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雛の日に

雛流しの起源がどこかと言われたら、いろいろな説があると思います。

ただ、雛飾りの元祖だとおっしゃっている神社は、ここ。
和歌山県は加太にある、淡島神社でしょう。

その由緒にはいろいろな説がありますが、「流される」というキーワードははずせない気がします。
ご祭神のスクナヒコナはガガイモの船に乗って登場した神様です。
神功皇后も、船が流されてこの神社(当時は友ケ島)に辿りついたと言います。
そして淡島願人が語り伝えた天照大神の六女・淡島様は、うつろ船に乗せられて流されているわけです。

淡島願人の伝承について、10年ほど前に参拝したときは「神社側は認めていない」とおっしゃっていたのですが、、2年前に参拝したとき社務所で「淡島様の船」というこの伝承を絵本風にまとめたものが売られていましたから、まったくもって否定されているというわけでもないようです。
ただこのあたりの解釈は難しいのでしょうね。

そんな神社での、雛流し神事を見学してきました。

雛流しは、ひな人形に人間の罪穢れを移して川や海に流し、祓うというのが一般的でしょう。
でも、ここ淡島神社での雛流しはすこ~し違うようなのでした。

さて、私たちが神社についたのは12時少し前のこと。
境内は既にたくさんの人でにぎわっていました。

ただ、参拝する人は前まで行かせていただけたので、お参りする際に一枚だけ。
0303awashima_11.jpg

拝殿の前に一艘の船。
左右にあと二艘、白木の船があったようでした。

お祭りが始まると、まずは、奉饌から。
それが終わると祝詞の奏上。
そして、清め祓いなど、通常のお祭りと同じような次第に思われるのですが、特徴的なのは清め祓いの大役を担うのが稚児さんだってことでしょうか。
これは御祭神であるスクナヒコナに関係があるのかもしれません。

もう一つ、私が気になったのは、ご本殿の扉が開いているかということ。
通常、ご本殿の扉は開きません。
大切なお祭りのときだけ開くのですね。

多くの神社において、春の田植え祭り、そして秋の大祭のみ開いているところが多いように見受けられます。

ただ、ここ淡島神社においては、この雛流し神事はとても重要なお祭りのはず。
でも暗くて見えないんですよ。

お世話をされている氏子さんにお伺いしたのですが、
「……………」
と沈黙され、氏子さんの中でも一番経験の長い女性にバトンタッチされました。
その女性曰く、
「開いてます」
とのこと。

「ご本殿の扉の前でお祓いしますから」
とのご説明でした。
ただ、彼女の手ぶりを見ると、ご拝殿のことを「本殿」とおっしゃっているのかなぁとも思えました。

そこでその後、望遠カメラで見てみましたが、やっぱり閉まってるように見える。
ご神殿を正面から写真を撮るのはどこの神社でもタブーですから、斜めからしか見えないんですが……。
閉まってると思う……。

気になる(^^ゞ

0303awashima_10.jpg
私が気になっている間もお祭りは滞りなく続きます。
稚児さんが人形にお祓いをした後、

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参拝者の願い事が書かれた紙が、船の上に散らされます。

……これもすっごい不思議ではありました。

人形が清め祓いのために流されるなら、この願いごとの紙も「清め」られちゃいます。
願いごと、かなえられないんじゃないかしらん(^^ゞ?

とはいえ、願いごとを書いた護摩木を燃やしたりもしますからね……。
燃やす=祓いならばこれもまた不思議な話になります。
これは「流れに乗って」「炎に乗って」、この世ならぬ国へ願いごとを送り届けるという意味なのかもしれません。

疑問は解決しませんが、とりあえず次第を追いましょう。

0303awashima_8.jpg
祝詞奏上の後、人形を乗せられた船は拝殿から担ぎ出されます。

そのときうまい具合に、宮司さんが私の前にいらっしゃいました。

他の方たちと何やらお話されてたんで、この様子ならどさくさにまぎれて教えていただけるか……と。
「あのぅ。ご本殿の扉は開いてますか?」
と話しかけたんですが、すごく怖い顔で、
「し~っ!!!!!!!」
と怒られてしまいました(^^ゞ
お祭りの最中に話しかけちゃぁ、あかんよね、やっぱり。

その後境内がほぼ空っぽになったとき確かめましたが、多分閉まってました。
ご本殿の扉が開くのは、よっぽどのお祭りのときだけなのだと思います。
この雛流し神事は、淡島神社にとって、どういう位置付けなんでしょうね?

さて。
0303awashima_7.jpg
船は海へはこびだされます。

そして、
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稚児さんにより清め祓われるんですね。

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宮司さんによる祝詞の奏上。

遠くから聞いていたのでよくわかりませんでしたが、大祓祝詞と似た部分もあるように思えました。

でもどの神様に対する祝詞なんでしょう?
海神?
それとも人形?

もし人形に対してなのなら、この人形たちは、人間の願いを常世に届ける役目を背負っているということになると思います。
なんせ、同じ船に乗ってるわけですしね。
もし海神に対してなのならば、「人形たちは休めてあげて欲しい」「人々の願いごとは常世に届けてほしい」と祈っているということになるのかもしれません。

少なくとも、神社のサイトを見る限り、この雛人形たちは、人間の罪ケガレを代わりに背負い、流されていくわけではないようです。
彼らはただ「神の国へと流れて行く」という考え方のようです。

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その後船は海へ。

紐がついてますね。
勝手な方向へ流れないよう、大きな船に繋がれているんです。

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紙吹雪で、稚児さんや巫女さんが見送ります。

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私にはなぜか、お雛様たちが悲しげな表情をしているように見えて仕方ありませんでした。

彼らは本来、海の向こう……常世へ流れていくはずでした。

でも今は、海洋汚染の問題から、流された後回収され、浜辺で燃やされるのです。

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この規則正しい形は、先導する船に曳航されているから。
この後すぐ、船の上に揚げられてしまうのです。

そして、
0303awashima_0.jpg

燃え落ちる、絢爛豪華な内裏雛を見て、どうにも切ない気持ちになってしまいました。

彼らはきっと、人々の「願いごと」を常世へはこぶ役割を与えられた、特別な使者だったのでしょう。
海のかなたへではなく、空へはこぶように変えられただけなのだと言えばそうかもしれません。

でも……。
もちろん、罪のない無垢な彼らの魂は、救われるとは思うのです。
思うのだけれど……。

黒く焦げ落ちる、柔和な表情の雛人形たちは、やはり「無残」という感想を抱かずにいられませんでした。

人形たちの末路を見ながら。
魂はどこから来てどこへ行くのか。
それをずっと考えていました。
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ふいご祭り

というわけで、昨日見学したのは、大阪市鎮座・生国魂神社の刀剣鍛練神事。
通称、ふいご祭りでございました。

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このお祭りについて知ったのは2年前。

仕事でイベントを取材したんですが、そこに「鞴座」というトリオが出演してはったんですよね。
「鞴」という名の通り、「空気送り器」を使った楽器で演奏する面白い楽団でね。
アコーディオンやバグパイプなどの音も懐かしかったなぁ。

で、そこで聞いたんですよ。
「鞴祭り」という行事があることを。
そしてそのお祭りでは、刀剣鍛練の仕事を実際に見ることができるってことを。

家に帰ってすぐに日程を調べたら、お祭りは11月8日に開催されることがわかりました。
でも去年の11月8日は、他のイベントに気をとられちゃって(^^ゞ
えぇ、鴨川シーワールドで、赤ちゃんシャチが生まれたんですよ~。
で、そっちへ行っちゃったんで、祭りは見学できませんでした。

だから、今年は絶対行くと決めてたんですよ。
なにしろこのお祭りは、毎年決まって11月8日に開催されます。
旦那と一緒に行こうと思ったら、この日が土日にあたる年しか無理。
去年は土曜日で、今年は日曜日だったから、次に土日にあたるのは6年後ぐらいってことになっちゃいますもんね。

お祭りの詳細は、レポートをどうぞ。
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/ikutama_fuigo.htm

私は正面から、旦那は横からと、場所を分けて撮影したんで、割とわかりやすい画像になってるか、と。


さて。
お祭りはもちろんおもしろかったんですが、今回は、「ご縁」の面白さについてちょっと考えてしまったんですよ。

先日、水都大阪2009年のイベントに招待していただいた話は「水都」で書いた通り。

招待してくださったのは、中村扶実さんというシャンソン歌手で、このイベントの主役・大橋房太郎さんのひ孫にあたる方です。
彼女と知り合ったのは、やっぱり神社のお祭りでした。
直会のとき、前に座ったんでいろいろお話しをし、CDをいただきました。
その後、彼女の出演するプログラムに何度かお邪魔し、一緒に神社を周ったりしましたが、その後3年ほど、年賀状だけの仲になってました。

理由は簡単。
彼女が、電子メールをほとんど観ない人だったから。
私は電話が苦手だし、彼女は電子メールが苦手という(笑)。
そういうすれ違い方もあるわけですよね。

が、最近では彼女も電子メールをよく使うようになられたらしく、水都大阪の後は、結構メールのやりとりをすることになりました。

で、言われたんですよ。
「○○さん(私)夫婦と一緒に行った、神社ツアーは強烈で、忘れられません」
って。

そういう風に言われると張り切っちゃうのが私たちなんですが、今はちょっと生活が厳しくて、大がかりな神社ツアーをセッティングするのがむずかしい。
そんなわけで、
「そんじゃまぁ、お祭りにでも行きませんか?」
と誘ったわけです。

扶実さんは、フランスでもコンサートを開いたりして、ずいぶん活躍してはるようですが、だからと言って「自分は特別」という風では全然ありません。
普通~な感じ。
曾祖父様は政治家さんですが、いわゆる「清貧の人」だったらしく、おうちは旧家だけど、華美な生活をしてはるってわけじゃないみたい。

だから、私たちも特段構えることなく、「そんじゃ神社のお祭りでもいっしょに見学しましょか?」と言えるわけですが、考えてみれば、神社のお祭りって、大半の人が、
「だから何?」
な内容だったりもするんですよね(笑)

私たちは祝詞の内容にさえ興味を持ちますが、普通の人はそんなんどうでもいいと思う。
だから、古代史にさほど興味を持たない人を、神社のお祭りに誘うってのは、結構な冒険なんですよ。
でも、なんとなく、扶実さんなら面白がってくれるという感覚がありました。

さて、待ち合わせ時間。

「鳥居の前で」と約束してあったんですが、鳥居はいっぱいありまして(^^ゞ
案の定というかなんというか、お互い違う鳥居のところで待ってたもんで、落ちあえたのは約束の時間を10分ほど過ぎたころでした。

鳥居前にいたのは、扶実さんの娘さん、そしてお母様。
「脚が悪いんで、たまには運動をしなきゃと思って誘ったの」
ということでした。

神社の中は結構な人混みで、しかも開口部分が狭いんで、工夫しなきゃちゃんとお祭りを見れないだろうなという感じ。
お祭りが始まる直前に、隣の祠が開放されましたが、脚の悪いお母様は人混みに走り込むわけにもいかず、旦那たちに行ってもらうことにしました。

私とお母様は二人正面から見ることに。
とはいえ、私は塀のところにかぶりつき、隙間から一部始終を見ることができましたが、お母様の方は後方の日影におられたので、ほとんど見えなかったと思います。
ホストとしてはダメダメなんですが……(^^ゞ

「せっかく見にいらっしゃったんだから、気にせず、前へ行って見てきてください」
と言ってくださったんで、お言葉に甘えて。
途中、何度かちらちらと後ろを振り返って、しんどそうにしてはらへんことは確認しましたが……。
やっぱホストとしては失格っすね(^^ゞ

お祭りは結構本格的でした。

炭火で火を起こし、そこに鋼を入れて鍛えるんですが、炭の量も半端じゃなかった。
本気で火を起こしてはります。

真っ赤な鉄も、半端なく熱そう(笑)

見てて結構興奮しちゃいましたよ。

で、お祭りの次第が終わって、すぐに後方のお母様のところに戻ったんですが、
「音が聞こえたから、何をやってるかは大体わかりましたよ」
とおっしゃる。

「刀剣鍛練にお詳しいんですか?」
と尋ねると、にっこりして、
「父が日本刀の収集家で、刀匠とも懇意にしてましたからね」
とのこと。

文化保存委員長だとかなんだとか……私にはよくわからないけど、そういった役柄も務めておられたんだそうですわ。

そして、祠前の垂れ幕を指さして、
「この神社のご神紋は、刀の鍔のようですね」
と。

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……ほんとだ。
全然気付かなかった。

「日本刀は、父が本当に好きだったから。そういったところにも目が行くのねぇ」
とおっしゃってましたが、神社のあれこれに興味を持ってるはずの私は全然気付きませんでしたよ(^^ゞ
まぁ、私の場合は、あんまりにも注意不足なんですけどね(笑)

その後、旦那たちが戻ってくるまで、日本刀のお話しをいろいろ伺いました。

しかし……。
たまたま誘ったお祭りが、日本刀を鍛練するお祭りだったというのも、なんというか、不思議なご縁だと思えてなりません。

このお祭りを目前にしたときに、
「神社ツアーが忘れられない」
とメールを受け取ったのも偶然なのかな?

いや、違うような気がします。
さまざまな糸が織り込み合い、もつれ合いしながら、何か大切なことを教えてるんじゃないかという気がしてならんのです。

考えてみれば、扶実さんの曾祖父である、大橋房太郎氏は、「放出の太閤さん」と呼ばれたとか。
「放出」というのは地名で、「はなてん」と読みます。
面白い地名だけど、その由緒は古い。
その昔、奈良時代だか平安時代だかいうぐらい古い時代のこと、熱田神宮のご神体である草薙の剣が中国の僧によって盗み出されたことがあると言います。
その僧は剣を荷物に隠し、船で自分の国に逃げようとしますが、どうしても船が進まない。
仕方なく剣を放り出したら、船は順調に風に乗り、母国へ帰ることができたと言います。

このとき、剣を放り出した場所が、放出だと言います。
つまりこの地は、草薙の剣が戻された場所でもあるってことです。

剣は、放出にある「阿遅速雄神社」に一度留まり、熱田神宮へ戻されました。
そしてね。
阿遅速雄神社のご祭神は、私と扶実さんが初めてであった神社のご祭神でもあるんです。

何がどうというわけではないし、どういう風に点と線がつながるかはさっぱりわかりませんが、
「何かある」
という気がするのは、私だけじゃないと思うんですが……いかがでしょう?

ご縁というのは、なんだかほんとに不思議なもんです。
せっかくのご縁、粗末にしたくは、ないですよね。
……と言いつつ、ダメダメホストだった私ですが(^^ゞ
いや~……すんませんm(__)m

秋祭り

毎年、10月10日前後に興味深いお祭りが集中します。
収穫祭なんですよね。
仕方ないけど、どのお祭りを見学するか悩みます。

今年は、御所市にある川合八幡神社の「ヒキアイ餅神事」を見学することにしました。

この神社に参拝したのは、何がきっかけだったか……。
いかにも「村の鎮守」というこじんまりした佇まいで、境内に由緒書きなどは一切ありません。

御所市に問い合わせてみると、この神社のことと、そして「奇祭」と言われるヒキアイ餅について教えていただくことができましたが、写真などがないため、ピンときません。

このお祭りでは、「コグツ」と呼ばれる縄で作られた袋に餅を入れ、それを取り合ったのだと言います。

う~ん……なんとなく気になる。
でも、日程や開始時間など、さっぱりわからなかったため、それなり忘れてたんです。

ところが、懇意にしている宮司さんとお話しをしていたら、
「川合八幡神社のヒキアイ餅祭り」
の話がいきなり飛び出したんです。

なんと、この宮司さんがお祭りを取り仕切っておられるんだとか。

確かに、この宮司さんは、川合八幡神社と同じ市内にある神社で常に奉職しておられますが、二つの神社の距離はかなりあります。

神社の「経営」はなかなか厳しいものがあるらしいんですよ。
何しろ、祠ひとつ建て替えるのでも、ものすごいお金がかかるとか。
宮大工さんの数は減っていますから、費用がかかるんです。

ある神社の宮司さんは、
「行政は無茶を言う。『重要文化財に指定してやるから建て替えろ』って言うんですよ。いくらかかると思ってるんでしょうね」
とため息をついておられました。

億単位のお金がかかるんだそうですが、その費用はすべて寄付で賄われます。
有名神社ならば集まるかもしれませんが、歴史が古く由緒が正しいというだけではそうそうお金が集まるものではありません。

そんなわけで、いろいろと切りつめたあげく、「人件費」がカットされることになるんでしょうか。
そんな理由で、ひとりの神職さんが、あちらこちらの神社で、兼任的に奉職されることが多いようです。

とまぁそういうわけで、ヒキアイ餅神事についての情報をいただくことができ、今年見学することにしたわけです。

お祭りの詳細については、レポートをあげましたんで、興味のある方は是非。
↓↓↓
http://www.norichan.jp/jinja/shigoto/kawaihachimanhikiaimochi.htm

夕方前ごろに家を出発し、神社についたのは18時過ぎ。
空の星がキラキラして見えるほど、境内は真っ暗でした。

「ほんまに今日が祭りなんか?」
と、いつもあまり物事に動じない旦那が、キョロキョロする程度に、祭りらしくない雰囲気です。

でも、私たちはここに来る直前、くだんの宮司さんに会っておりまして。
「今日は、お祭りが重なってしまったので、川合八幡には●●君が行ってますよ」
とお話しを聞いてました。

だから、間違いないはず……。
はずだと思いながらも、ちょっと不安(^^ゞ

とはいえ、周囲には誰もいないので、尋ねることもできず、仕方なく、車の中でシートを倒して時間が来るのを待つことにしました。

私たちの車の横に、別の車が止まったのは19時前でしたでしょうか。
法被姿の男性が降りたち、倉庫らしき建物の中に入っていきます。

慌てて追いかけて聞いてみると、間違いなくこれから祭りが始まること。
そして、ここに車を停めておいても構わないと許可をくださいました。

お祭りの準備をするのは、この男性と、そしてもう一人の古老(と言ったら失礼かも……)だけ。
神殿に灯りをつけ、御供え物の準備などをしておられました。

うっかり、神前のお供え物を撮影しようとしたら、
「今日は、神殿の扉が開いてますんで、正面からの撮影はできませんのや。階段の下からならかまいませんで」
と教えてくださいました。

謝って、一旦階段下に降り、撮影した後また上がると、
「普段は正面から撮影してもろても全然かまへんのやけど……。扉があいてるときはあかんて、そのスジから言われてますんやわ~」
と、なんだか私たちに申し訳なさそうに説明してくださいました。

悪いのは、私たちなんですよ……。
すいませんm(__)m

でも、「そのスジ」って、やっぱり神社庁のことかしら(^^ゞ

このお祭りは、市史にも記載されている、歴史ある行事です。
民俗学的に重要視されているようで、さまざまな研究者が訪れているようです。

だからか、この古老の説明は、
「知りたい!」
と思われるものばかりです。

多分、たくさんの訪問者に、何度となく説明してこられたんでしょうね。

この祭りで一番重要なのは、「コグツ」と呼ばれる袋です。
でも、日常的に使われるものでは一切ないとか。

誰がこんな袋を考えたんでしょうね。
古老曰く、「亀の形やと言われてます」ということですが、800年前、この祭りが始まったときもこんな形をしていたかどうかということまでわかりません。
興味惹かれるところですね。

この中の餅を食べれば安産になるという伝承は、この神社のご祭神の一柱である、神功皇后の関係でしょうか。
この女神は、出兵中に産気づいたため、鎮懐石でもって陣痛を治め、凱旋後に無事出産したと伝えられています。

このコグツは、神前から階段下へと振り落とされるのですが、戦時中は、この役目を、徴兵を受けた若者がになったんだそうです。
もし、コグツが階段を逸れることなく真っ直ぐに落ちたら、彼は無事に凱旋すると信じられたとか。

そう考えれば、何か少し悲しいお祭りのようにも思えてきます。

これから戦争に行くという若者にとって、階段の上から見た境内の景色はどんなものだったでしょう。
そこには、家族もいたでしょうし、もしかしたら恋人もいたかも。

境内から見上げた人たちの思いも、どのようなものだったのかと思われます。

……いまは、平和な「村祭り」なんですけどね(笑)

さて、お祭りが終わって、御供撒きとなりました。

私たちはよそ者だし、お賽銭をしたぐらいなので、あんまりたくさんもらっては申し訳ないし、
「縁起物だから、ひとつだけいただいて帰ろうね」
と言ってたんですが、いざ始まってみると、ついつい熱が入ってしまうのはなぜでしょう(^^ゞ?

気づいたら、10個以上のお餅をいただいてしまってました。

最後に、少し大き目のお餅が撒かれます。
これはみんなが欲しがるようで、境内のあちこちから、
「こっちにちょうだい!」
という声があがります。

多分これが、古い祭りの名残でしょう。

でも、確かこのお餅の霊験は、「安産」ですよね(^^ゞ
ということで、今のところ私には関係なく、すべて撒かれてしまうのを見届けてから、追加のお賽銭をし(だってお餅もらいすぎたし……(^^ゞ)、境内を後にしました。

集まってくるときもあっという間でしたが、解散するのもあっという間。
なんだかすごくあっさりしたお祭りだという印象です。

帰り道はもう道もすっかり空いていて、思ったより早く家につくことができました。

旦那は今忙しくて、今日から仕事開始。
私も、仕事を一部開始しました。

世間的にも休み空けの明日から、本格的に始動します。
これから月末まで、ちょい忙しいです。

よっしゃ、がんばるぞ!!

夏祭り

昨日は、住吉大社の夏祭りを見学してきました。

お祭りの開始は13時なので、お昼過ぎに神輿が渡御する先である頓宮にまずは参拝。

住吉大社から頓宮までの直線距離は4キロほどってことなので、頓宮への到着は15時ごろかな~と予想していたのですが、神職さんに尋ねると、

「ん~、到着は18時半ごろになりますかね~」
とのこと。
ありゃりゃ。

8月1日は富田林でPLの花火大会があるんですよ。
近畿最大の花火大会なので、この前後は周囲一帯がもんのすげぇ渋滞になりましてね。
花火大会会場から大阪市内に帰るために、一晩使うっていうぐらいの渋滞です。
ほんでもって、我が家は花火は見えないけど、渋滞域には入ってしまうという、とっても不遇な地域にございますねん(-"-)

だから、18時半からの頓宮でのお祭りを見学してたりなんかしたら、渋滞で家に帰れないこと必須ですわ。

ということで、頓宮のお祭り見学はきっぱり断念。

この日のお祭りにおけるハイライトは、なんと言うても、神輿の川渡りだろうと思うので、そこまで見たら帰ろうってことに落ち着きました。

で、頓宮のそばに車を停め、とりあえずチンチン電車に乗って、住吉大社へ向かいます。
住吉大社へ向かう途中、はっぴ姿の勇ましい男性たちが次々と乗ってきたんで、
「お神輿かつがはるんですか?」
と聞いたら、
「おうよ」
とのこと。

男衆はチンチン電車で移動しはるんですね(^^ゞ
送迎バスでもあるんかと思ってた。

で、
「氏子さんが担ぐんですか?」
と聞いてみたら、
「というか、各町内から何人出すって決まってんねん」
だそうで。
でも、
「じゃあ、持ち回りなんですね?」
と確認すると、
「いや、好きな奴が毎年出るって感じやなぁ」
ということでした。やっぱりね(笑)

お祭り好きな人っているもんね……って、私らもか(笑)

さてさて、住吉大社でのお祭りは、だいたい想像通り。
お祓いがあって、祝詞の奏上があって、行列の行進が始まります。

15.jpg


行列は、まず猿田彦(天狗さん)から。
武者姿の若衆や、雅楽隊などが続き、宝殿という名の小さい神輿や、船の形の船神輿、そしてしんがりが男衆たちの担ぐ神輿です。

かなり豪華絢爛な行列でね。
見てるだけで結構楽しいです。

私たちも一緒に行進してましたが、やっぱりというか途中で、
「先に行っとこか」
って話しになっちゃいました(^^ゞ
イラチなんすわ。
こういう行列の行進って、ゆっくりゆっくり進みますからねぇ(^^ゞ

で、先に大和川の岸に着いて、階段のところで座って待ってたわけです。

このお祭りのハイライトは神輿の大和川渡りだろうと書きましたが、大和川は大阪第二の川なんで、かなり川幅は広いです。
3~40メートルぐらいあると思うけど……ここらへんは、多分旦那からツッコミが入ると思います(^^ゞ

私たちから遅れること15分ほどで、猿田彦が橋の上に到着。
宝殿や船神輿なども次々と橋の上に集まってきました。





肝心の神輿が、いつまでたっても現れないんですよね、なぜか。

川渡りは、ある種象徴的な意味があります。

大和川の南側は堺市。
北側は大阪市です。

そういうわけで、住吉大社から大和川までの間は大阪の男衆が神輿を担ぎ、大和川から頓宮までの道は堺市の男衆が担ぐことになっているようなんですね。

大和川は、「結界」です。
ですからここを越えるときに、もう一度神祭りをして、神輿の引き渡しが行われるということなんですね。

結界越えの際に、ある程度の艱難を経験するというのは、何か意味があるのかも。

とはいえ、大和川は1704年に付け替え工事が行われています。
それまでの大和川は生命の水を運ぶ川であると同時に、水害を頻発し、人々を苦しめる川でもありました。
それで、川の流れを変えて、今のように穏やかな川となったわけです。

というわけで、306年前までは、ここに川はなかったはずで、それまではどんな風に、引き渡しが行われてたのかはわかりません。
でも、江戸時代に、このお祭りになんらかの変更が加えられたのは間違いないところだと思います。


閑話休題。
というわけで、神輿の川渡りはクライマックスとなるはずなんですが、なにしろ神輿がいつまでたっても到着しない。

「何か不測のことでも起きたのか?」
と思っていたら、川岸に男衆たちが集まり、揉めている様子なのが目に入りました。
耳を澄ませると、
「辛抱してくれ」
とか、
「今日のところは」
とか、なだめるような声が聞こえてきます。

長雨の影響で、大和川の水量が増え、川渡りは危険だと判断されたようなんですね。
なので、川渡りは中止、となったようなんです。

でも、男衆たちは、この川渡りをやりたくて、今日参加してるってところもあるようなんですわ。
だから、全然収まらない(^^ゞ

この付近の川は、大阪側から中州までは浅くなっていて、中州から堺市側が深くて急みたいなんですね。
だから、大阪側から中州まで神輿を渡らせて、そこで神祭りをし、また大阪側から岸へ上がって、橋を渡って堺市側に入るという方法もあるはずなんですが……。

「大阪側が川に入るなら、堺側も入らんと収まらへんで」
「そうやそうや、堺の恥や!!」

と言う話しになってるようです。
なるほどね~。

で、そうなることがわかってるので、大阪側も川に入れない、と。

そうなると、また大阪側の男衆が収まらないわけですよ。

「祭りのハイライトやのに、なんで川に入ったらあかんのや!」
「中州まで神輿を運ぶぐらい、なんてことないんちゃうんか」
てな感じでしょうね。
こっちはその場にいなかったから、想像ですが。

そんなこんなで膠着状態(^^ゞ

もうねぇ、その間に、晴れるやら、雨が落ちてくるやら、風が吹くやらで、見てる私たちも、ひやひやですわ(笑)

何分間待ったかなぁ。
途中で旦那が、
「もうこのまま動かへんようやったら、帰るか?」
と言い出したぐらいは待ちました(笑)

でも、
「もうちょっと待とうや」
ということで、まったりしていると……。

「うぉおおおおおおおお!!!!!!」
歓声が。
んでもって、拍手が。

どうやら、敢行の決断が出たようなんですわ。

「○○ちゃん、堺の男の意地、見せたってや!!」
「ええとこ見せてや!!」

ギャラリーから、男衆に大声がかかりまして。

「まかしとけ!!」
とガッツポーズするおっちゃんは、むちゃくちゃいなせでした(笑)

そして直後に川渡りが開始。

大阪側の男衆たちが神輿を中州に運び、堺側から代表の五人が出迎えに。
そのタイミングで、橋の上から神職さんが神祭りを行います。

神祭りが終わると、堺側の男衆が一斉に川へ飛び込み、中州へ向かいます。
んでもって、引き渡しが行われ、神輿は堺側へ……。

実は、大阪側と堺側の「ハンデ」は、川の深さや流れの急さだけではありませんでした。

担ぐ男衆の数が段違いに違うんですよ。

大阪側の方が倍……いや、2.5倍ぐらいいたんじゃないかなぁ。

そんなわけで、神輿の川渡りは、見ていても結構危険な感じがありました。

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でも、ハラハラしただけに、無事岸へ到着したときは、な~んか感動しちゃいましてね。
思わず、手を伸ばして拍手しちゃいましたよ(^^ゞ

旦那なんかは、
「感動するな!!感激やな!!」
とか興奮してるし(笑)

祭りで人死にが出ることは、結構あります。
岸和田のだんじり祭りもそうだし、諏訪大社の御柱祭りもそうですよね。

それを、「神事である祭りで命を落とすなんで、変だ」という人もおられると思います。
まぁ、「神事だから、犠牲者が出るのは仕方がない」という考えもあるっちゃぁあると思いますが、現代人の感覚は、多くは前者寄りでしょう。

でも、「無茶をしても意地を見せたい」っていう気持ちって、やっぱり大事だと思うんですよ、私は。

「無茶をしない生き方をする」というのも、大切なこと。
でも、「ここぞ」というときにムチャをするのは、決して悪いことでもない……と。

だって、そういう無茶があったからこそ、今があるわけじゃないですか。

「ムチャなことをする人はバカだ」
と、無茶を否定してしまうことは、ものすごくつまらないことのように思えます。

「無茶をできない人」はいてもいい。
でも、「無茶を否定する」ことは、なるべく避けたいなぁ。

な~んかね。

岸へ上がって三本締めをしている男衆を見ながら、そんなことを思いましたよ。


さて、このとき、時計もう17時を越えてました。
頓宮に行列がたどりつくのは、たぶん、予定時間を大幅に越えちゃったでしょうね。

私たちは行列を抜かして頓宮まで小走りで歩き、たったと家路につきました。

家に到着したのは19時半ごろでしたから、それほどの渋滞もなく、ラッキーと言えるかな?

ただ、この日は恩智神社の夏祭りも見学するつもりだったんですが、今年はパスすることにしました。

なにしろ、旦那の撮った写真は360枚近くになってて、それを見るだけでも時間がかかりそうだったし、私もお祭りのレポートを忘れないうちにあげてしまいたかったし。

レポートをあげて、風呂に入ったのは9時過ぎ。
恩智では、神社の急な階段を、布団太古が駆け上がっている時分でしょう。

すると……ものすごい豪雨。

……もし見物に行ってたら、旦那のカメラはえらいことになってたかも……。

行かなくて良かった。

でも、来年の8月1日は、昼過ぎから恩智神社にへばりついてお祭り見物したいと思います(#^.^#)
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のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
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