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以前から気になってたんですよね。





関係ないけど、関西では「おみおつけ」という言葉はあんまり聞きませんよね。
小学生のころ、教科書だったか、子ども向けの読み物だったかに、
「花子さんはおみおつけをいただきました」
なんて文章があって、
「おみおつけってなんぞや?」
と不思議に思ったことを思い出します。

あ、小川未明の童話だったかも。
後で確認してみよう。

それはとにかく、「おみおつけ」を漢字にすると「御御御付け」なんですよね。

……なんかすごく、バカみたいだと思いません(^^ゞ

丸谷才一氏は、
「~させていただきます」
という日本語を批判してはります。

「くどいっ!!」
っていうんですよね。

たとえば、「お盆は休業させていただきます」じゃなく「お盆は休業いたします」「お盆は休みます」でええと。

「過剰にへりくだるんじゃねぇ!!」
とおっしゃってるのでございます。

私自身は、「~させていただきます」はさほど気になりませんが、「御御御付け」はくどいと思います(笑)

で、気になってるのが「御」ですよ。

今朝、出来上がった原稿をクライアントに送ったところ、
「あと何件か依頼したいのがあるけどまだ用意できてないんで後で連絡する」
との旨のお返事が届いたんですよ。

そこでね。
「ご用意できましたらご連絡いたします」
とあったのが妙にひっかかりまして(^^ゞ

以前から気になってたのは、自分の行動に対して「ご」をつけることなんですわ。
この文章ではそれが2つつながってるので気になっちゃったんですね。

「お気軽にご相談ください」
なんてフレーズはよく見かけますし、「相談も」「気軽」も先方のことなんで「お」「ご」がついても問題はありません。

私はなんとなくくどい気がするんで、「気軽にご相談ください」と「お」をとると思いますが……。

まぁ、文章的に問題があるわけじゃないですよね。

でもね。
「ご相談させてください」
はどうです?

自分が相談するのに「ご」をつけるのって、なんか変だと思いません?

でもよく使われてますよね、この言葉。

一応、文科省の指針を確認してみました。
PDFですんで、重いのがやな人は開けないでくださいね。
引用しますから。


こう書いてあります。
自分側の動作やものごとなどにも,「お」や「御」を付けることはある。自分の動作やものごとでも,それが<向かう先>を立てる場合であれば,謙譲語Ⅰとして,「(先生を)お待ちする。」「(山田さんに)御説明をしたい。」など,「お」や「御」を付けることには全く問題がない。また「私のお菓子」など,美化語として用いる場合もある。
「お」や「御」を自分のことに付けてはいけないのは,例えば,「私のお考え」「私の御旅行」など,自分側の動作やものごとを立ててしまう場合である。この場合は,結果として,自分側に尊敬語を用いてしまう誤用となる。


ということで、相手をたてる謙譲語として「御」を使ってるわけだから、OKってことらしいです。

ちなみに「~させていただく」についてもありますね。

基本的には,自分側が行うことを,ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,イ)そのことで恩恵を
受けるという事実や気持ちのある場合に使われる。

ってことで、この二つの条件を満たさない場合は、不適切な表現だと書かれてます。

たとえば、人の本をコピーさせてもらうとき、
「コピーを取らせていただけますか。」
はOK。

「休業させていただきます」
は相手の許可を得なきゃいけない場合以外は、冗長すぎるからNG。

ただし、たとえば、有給休暇をとりたい場合、上司に使う場合はOKですよね。
まぁ、「休業」なんて言い方はせんけど(^^ゞ

というわけで、一応、気になってたことに答えは出ました。
はぁ良かった(笑)

暑いので動くのがいやになりますが、今日は仕事もありません。
午後からゴロゴロしながら本でも読むか~……ってことで、午前中は働きます。

さて、やるかぁ。
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とんでもないことを言い出してみる

昨日、ず~~~~~~っと考えてたんですよ。
こんなことを言ったら批難ゴウゴウかなぁ、言わない方がいいのかなぁ……って。
自分でも確信がもててないしさ。


でも、とりあえず言うことから始めてみましょう。



藤原氏は、物部氏である。






……す、すいません。

でも、決して理由のない話じゃないんです。

最初に「もしかして物部氏と藤原氏って関係深くない?」と思ったのは、東大阪は菱江にある「仲村神社」に参拝したときのことでした。

こちらのご祭神は、己己都牟須比命となってました。
調べてみると、天児屋根命の祖神ですね。
全国的にも祀っている神社は珍しいです。

東大阪から八尾あたりは、物部氏の本拠地なんですよ。
日本書紀にある、物部氏と蘇我氏の戦いでも、このあたりの地名が頻出します。

「なんでここに、珍しい、藤原氏の祖神のまたその親神様が祀られてるんだろう?」
って不思議に思いませんか?

参拝した日は2007年5月1日になってますが、それから神社の紹介を更新してないな(^^ゞ
近いうちに行ってきますm(__)m

ご存知の通り、藤原氏はなぞに包まれた氏族です。
始祖となる鎌足公以前は、ほとんど歴史の表舞台に出ていない。

なのに、それ以降は飛ぶ鳥を落とす勢い。
藤原道長なんぞ、
「この世の中全部、俺のもんじゃねぇの?」
なんぞと言うてはりますよね?

それぐらい繁栄した氏族なんです。

藤原氏の名が生まれてから、藤原氏はあらゆる権力闘争に顔を出してます。
そして、勝ってきています。

兵法の使い手であった物部氏ならでは……。
と言えば、うがちすぎ……ですね(^^ゞ

ただ、大和朝廷ができる際、それまで「大王家」であった蘇我氏を、中大兄皇子と組んで倒したのが、物部氏であると考えると、しっくりくるような気もするんですよ。

それまで、蘇我氏と物部氏は並んで立つ両雄だった。
長い間の確執もあるが、蘇我は強くてなかなか倒せない。
それよりは、朝廷家の方が組みしやすい。

だから組んで蘇我を倒す。
そして自分はナンバー2となり、影から朝廷を動かす……とね。

小説やドラマにはなりそうでしょ(笑)


さて。
もっととんでもないことを言い出します。

私は、男系天皇より、女系天皇の方が優れている点があると思っています。
それは、
「確実に皇室の血脈を守れる」
ってこと。

記紀神話では、天皇が后や側室に、
「それは本当に私の子なのか?」
と疑ってかかるシーンが、私が今思いつくだけで2つあります。

ひとつは雄略天皇。
そしてもうひとつは、天孫であるニニギです。

ニニギは自らが熱望した美しい妻・コノハナサクヤヒメが妊娠したとき、
「本当に私の子なのか?」
と疑います。

ヒメはかなり乱暴な方法。
火の中で出産することで、自分の無実を証明しますが、だからといって本当に生まれた子がニニギの子であるという証拠にはなってないんですよね。

それが誰の子かは、母親のみぞ知る。
父親が誰かはわかりません。
少なくとも記紀は、「ニニギの子であった」と結論づけてますし、それに反論するつもりもありません。

ただ、私が不思議に思うのは、
「なぜこんなエピソードが、少なくとも二度、記紀神話に挿入されているのか?」
ということなんです。

それだけじゃありません。
神功皇后が応神天皇を出産したときの経緯は、誰だって不自然さを感じると思うのです。

天皇と皇后、そして忠臣であったタケノウチノスクネが暗闇の中で託宣を行っていた間に、天皇は亡くなっています。
そしてその後皇后は三韓へ出兵。
応神天皇を出産したのは、凱旋の後です。

戦にどれほどの時間を要するかはわかりませんが、天皇の子であると考えるのは不自然な内容になっています。

そう。
まるで、
「誰の子かと疑ってちょうだい」
と言っているかのように。

日本書紀は、三代続く(性格には途中に文武天皇が入ってるけど)女帝の時代に成立したとされていますよね。
なぜ、女帝たちはこんなエピソードを入れたのでしょうね?

ちなみに言えば、タケノウチノスクネのモデルは、藤原不平等であるとも言われています。
彼と年かっこうが釣り合う女帝は、元明天皇ということになるでしょうか。
そして彼女の夫、草壁皇子もまた、早くして夭折しています。

記紀のこの記述は、ほかならぬ元明天皇が、「私と不平等の仲について、少し考えてみてちょうだい」と言ってるように思えなくもない。

とすると、文武天皇の父親は……?
ってね。
とんでもですよ。えぇ、とんでもなんです。
怒られることを承知で、妄想を書いてます。

でもね。
もし、藤原氏が物部氏だったら?

そして、見掛け上はナンバー2に降臣しながら、その実、天皇に成り変わったのだったら?


一二三四五六七八九十
布留部 由良由良止 布留部

「布瑠の言」を唱えながら十種の神宝を振れば、死人も生き返る。

十種の神宝とはなんなんでしょう?
沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼

持統天皇・元明天皇・元正天皇の後、聖武天皇の光明皇后が活躍します。
そしてその娘である孝謙(称徳)天皇は、弓削道鏡を天皇にしようとし、夢破れます。

……弓削氏は物部氏の一派ですよね……。

ちょっと思いついて、自分でもものっそあほらしくて言うのもなんだと思いましたが、せっかく思いついたんで言っちゃいましょう。

沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼
鏡と玉を女。
剣と比礼を男としてですね。

沖津鏡を持統天皇。
辺津鏡を元明天皇。
八握剣を文武天皇。
生玉を元明天皇。
死返玉を光明皇后。
足玉を称徳天皇。
道返玉を高野新笠。
蛇比礼を桓武天皇。
蜂比礼を平城天皇
品物之比礼は……もうこの後は男性天皇が続きますんで、その中の誰かってことにしてですね。

10代で、藤原氏……つまりは物部氏が息を吹き返したことを暗喩してる……な~んてね(笑)

いやいや、これはいくらなんでもトンデモすぎると自分でも思いますんで、攻撃しないでね。
自分でもちょっとこれはどうなんだよと思ってますから、えぇ。

でもさ、単純に想像するとちょっとしたロマンを感じるでしょ?

そしてもし藤原氏が物部氏なら。
春日野の主はさほどひどい扱いを受けてないかもしれない。

春日野の主が紀氏ならばね。
紀氏と物部氏は割と友好的な関係にあったと考えられるので。

んなことを昨日、なんじゃかじゃと作業をしながら考えておりました。

ほんと、酔狂だねぇ(^^ゞ

夢の恋人

夢の中で、誰かと恋仲になってるってことはありませんか?
私はあります。

で、その相手は、なぜだか長い間、谷啓さんだったんですよね。

最初に見たのはいつだったろう?
中学生か高校生か……っていうぐらい昔だったと思います。

私は白鳥のジュン、谷さんが大鷲のケンになり、光線銃を撃ちまくってました(^^ゞ
私が撃たれそうになると、谷さんが
「あぶな~~~~~~~いっ!!」
なんつぅてかばってくださったりして。
すんごい良いムードでした。

でもでもでも、なぜ谷啓?

起きてから、かなり疑問に思ったんですよね(^^ゞ

いえ。
谷啓さんはすごく素敵な男性だと思います。
多分、ものすごく「分厚い」人なのだと思う。
「飄々」という表現は、この方にこそ差し上げたい。

ただ、中高生といえば、アイドルにキャーキャー黄色い声をあげていたい年頃じゃないですか?
それが谷啓さんとは、渋すぎるんじゃないか……と。
自分でもよくわかりませんでした。

それが随分長く続き、30歳近くなったころからだったと思いますが、谷さんの代わりに藤井隆が登場しました。

「今度ぁ年下かよ(-"-)」
と、自分の節操のなさに、げんなりしてしまいましたが……。

いえ、藤井隆さんもいい男だと思います。

キャラはああいうのんですが、MCを聞くと、多分すごく優しくて、頭の回転の速い人かなと思います。

顔の造作もよくよく見れば、私好みですし。

ただ、
「せっかく年下に走るんなら、他にもいてるんちゃうん?」
とすごくすごくすごく納得がいきませんでした。

「誰かと恋人として過ごす夢」
って、自分で言うのもなんですが、かなりロマンティックな設定になってることが多いんですよ。

枯れ葉の舞い散る公園を肩寄せ合って歩いてたり。
星空の下の草原で、並んで座ってたり。
砂漠の中を、らくだの背の前後に乗って進んでいたり。

映画に出てきそうなワンシーンなんです。

でも結婚して、
「隣にいるのは旦那、それが当然」
となってからは、あんまりそういう夢も見なくなりました。

旦那と一緒に何かをしている夢は見ますが、別にロマンティックなこともなく、現実と同じように、どこかへ行こうと車の中にいたりとか。
一緒にご飯食べてたりとか。
ほんま、日常って感じ。

でもでもでも。
昨日の朝のことです。
多分、風邪薬の副作用もあったのかもしれませんが、久しぶりに「誰かと恋仲」の夢を見たんですよっ!!!

相手は、谷さんでも、藤井隆でもありませんでした。

でも、いわゆる「今旬のイケメン」ではなかった。

なんでかわかりませんが、藤岡弘だったんですよね~(^^ゞ

いや、藤岡弘さんも、ええ男やと思います。
あの重厚そうな笑顔を見ると、幸せになりません?
すごい素敵な人やと思う。

思うけど……なんでやねんとも思う(笑)

谷さんが亡くなったから、チェンジしたのかしらん(^^ゞ?
だとしたら、私の深層心理ってどうなってんのかなぁ?

夢の中の藤岡氏は、「女性恐怖症」なんですよね。
でも、私だけは平気だという(笑)
どっかの漫画みたいな設定になっております。

でも実際、女100人、男10人ほどの構成になっていた、一番最初の会社では、私は「女ではない」という位置づけにおりました。
女性たちからは、「ライバルだらけの中で、唯一安心して相談できる人間」という眼で見られてたんで、ずいぶんいろんな人から、「内緒の恋の相談」を持ちかけられましたし。
男性たちからは、「恋愛対象外、女について愚痴れる人間」と見られてたようで、かなり愚痴られました。

私は社外に付き合ってる人がいたこともあり、あまり気にしていませんでしたが、今思えば、かなり失礼なことも言われたような気もします(笑)

まぁそんなわけで、「女性恐怖症の男性が私だけは平気」という設定もでてきたのかな~……と思います。

夢の中で、私と藤岡氏は、「友達以上、恋人未満」という感じのようで(^^ゞ
私は、藤岡氏の女性恐怖症を治そうと、いろいろと尽力しているみたいでした。

「ほら、話しかけるぐらいできるやろ?」
「いや……怖いよ~」
「このあかんたれっ!!」

みたいなね。

……と、夢の内容を旦那に話したら、
「うわっ!!偉そうにっ!!」
と言われましたが、実際、旦那と私の会話を客観的に聞けば、夢の中の私と藤岡氏の会話のように、私の方がずっと偉そうにしゃべってます(笑)

だから多分、藤岡弘が選ばれたのは、どっかで旦那と重なるところがあるからなんだろうなぁとも思うんですけどねぇ。

しかし、なんで藤岡弘……。

夢の中でぐらい、もっとピチピチしたイケメンが出てきてもええんちゃうんかなぁ……。
いや、藤岡弘はすごく素敵やけど。

それにしても……。

ふぅ。
どうしたら、イケメンと恋仲になってる夢を見ることができるんでしょうか?
もし良い方法を知ってる方がおられたら教えてください。

さて、今日は図書館へ行ってきます。
来年にイースター島へ行きたいと思ってるんで、資料を借りてこようか、と。

ジャレド・ダイヤモンドの「文明崩壊」
トール・ヘイエルダールの「アク・アク」
は必読ですね。

その後、久宝寺の寺内町でもぶらっとすると思います。

さてさて、休日を楽しむか~!!

ロケ地とエキストラ

おとといの晩、録画してあった「世にも奇妙な物語」を観ました。

正直に言うと、大概のストーリーは、あらかじめ「オチ」がわかっちゃうんですが(^^ゞ
それでもなんとなく見てしまう(笑)

今回のは、「人気作家とコラボレーション」ということで、特に、万城目学氏の作品は書き下ろしってことでちょっと楽しみにしてました。

お話しについては、ネタバレになるんで、まだ見てないけど見るつもりの人はスルーしてくださいね(^^ゞ

話は、一組の倦怠期(?)カップルが、神様に出会って、めでたく幸せに結ばれる話。

男性はなんに対しても慎重な性格なんだけど、結婚に対してまで慎重で、そのことに女性は焦りもし、落胆もしているという状況。
ま、すごく「ありがち」なパターンのように思います。

その性格を象徴するのが、彼の口癖である「まずはじめに」なわけです。
順序立てて話さないと、気がすまないんですよね(笑)

ただ、男性は本当に慎重なだけで、恋人のことを大切に思う気持ちは嘘じゃない。
とはいえ、慎重すぎる性格が、仕事にも支障をきたしているから問題なんですね。

ある日、彼女は彼に、
「私たち、しばらく会わないでおきましょう」
と告げます。

驚いた彼は彼女を追いかけ……、「奇妙な空間」に入り込んでしまいます。
現実世界は動きをとめ、そこで活動をしているのは、彼と、二人の男。

二人の男は、それぞれ「縁結びの神」「交通安全の神」であると自己紹介し、恋愛についての相談に乗ると切り出します。
でも、ここでも男は慎重になりすぎて、願い事を思いつかず、「縁結びの神」は、「それじゃ、あなたの口癖である『まずはじめに』を封印しましょ」と勝手に決めてしまうのですね~、これが。

でも口癖を封印することにより、彼は性格まで変わってしまいます。
仕事もバリバリできるようになり、自信をつけて、彼女にプロポーズ。
もちろん彼女は喜んでOKするんですが、実は、口癖を封印するというアイデアは……っていうオチですね。
つまり、神様よりも、彼女の方が、彼の性格をよく読んでたってことですわ。

万城目氏らしい爽快なハッピーエンドで、私も旦那も大満足です(笑)

それに、キャストが絶妙。

縁結びの神様が伊東四郎はまぁ、それほど予想外でもないんですけど、交通安全の神様の遠藤憲一が、あり得ないほどハマッてて、もう(^^ゞ

さて。
それはどうでもいいんです。

この短編ドラマを見ているとき、旦那が素っ頓狂な声をあげました。

「あ、これ上野や!!」
って。

そして、私が何も言わないのに、DVDの再生を一旦停止にし、私のパソコンをカチャカチャやって、
「ほら、ほらほらほらっ!!」
と得意げに見せつけてくるんですよ。

「なんやねんな……」
と見てみると、テレビに映っている鳥居とそっくりの鳥居が、パソコンモニターにも映っていました。

場所は、上野駅より浅草通りを東へ3~400メートル行ったあたりにある、下谷神社前交差点。
そこを北に振りかえったところに、その鳥居はあります。

交差点の名前からもわかりますよね。
その神社の名は、下谷神社と言うようです。

へぇ~……と興味を持って調べてみたら、下谷神社の創建は、聖武天皇の時代に遡るらしいです。
「峡田の稲置(はけたのいなき)」なる人物が、この地に大年神と大和武尊を奉祭したのが始まりであるとありますが、「峡田の稲置」がどのような人物かと検索してみても、下谷神社のご由緒がヒットするのみ(^^ゞ
つまり、名前じゃないんでしょう。

荒川区に「峡田」という地名がありますから、この地区の「稲置」ってことでしょう。
「稲置」とは、古代における役名だったはず……あぁえぇっと、天武天皇以前以後で多少違うのか。
でも多分、「峡田地区を治める首長」だったんでしょう。

そのような人物が、大年の神を祀るのはよくわかります。
大年の神は、富をもたらす神であり、田の神でもありますから。

しかし、大年の神様は、縁結びの神……とは言えないと思うぞ~。
大和武尊もまた、縁結びの神様と呼ぶには苦しい気が(^^ゞ

境内社には、稲荷神社がありますね。
大年神と稲荷神は深い関係がありますから、この顔ぶれにはなんの不思議もないとして、この神社のご祭神を、「縁結びの神と交通安全の神」とするのは、すっごく無理があるんですけど(笑)

「豊作の神」と「武勲の神」というのならわかるけどさ……。

とはいえ、神様の霊験というのは、人間が勝手に決めたものとも言えます。
例えば、縁結びの神としては、出雲大社が有名ですが、なぜ大国主命が縁結びの神とされているのか、不思議っちゃぁ不思議です。

なんせ大国主命は、いろんな女性と浮き名を流していますから、女性にとって「良い縁」を結んでくださるかどうかすっごく不安(^^ゞ

大国主命の出世の始まりは、兄たちをだしぬいて、美女と名高い因幡の八上姫のハートを射止めたことだと思います。
この姫に求婚に行く途中、白うさぎを助けたりしてるんですよ。知ってました?

でもこの八上姫は、その後大国主命と会っていないと思われます。
一度だけ、大国主とのあいだに出来た子どもを連れて、大国主命に面会するために出雲へやってくるんですが、そこには既に、正妻である須勢理姫が。
八上姫は正妻を恐れ、子どもを木の股に挟んで帰ってしまったのです。
その子は、「木股」と名付けられるんですが、それにしても哀しい話ですよね。

八上姫には降るほどの求婚があったんですよ。
でも彼女は、「お優しい大国主命の妻になります」と、大国主を選んだ。
その末路がこれですから、あんまりにも憐れです。

そんな大国主命に、縁結びを頼んでええんやろか(^^ゞ

ですから、どの神様にどのご霊験を期待するかってのは、祈る人の心次第だとも言えます。

が……大年神については、恋愛に関する記述は一切ないぞ~。
縁結びの神とするには、あんまりにも無理があるぞ~~~~~~~~。

……とぶ~たれていたのでございます(笑)

ま、ほとんどの人が、そこまで考えずに見てはると思いますが(^^ゞ

つまり、私が言いたいのは、「ロケ地」ってのは、雰囲気で選ばれるのねってことなのでした。
当たり前か(笑)
これはドラマですから、それでいいんですよね。

だけどもし、ドキュメンタリー番組で、
「この神社の神様のご霊験は、縁結びと交通安全で」
とやっちゃったら、これは嘘になりますよね。

つまり、
「最近、ドキュメンタリーとドラマの区別がつきづらくなってるよな~」
ということが言いたかったんですよね~。
いやはや、なんと長い前置きか(笑)

俳優の事務所に名前を登録している友人の話によれば、テレビなんかの企画物には、かなりの「やらせ」が多いとか。

「初めての告白」みたいな企画物に出ているのは、仕込みが多いと言うてました(^^ゞ

「B君に片思いのAさんが、勇気を持って告白するのを番組がバックアップ」
みたいな企画物を何気なく見ていたら、同じ事務所の友人二人が出ていて、吹きだすことがよくある……とか。
もちろんその二人はそんな関係じゃなく、お互い別の恋人がいたりするそうで、二人は台本通りに演じるだけ。

つまり、素人とは言わないまでも、セミプロを使ったお芝居を、「ドキュメンタリー」と呼ぶことが増えてるよな……と思うのですよ。
まぁ、「初めての告白」みたいな企画ならば、それが嘘でも罪はないけども。

ニュースなんかで流れる、通行人へのインタビュー。
あれは本当に、「通行人」なのか?……と首をかしげるものもありませんか?

そしてそれは、文字の世界でも……。
とね。
いや、すごく増えてるんですよ。
ものすごく増えてる。

最近、その手の臭いがするものは、拒絶するようにしてますが(でもそうすると仕事がすごく少ないんですけどね(^^ゞ)、向こうからやってくる仕事はほとんどこのパターンです。

それは、そんな形で世論を操作できるという考えが、決して「幻想」ではないからなんでしょう。

だからね。
自分の目で確かめねばなりません。
それが、虚か実か。
ちゃんと確認しなくちゃね。

そんなことに連想がいったのでした。
ほんま、散漫ですね~(^^ゞ

人間って

今、「江戸怪談集」を読んでます。

「曾呂利物語」や、「伽婢子」など、江戸時代の怪談集から面白い物語を選び、脚注を加えたもので、これが面白いんですよ。

ただ、この怪談集、上中下のうち、上巻だけが品切れ中。
まぁ、岩波なんで、言うてるうちに復刊するとは思てますが。
復刊してよね~、読みたいよぅ(>_<)

さてさて。
怪談自体は、それほど目新しいものはありません。

それにしても、二人の側室を持った男が、女の嫉妬を見て恐れる話が多いなぁ(^^ゞ

女たちは、外面上は仲よくしているから、
「仲良きことは 良きこと哉」
な~んてのほほ~んとしているんですね、男は。大概の場合。

ところがひょんなことで、二人の女の心に燃えたぎる怨みの炎を見て仰天する……と。

その後、「もう二度と妻は持たん」と言う男もいれば、「あ~怖かった」としか考えない男もいるんですけどね(^^ゞ

自分が逆の立場だったらどうかという想像力さえあれば、「だから女は浅ましい」じゃなく、「二人のパートナーを同時に持とうと望み、それが実現すると考えていた自分が浅ましい」と思えたはずなのにね(笑)

でも、面白いのは、なぜか女の嫉妬は、「蛇」になるんです。
神話では、蛇は男神の化身であることが多いのに、江戸時代の怪談では女の嫉妬心の化身であるという不思議。
なんでなんでしょうね?

シンプルで面白いのは、「曾呂利物語」にある「夢争ひの事」かな。

二人の妾が仲よく昼寝をしているので、
「うちの二人の女たちは、仲が良いなぁ。俺は果報者だなぁ」
なんてニヤニヤしながら見ていたら、そのうち二人の髪の毛が絡み合い、争い始めた……なぁんてのがあります。

その黒髪は長く伸び、のたうち、さながら蛇のようにとぐろを巻き、組んではほぐれ、威嚇しあい……。
恐ろしきこと限りなしってことで、男は腰を抜かすわけで。

女の嫉妬心が蛇に化身するというのは、髪の毛が長いことからの連想……とかいう、実はすごく単純明快なことかもしんないですね。

んでもって、神話においては、男神の男根が長くて立派で自由自在(?!)であろうという願望の含まれた連想とか(笑)

なんにせよ、いろいろ考えちゃうところではあります。

でも、もっと面白いのは、人間の図太さたくましさが、ここにも充分に描かれているということ。

「江戸怪談」の中巻には、「因果物語」が多く収録されています。
その名の通り、「因果応報」とでも言うべき話ばかりなんですけどね(^^ゞ
その周囲の反応がえらい面白い。

例えば、ある鋳物師の話があります。
この鋳物師は、寺の鐘を盗んで溶かしちゃうんですね。
そりゃ罰が当たるやろと思うでしょうが、その通り(笑)

彼が仲間たちとある霊山に登ったときの話。

山の中腹あたりで、いきなり炎が巻き起こり、彼の周囲をぐるりと取り囲みます。

「熱い、熱い!!」
と騒ぐ男に、仲間たちはどうすることもできません。

「うわぁ、どうしよう」
「このままでは死んでしまうな」
「うん。死んでしまったら、それが穢れになって、せっかくこの山の中腹まで来たっつのに奥の院に入れなくなってしまうな」
「そりゃ困る」
「困るなぁ。そんじゃこいつが死ぬ前にさっさと奥の院まで行ってしまおか」
「そうしよう」

ってんで、どんどん山に登っちゃうんですね(^^ゞ

なんつぅ薄情な……。

この時代、「身近な人が死んだらそれが穢れとなり、社寺の門をくぐれなくなる」という考えが強くあったんでしょうね。
今では、寺の中でお葬式をしたりしますから、そんな感覚はもうないでしょうが。

また、この鋳物師が炎に巻かれたのは、寺の鐘を炎で溶かしたことに対する報いなのではありましょう。

そこらへんはわかりやすいんですけどね(笑)

「死んだら穢れになるから、その前に山に登ろう」
っていう発想が心底すごいと思う。

現代においてですよ?
友達と一緒に霊山に登ってたときに、友人が谷底に落ちたとしましょうよ。
その友人は日ごろからバチあたりなことを繰り返していて、谷底に落ちたのはバチかもしれないという感覚もあったとしましょう。

でもそれで、
「うわぁ、こいつが死んだら穢れになって、せっかくこの霊山まで来たのに、頂上には行けなくなってしまう!」
ってんで、さっさとほうって行ってしまったとしたら、
「いくらなんでもそれはひどいっ!!」
と非難ごうごう浴びると思うんですけどね(^^ゞ

つぅか、仲間なわけなんだから、まずは
「助けなきゃ!」
って思わないんかなぁ(^^ゞ

とはいえ。
昔の登山は今の登山とはまったく違っていたでしょう。

多分ですが、文字通り命がけであったかと思います。

なんせ、道は整備されていないし、崖もあったろうし、危険な動物もわんさか。

山伏の友人から、「昔は、滑落した山伏がいたら、滑落する奴が悪いとほうって行かれたんですよ」と聞いたことがあります。
一人脱落したとしても、その団体にはさほど影響はないでしょう。
しかし、その一人を助けるために団体の全員が労力を割いたとしたら、そのせいで団体全体の体力が落ちてしまうかもしれません。

つまり、今ほど余裕がなかったんでしょうね。
みんな、ギリギリのところで生きていたから、自分が生きるので精いっぱい……という時代もあったってことでしょう。

今の時代の常識で、古の物語を斬ることはできません。

ただ、江戸時代ともなれば、そんな感じでもなさそうですけどね(^^ゞ

それが証拠に、この物語はまだ続きがあります。

仲間たちが頂上で参拝を済ませ、下りてくると、まだ男は炎に巻かれて生きていた……と。

で、彼らは
「うわぁ、まだ生きてた」
「ほんまやほんまや」
と、家に帰っちゃうんですわ(^^ゞ

そしてその後しばらくその炎を見ることができた……らしいです。

ほんま、薄情や(笑)
とはいえこれも、「仲間」という言葉にだまされてるのかもしれないですね。
「仲間」たちは、鋳物師を内心では嫌っていたのかもしれない。
江戸時代は、五人組なんかの名残みたいなのがあって、近所同士が仲よくなくても一緒に出かけたりすることもあったのかもしれないし。

よくはわかりませんが、こういうのを読むと、
「人間ってさぁ」
って思わずにいられないのでありました。

つまりね。
人間って、まずは自分のことを考えるわけですよね。
それはしょうがない。自分が生きなくちゃいけないんだから。

だけど、「自分以外の存在の利益」を考えなきゃ、「社会的動物」とは呼べません。
なるべく「公共」「自分以外の存在」について思いを馳せようと思えば、視野を広げるしかないんですよね。
頭の体力をつけるしかないんだと思います。

昔の人たちは忙しくて、頭の体力の多くを、仕事や家事なんかの雑事に使わねばなりませんでしたが、今の私たちは、多くの「雑事」から解放されているはず。

そのおかげで「頭の体力が落ちている」としか思えない、びっくりするぐらい自分勝手な人もいるんでしょうが……。
単純に考えれば、頭の体力を保持さえできれば、今までよりもっとずっと、公共のことを、他人のことを考えられるはずなんですよね。

そういうことを考えれば、私たちは、この「江戸怪談」に登場する人たちよりは、もう少し人情味篤く生きられるはず……なぁんてことを思ったのでした。
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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