本刀は、父が本当に好きだったから。そういったところにも目が行くのねぇ」
とおっしゃってましたが、神社のあれこれに興味を持ってるはずの私は全然気付きませんでしたよ(^^ゞ
まぁ、私の場合は、あんまりにも注意不足なんですけどね(笑)
その後、旦那たちが戻ってくるまで、日本刀のお話しをいろいろ伺いました。
しかし……。
たまたま誘ったお祭りが、日本刀を鍛練するお祭りだったというのも、なんというか、不思議なご縁だと思えてなりません。
このお祭りを目前にしたときに、
「神社ツアーが忘れられない」
とメールを受け取ったのも偶然なのかな?
いや、違うような気がします。
さまざまな糸が織り込み合い、もつれ合いしながら、何か大切なことを教えてるんじゃないかという気がしてならんのです。
考えてみれば、扶実さんの曾祖父である、大橋房太郎氏は、「放出の太閤さん」と呼ばれたとか。
「放出」というのは地名で、「はなてん」と読みます。
面白い地名だけど、その由緒は古い。
その昔、奈良時代だか平安時代だかいうぐらい古い時代のこと、熱田神宮のご神体である草薙の剣が中国の僧によって盗み出されたことがあると言います。
その僧は剣を荷物に隠し、船で自分の国に逃げようとしますが、どうしても船が進まない。
仕方なく剣を放り出したら、船は順調に風に乗り、母国へ帰ることができたと言います。
このとき、剣を放り出した場所が、放出だと言います。
つまりこの地は、草薙の剣が戻された場所でもあるってことです。
剣は、放出にある「阿遅速雄神社」に一度留まり、熱田神宮へ戻されました。
そしてね。
阿遅速雄神社のご祭神は、私と扶実さんが初めてであった神社のご祭神でもあるんです。
何がどうというわけではないし、どういう風に点と線がつながるかはさっぱりわかりませんが、
「何かある」
という気がするのは、私だけじゃないと思うんですが……いかがでしょう?
ご縁というのは、なんだかほんとに不思議なもんです。
せっかくのご縁、粗末にしたくは、ないですよね。
……と言いつつ、ダメダメホストだった私ですが(^^ゞ
いや~……すんませんm(__)m
通称、ふいご祭りでございました。

このお祭りについて知ったのは2年前。
仕事でイベントを取材したんですが、そこに「鞴座」というトリオが出演してはったんですよね。
「鞴」という名の通り、「空気送り器」を使った楽器で演奏する面白い楽団でね。
アコーディオンやバグパイプなどの音も懐かしかったなぁ。
で、そこで聞いたんですよ。
「鞴祭り」という行事があることを。
そしてそのお祭りでは、刀剣鍛練の仕事を実際に見ることができるってことを。
家に帰ってすぐに日程を調べたら、お祭りは11月8日に開催されることがわかりました。
でも去年の11月8日は、他のイベントに気をとられちゃって(^^ゞ
えぇ、鴨川シーワールドで、赤ちゃんシャチが生まれたんですよ~。
で、そっちへ行っちゃったんで、祭りは見学できませんでした。
だから、今年は絶対行くと決めてたんですよ。
なにしろこのお祭りは、毎年決まって11月8日に開催されます。
旦那と一緒に行こうと思ったら、この日が土日にあたる年しか無理。
去年は土曜日で、今年は日曜日だったから、次に土日にあたるのは6年後ぐらいってことになっちゃいますもんね。
お祭りの詳細は、レポートをどうぞ。
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/ikutama_fuigo.htm
私は正面から、旦那は横からと、場所を分けて撮影したんで、割とわかりやすい画像になってるか、と。
さて。
お祭りはもちろんおもしろかったんですが、今回は、「ご縁」の面白さについてちょっと考えてしまったんですよ。
先日、水都大阪2009年のイベントに招待していただいた話は「水都」で書いた通り。
招待してくださったのは、中村扶実さんというシャンソン歌手で、このイベントの主役・大橋房太郎さんのひ孫にあたる方です。
彼女と知り合ったのは、やっぱり神社のお祭りでした。
直会のとき、前に座ったんでいろいろお話しをし、CDをいただきました。
その後、彼女の出演するプログラムに何度かお邪魔し、一緒に神社を周ったりしましたが、その後3年ほど、年賀状だけの仲になってました。
理由は簡単。
彼女が、電子メールをほとんど観ない人だったから。
私は電話が苦手だし、彼女は電子メールが苦手という(笑)。
そういうすれ違い方もあるわけですよね。
が、最近では彼女も電子メールをよく使うようになられたらしく、水都大阪の後は、結構メールのやりとりをすることになりました。
で、言われたんですよ。
「○○さん(私)夫婦と一緒に行った、神社ツアーは強烈で、忘れられません」
って。
そういう風に言われると張り切っちゃうのが私たちなんですが、今はちょっと生活が厳しくて、大がかりな神社ツアーをセッティングするのがむずかしい。
そんなわけで、
「そんじゃまぁ、お祭りにでも行きませんか?」
と誘ったわけです。
扶実さんは、フランスでもコンサートを開いたりして、ずいぶん活躍してはるようですが、だからと言って「自分は特別」という風では全然ありません。
普通~な感じ。
曾祖父様は政治家さんですが、いわゆる「清貧の人」だったらしく、おうちは旧家だけど、華美な生活をしてはるってわけじゃないみたい。
だから、私たちも特段構えることなく、「そんじゃ神社のお祭りでもいっしょに見学しましょか?」と言えるわけですが、考えてみれば、神社のお祭りって、大半の人が、
「だから何?」
な内容だったりもするんですよね(笑)
私たちは祝詞の内容にさえ興味を持ちますが、普通の人はそんなんどうでもいいと思う。
だから、古代史にさほど興味を持たない人を、神社のお祭りに誘うってのは、結構な冒険なんですよ。
でも、なんとなく、扶実さんなら面白がってくれるという感覚がありました。
さて、待ち合わせ時間。
「鳥居の前で」と約束してあったんですが、鳥居はいっぱいありまして(^^ゞ
案の定というかなんというか、お互い違う鳥居のところで待ってたもんで、落ちあえたのは約束の時間を10分ほど過ぎたころでした。
鳥居前にいたのは、扶実さんの娘さん、そしてお母様。
「脚が悪いんで、たまには運動をしなきゃと思って誘ったの」
ということでした。
神社の中は結構な人混みで、しかも開口部分が狭いんで、工夫しなきゃちゃんとお祭りを見れないだろうなという感じ。
お祭りが始まる直前に、隣の祠が開放されましたが、脚の悪いお母様は人混みに走り込むわけにもいかず、旦那たちに行ってもらうことにしました。
私とお母様は二人正面から見ることに。
とはいえ、私は塀のところにかぶりつき、隙間から一部始終を見ることができましたが、お母様の方は後方の日影におられたので、ほとんど見えなかったと思います。
ホストとしてはダメダメなんですが……(^^ゞ
「せっかく見にいらっしゃったんだから、気にせず、前へ行って見てきてください」
と言ってくださったんで、お言葉に甘えて。
途中、何度かちらちらと後ろを振り返って、しんどそうにしてはらへんことは確認しましたが……。
やっぱホストとしては失格っすね(^^ゞ
お祭りは結構本格的でした。
炭火で火を起こし、そこに鋼を入れて鍛えるんですが、炭の量も半端じゃなかった。
本気で火を起こしてはります。
真っ赤な鉄も、半端なく熱そう(笑)
見てて結構興奮しちゃいましたよ。
で、お祭りの次第が終わって、すぐに後方のお母様のところに戻ったんですが、
「音が聞こえたから、何をやってるかは大体わかりましたよ」
とおっしゃる。
「刀剣鍛練にお詳しいんですか?」
と尋ねると、にっこりして、
「父が日本刀の収集家で、刀匠とも懇意にしてましたからね」
とのこと。
文化保存委員長だとかなんだとか……私にはよくわからないけど、そういった役柄も務めておられたんだそうですわ。
そして、祠前の垂れ幕を指さして、
「この神社のご神紋は、刀の鍔のようですね」
と。

……ほんとだ。
全然気付かなかった。
「日本刀は、父が本当に好きだったから。そういったところにも目が行くのねぇ」
とおっしゃってましたが、神社のあれこれに興味を持ってるはずの私は全然気付きませんでしたよ(^^ゞ
まぁ、私の場合は、あんまりにも注意不足なんですけどね(笑)
その後、旦那たちが戻ってくるまで、日本刀のお話しをいろいろ伺いました。
しかし……。
たまたま誘ったお祭りが、日本刀を鍛練するお祭りだったというのも、なんというか、不思議なご縁だと思えてなりません。
このお祭りを目前にしたときに、
「神社ツアーが忘れられない」
とメールを受け取ったのも偶然なのかな?
いや、違うような気がします。
さまざまな糸が織り込み合い、もつれ合いしながら、何か大切なことを教えてるんじゃないかという気がしてならんのです。
考えてみれば、扶実さんの曾祖父である、大橋房太郎氏は、「放出の太閤さん」と呼ばれたとか。
「放出」というのは地名で、「はなてん」と読みます。
面白い地名だけど、その由緒は古い。
その昔、奈良時代だか平安時代だかいうぐらい古い時代のこと、熱田神宮のご神体である草薙の剣が中国の僧によって盗み出されたことがあると言います。
その僧は剣を荷物に隠し、船で自分の国に逃げようとしますが、どうしても船が進まない。
仕方なく剣を放り出したら、船は順調に風に乗り、母国へ帰ることができたと言います。
このとき、剣を放り出した場所が、放出だと言います。
つまりこの地は、草薙の剣が戻された場所でもあるってことです。
剣は、放出にある「阿遅速雄神社」に一度留まり、熱田神宮へ戻されました。
そしてね。
阿遅速雄神社のご祭神は、私と扶実さんが初めてであった神社のご祭神でもあるんです。
何がどうというわけではないし、どういう風に点と線がつながるかはさっぱりわかりませんが、
「何かある」
という気がするのは、私だけじゃないと思うんですが……いかがでしょう?
ご縁というのは、なんだかほんとに不思議なもんです。
せっかくのご縁、粗末にしたくは、ないですよね。
……と言いつつ、ダメダメホストだった私ですが(^^ゞ
いや~……すんませんm(__)m
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