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フェーヴのこと

えぇっとですね。
学生時代、イギリスでホームステイをしたことがありますねん。

学校が企画したものなんで、級友も一緒でした。

なので、ホストファミリー同士が集まってのパーティなんかも何度か開催されたんですね。

そんな中で、プディングを作ってきてくださった奥さんがいらっしゃいました。
みんなで切り分けて食べたんですが、一人だけ、
「何かが歯に当たった!」
って言いだしたんです。

「異物混入?」

と、学生たちはちょっと戸惑いました。
だって、作ってくださった奥さんにも悪いじゃないですか(^^ゞ

が、当該学生が、歯に当たったものを口から出すと、それは6ペンスコインでした。
ピッカピカに光ってます。

つまりですね、コインが入ったピースにあたった人は、「ラッキーガール」っていう、ゲームなんですね。

「へぇ~、そういう風習があるんだ~」
と、そのときは感心しただけでしたが、最近それはイギリスだけの風習じゃないことがわかりました。

というか、本家はローマみたい。

それがフランスやスペイン、イギリスなどに伝播したみたいですね。

例えば、フランスでは、お正月になると、ガレット・デ・ノアというパイを焼くそうな。
中にはアーモンドクリームなんぞが入ってる、写真を見ただけでもおいしそうな一品。
そして、コインではなく、フェーヴという小さな人形が入ってるそうなんです。

フェーヴとは、「そらまめ」の意味。

そらまめぐらいの人形ですね。

それに当たった人は、紙で出来た王冠をかぶり、王または女王になる。
そして、異性から一人、自分のパートナーを選び、女王、または王とするわけですね。

今にして思えば、「王様ゲーム」の元ネタはこれだったのかな??

でも、年の初めに、「ラッキーボーイ」「ラッキーガール」を選ぶってのは、なんか楽しいね。

なんか最近、「ガレット・デ・ノア」やら、「フェーヴ」という単語をよく目にするんで、調べてみました。

今日も一日中でかけるんで、このへんで(#^.^#)
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国字

昨日も午後からず~~~~~~~っと原稿書いてたんで、ネタありません(^^ゞ

ただ、肩の上の、可愛いけどあほそうな鳥が、私のことをじ~~~~~っと睨んでたんで、
「恐ろしいわねぇ」
と口に出した途端、なぜか、
「ぬえの鳴く夜は恐ろしい」
という悪霊島のフレーズが浮かびまして(笑)

「ぬえ」は「鵺」ですよね。
つまり、夜の鳥です。

鵺ってのは、夜に鳴く鳥ですから、まさに読んで字のごとく。

とすると、これは国字ではないのか?と思ったわけですね。

国字ってのは、日本で生まれた漢字のこと。

例えば、「働」なんてのがあります。
小学校のとき習ったでしょ?
「人が動くと書いて、働く」
って。

日本で生まれた漢字ですから、日本の感覚に近いんですよね。

あと、「峠」なんてのもある。
山を上がりきったところが「峠」。
あとは下がるだけなので、「峠」。
これもわかりやすい。

あと、あんまり目にしませんが、「椛」という字もあります。
なんて読むでしょうか?

「きのはなだから、オカラ?」

それは「うのはな」です(←一人ボケツッコミ)
答えは「もみじ」ですね。

魚ヘンの漢字にも、国字がたくさん見られます。
堅い魚が鰹。
弱い魚が鰯、など。

中国の漢字にも全部意味がありますが、わかりづらいですよね(^^ゞ

だいたいの場合、左側が意味をあらわし、右側が音をあらわすようですが(^^ゞ

ジャポニカロゴスとかなんとか、タモリの番組で、なぜ「道」に「首」という漢字が入っているかを解説してました。

「首」ってのは、敵の首ですね。
昔の中国では、敵の首は魔除けに使われたんだそうです。
で、初めて歩く道は、何が出るかわからんってんで、魔除けの首を持って歩いたんだとか。

中国で漢字が生まれたのは3000年以上前ですから。
文化もかなり変っております。

……まぁ、日本でも似たようなことはあったかもしれませんが、国字ができたのは、少なくとも、漢字輸入後のことです。
万葉集ぐらいの時期っすかね?

ちなみに、万葉集にも、既に国字はあるようで。
人間の創作欲ってすごいですね(笑)

でも、「鵺」は国字じゃないみたい。
へぇ~。
ってことは、中国でも夜の鳥がいたんでしょうか?

「漢辞海」を見ると、読み方は「ヤ」。
「鳥名。キジに似る」と解説されてます。
つまり、日本のヌエとはまったく別の鳥を指す漢字なようで。

とはいえ、それが夜行性の鳥なのかどうかはわからん。
ただ、上にも書きましたが、中国由来の漢字の場合、左が意味をあらわし、右は音をあらわすことがほとんどです。
「鳥」が意味、「夜」は音なんでしょうね。
「ヤ」って読むってのもそれを裏付けていると思います。
チェ。

キジに似た鳥かぁ……。
ふ~ん。

とりあえず、漢字って面白いですよね(#^.^#)

さて、今日は出かけます!!
今週はちょっと忙しかったから、リフレッシュしてきま~す♪

結構知らないご近所

昨日、旦那は少し早い夏休みでした。
ヤマセミを見に行こうと言ってたんですよ、本当はね。
でも、雷雨の予報が……。

雨降りの中、川に行くのは、非常に危険です。
仕方なく、近場に変更することにしました。

「大和の伝説」を見て見ると、役行者が前鬼・後鬼を捕まえた話がでてきます。
前鬼・後鬼といえば、吉野や天川が有名でしょ?
でも、実は彼らが暴れていたのは、生駒山なんですね~!!
意外~~~~~~。

ってことで、行って見ることに。

まずは、前鬼・後鬼を捕まえた後、役行者が開いたという、元山上・鳴川山千光寺に参拝。
0725_en8.jpg

このお寺は、役行者の母親も一緒に修行したと伝えられます。
奥田の蓮池では、黄金の蛙を傷つけてしまったことから病み、ついに亡くなったと伝えられていますが(^^ゞ
さてさて、どちらが正しい伝承やら。

現在でも修験の山なんですね。
行場があります。
ユースホステルがあるってことは、泊まりがけで修行する方もおられるんでしょうね。

0725_en7.jpg
旦那曰く、この洞窟の中には仏像らしきものがあったということですが、謂われなどの説明がありません。
暗闇で仏像というと、バリのゴアガジャを思いだすなぁ。

ゴアガジャは、1000年ほど前の遺跡らしいんですが、洞窟の入り口は魔女の口になってます(^^ゞ
中に入るとガネーシャの像などがあります。
修行僧たちは、暗闇の中で瞑想したんだとか。

でも、この洞窟はそんなに大きくもなく、真っ暗ではありません。

その次に向かったのが、前鬼・後鬼を捉えたという鬼取山です。
現在でも「鬼取町」という地名が残ってますが、せっかくなんで、鬼取山鶴林寺へ。
0725_en6.jpg

こちらのお寺は、行基の開基だと説明されてましたが、役行者の開基であるという伝承もあるみたい。

こんな近所に、役行者と深いゆかりのある土地があったとはね。
全然知りませんでした(^^ゞ

その後は、福貴畑に向かいます。
これまた「大和の伝説」に、興味深い話が載ってたからなんですよ。

とある狐が恨みのある猟師に仇を返すため、池の上に鉄砲を浮かべておいた、と。
猟師は鉄砲を拾おうとして池に入り、ついには溺れてしまいます。

狐と鉄砲の組み合わせが興味深くありませんか?
松谷みよ子さん主催の、「日本民話の会」が編集した「日本の民話事典」によれば、
「荷の神には、鍛冶の神、商売繁盛の神などの性格もみられます」
とあります。

狐と鍛冶か……。

鍛冶屋とオオカミの話は知ってますが、キツネは知りませんでした。

ただ、能に「小鍛冶」という演目があり、稲荷明神の化身が、刀鍛冶の相槌をつとめるという話にあんっていますから、狐(稲荷)=鍛冶神という考え方は決して珍しいものではなかったんだと思います。

残念ながら、キツネが鉄砲を浮かべたとされる「鉄砲池」は見つからず。
でもウロウロしてたら、なかなかの絶景にぶち当たりましたよ~。
0725_en5.jpg

上側の真ん中よりこころもち右側に、三つの光が見えるでしょ?
どこのビルでしょうね?

大阪の街中だとは思うんだけどな。

その後、築杵神社に参拝。
0725_en1.jpg

「きづき」「きつき」「きつに」「きつね」……………ばんざ~~~~い!!

……ってわけでもないんだけどね(^^ゞ

このあとは、田原本町に向かいます。
いや、これまたすごく興味深い話があるんですよ。
詳しくは、田原本町のサイトをどじょ。
「十六の面」という記事を読んでくださいませ。

なんか不思議な話でしょ?
それだけじゃないんです。

むちゃくちゃ惹かれるのが、秦楽寺の伝承ですよ。
0725_en2.jpg

「大和の伝説」をそのまんま引用しましょっか。

「秦楽寺の北の門の前に、もと金春屋敷があった。金春の先祖は秦河勝だといわれるが、秦河勝は洪水に際して長谷川から流れて下った壺の中にいた嬰児であった。時の天皇の夢にこれがあらわれて、秦始皇の再誕であると名のって、天皇に重く用いられたという。花伝書にも出ている」

「花伝書」は知りませんが、金春禅竹の「明宿集」には、秦河勝が河を流れた話がでてきます。
しかし、嬰児としてではなく、大人の河勝公が、なんですよね。
後を他のものに譲り、うつろ舟に乗って、大避あたりに流れ着きます。
そして、大いに祟った……と。

秦楽寺の伝承では祟る必要がありませんね。
天皇に重用されたわけだから。

ふ~む。
うなっていたら、後ろからウシガエルの鳴き声が聞こえます。

カエル好きなんで近寄った途端、
「ボチャン」

逃げられちゃいました(^^ゞ

このお寺には七不思議があり、そのほとんどが阿字池によっています。
0725_en3.jpg

曰く、
1.阿字池はいずれの方向からみても地形の全部が見られず、一すみだけ見えない。
確かに、見えません。

2.阿字池は百日のかんばつでも水が絶えてかれたことがない。
確かに、満々とした感じですね。

3.池中にはもやうきぐさが生じない。
おお、確かにない!!

4.木の葉がうかばない。
ないない、本当にないぞ!!

5.蛭がすまない。
まぁ、これはね……。
現代の街中に、蛭はなかなかいません。

6.蛙が鳴かない。弘法大師が修行中やかましいので封じたという。
……あれ?
さっき思いっきり鳴き声が聞こえたんだけどな(^^ゞ

そして7.池水が田の水より少し目方が軽い。
これはなかなか興味深い「不思議」ですね。
なんの意味があるんだろう?

このお寺の北側に金春屋敷があったということですから、多分、金春某が、先祖とされる秦河勝を祀ったんでしょうね。
そして、ここに流れ着いたという伝承を作った。
そう考えるのが自然かもしれません。

しかしなんでまた「壺に入って流れる」というパターンを踏襲するのだろう?
ここまで念を入れて壺状のものに入って流されてるってのは、やっぱり何かあると思うんだけど。

それが何かはわかりません。

せっかくなんで、十六面がご神体とされているという市杵島姫神社にも参拝しました。
0725_en4.jpg

拝殿から拝むためには、鳥居をくぐって、左側に周らないといけません。
なんでこんな作りになってるんでしょうね?
ちょっと不思議。

田原本町は近所とは言えませんが、かなり頻繁に訪れる場所。
そこにこんな伝説が残ってるとはねぇ。

ほんと、知らないことはまだまだたくさんあります。

いろいろ調べてみるものですね~……。

それにしても「大和の伝説」。
この本、本当~に、使えまっせ(笑)

元春日

歴史仲間から、
春日大社の奥の院がもともと、藤原氏が治める以前、付近を治めていた豪族・紀氏(きし)の氏神であった
という情報をもらいました。

ちなみに春日大社の奥の院は、「紀伊神社」とも呼ばれており、イソタケルのミコトなど、確かに紀氏の神様を祀っています。
でも私がひっかかったのは、「藤原氏が治める以前、付近を治めていた豪族・紀氏」という言葉です。

つまり、春日野の主を祀っていたのは、紀氏ってこと???

大興奮!!
これはメモっとかねば!!!!!!


ということで今日のネタは元春日なのでした。

私が春日野の主について知ったのは、JRで配布されている、「奈良を習おう」というフリーペーパーからでした。
それによれば、その昔、春日野の主は、三笠山を含む広い春日野を支配して幸せに暮らしていました。
そこへやってきたのが鹿島のタケミカヅチです。

彼は、春日野の主に、
「この土地の三尺(約1m)までを貸してほしい」
と頼んだんですね。

この言葉、非常にたくらみに満ちています。

この土地三尺……。
非常に曖昧で、誤解させる要素満載。

案の定、耳の遠い春日野の主は、
「三尺四方の狭い土地ぐらいならいいよ」
と答えます。

ところがです。
ずうずうしいことに、タケミカヅチは春日野全体に縄を張り巡らせ、自分の領地と宣言します。

驚いた春日野の主が、
「私が貸すと言ったのは、三尺四方の土地だけだ」
と抗議しても、タケミカヅチは武力の神ですから、
「私はこの土地の地下三尺までを借りたいと言ったのだ」
と言い張り、春日野の主の抗議をまったく聞きません。

お前はジャイアンか。

ということで、春日野はタケミカヅチのものとなりました。
ですから、タケミカヅチや藤原氏の氏神であるアメノコヤネを祀る春日大社は、今現在、あれほど広い社領を所持しているわけですね。

かわいそうな春日野の主は現在、榎明神として境内社に祀られています。
それは春日野の主のご神体が、一本の古く大きな榎であったからだとか。

……まったくもってひどい話です。

でもとにかく、春日大社の創始以前、この地には「春日野の主」・「榎明神」と呼ばれる古い神が鎮座していたことがわかります。

その神はどんな神だったのか?
……それがずっと不思議でした。

というのもです。
河内には「恩智神社」という非常に興味深い神社があるんです。

この神社は「祓いの惣社」とも言われる重要な神社。
秋の例祭に先だって行われる御供所神事は、八尾市の無形文化財にも指定されています。

この御供所神事では、餅を人の形に造られます。
秋祭りの当日、この餅に人の罪やケガレを移し、神前でそれを祓います。

でも不思議でしょ?

普通、罪やケガレを移された人形は、燃やしたり川に流されたりしますよね。
でもここではその罪ケガレを祓った後、餅は、参拝者に配られるんです。

確かに、祓いの神様は罪ケガレを祓ってくださるでしょう。
でもそれならば、何も一旦餅に移す必要はない。

この神社の宮司さんに、
「人身御供の名残とされるお祭りが各地にありますが、形式はそれと似ていますよね」
と言ったら、
「似てますね」
とおっしゃいました。

神社のお祭りは、「人身御供の名残」としてではなく、「清め祓い」を目的として行われるものですから、それを曲解して、
「人身御供の名残に違いない!」
と主張する気はさらさらありませんよ(^^ゞ

ただ、そうであった可能性について言いたかっただけ。
そういう発想もあるなって。

そしてこの神社は、「元春日」と言われています。

とりあえずその辺りの事情をWIKIから引っ張ってくると、
雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる
とあります。

が、これは明らかに不自然でしょう?

雄略天皇の時代……。
藤原氏はまだ誕生していませんから。
もちろん、中臣氏は存在していたかもしれませんが、彼らに遠く香取神宮から、神様を遷座していただくだけの力があったとは思えません。

それよりは、「春日野の元の神」……つまり、春日野の主を祀った神社であったと考える方がしっくりきます。
しっくり。
私的には……ですよ(^^ゞ

そしてその後、奈良市にある倭文神社のお祭りを見学したときのことです。

その昔、このあたりには大蛇が棲んでいて、毎年生贄を要求したと言います。
この大蛇はある高僧(一説には空海とも)に退治されるのですが、その後も生贄のお祭りは形式だけ残りました。

倭文神社の蛇祭りでは、その名も「人身御供」と呼ばれる神饌が神様に捧げられるのです。

この蛇祭りを見学させていただいたときのことです。
ここの氏子さんたちもとても優しい方たちで、部外者の私が、あぁだこうだと質問をしても、いちいちていねいに答えてくださります。

神饌の「人身御供」を間近で見せていただきながら、お話しを窺っていたとき、一人の神職さんが入ってこられました。
当然この神社の神職さんかと思ったのですが、違うんです。

「春日大社の神職さんですよ」
って。

なぜかというと、倭文神社と春日大社には深いかかわりがあるから。

その昔、鹿島・香取の両神宮から、タケミカヅチとフツヌシの両神がこちらへ移っていらっしゃったとき、彼らを祀る神職さんたちの居住地が決まらなかったんだそうです。
そこで、寝食の場を定めるため、榊の葉を投げたところ、その分厚い葉は風にのり、ふわふわと飛んで倭文神社のあたりに落ちた、とか。

でもね……。
これも不思議な話ではありませんか?

春日大社の神職さんなら、春日大社の近所に居住地を定める方が断然便利です。
なのになぜ、同じ奈良市でも、西九条町。
直線距離にしても、5キロ以上あるこの地に神職さんたちは住居を定めたんでしょう?

……想像でしかありませんが(^^ゞ

春日野の主が、タケミカヅチによって追い出されたとき、彼を祀っていた神職さんも行き場を失います。
その人たちが移り住んだのが、ここ、西九条町では……?
と。

ならば倭文神社も、そもそもは、春日野の主を祀る神社だったのではと思えます。

とすればです。
春日野の主は、人身御供・生贄を要求する神様だったのでは……?

ずっとそう考えていました。

そして、もし、その神様を祀っていたのが、紀氏ならば……。

紀氏というと、水軍を持つ軍事に長けた氏族ですね。
遠祖は天道根命。
アメノミチネノミコトは先代旧事本紀で、ニギハヤヒに着き従った神様として登場します。

ニニギじゃありません。
ニギハヤヒです。

天下りに際して、アメノミチネノミコトは、紀伊の国造を命じられます。

つまり、ニニギより古く、この地を治めた神様。

ちょっとWIKIってみましたらば、もっと興味深いことが掲載されてました。
異伝として『紀伊続風土記』所載の「国造家譜」は、日前大神と国懸大神(紀伊国造が奉斎する和歌山県和歌山市秋月鎮座の日前宮の祭神)の降臨に随従して以後両大神に仕え、後に神武天皇の東征に際して両大神の神体である日像鏡と日矛の2種の神宝を奉戴して紀伊国名草郡に到来し、毛見郷(現和歌山市毛見)の琴ノ浦にそれを鎮座させて天皇の東征の成功を祈念したために、即位後の天皇によって論功行賞として紀伊国を授かるとともに国造に任じられ、以来その子孫が国造職を襲うとともに日前宮を奉斎し続けることとなったとの由来を記す[7]。また、同家に伝わる別の『紀伊国造系図』は更に詳しい伝えを載せている

日前大神は、「太陽の前」。
天照大神の前魂(さきたま)だとされています。

つまり、やはり天照大神より古い……とも解されるわけで。

いや~~~~~~~~~……興味深い。

紀氏といえば、大和朝廷より(多分)古い、地方豪族のひとつですし。
紀氏の文化について、詳しく調べてみたいもんです!!!!!!!

士農工商

知りませんでした。
現在では、「士農工商」という言葉が放送禁止用語になってるんですねぇ(^^ゞ

また、ちょっとでもフィールドワークをすれば、いやそんなことせんでも、歴史に興味があれば、四民の中でもっとも下位にあるはずの商人が、実際には大きな力を持っていた……なぁんてことはご存知でしょう。

参勤交代で疲弊した各地の武士は、豪商から多大なる援助を受ける、もしくは借財をしていました。

WIKIの解説では、
士農工商の概念と実際の身分制度は大きく異なっている。江戸時代の諸制度に実際に現れる身分は、武士を上位にし、その下に「百姓」と「町人」を並べるものであった。この制度では、百姓を村単位で、町人を町単位で把握し、両者の間に上下関係はなかった。
とありますが、ある意味、商人は、武士より力を持っていた部分もあるでしょうね。

ということで、昨日行ってきたのは、大阪泉州にある、町屋なのでした。

本当は坂越へ行く予定を組んでたんですが。
震災の後、いろいろと番狂わせが(^^ゞ

ってことで、車は西へではなく、南へ。

まず目指したのは、泉佐野にある、町屋館。
別称「旧新川家住宅」。

新川家は、醤油を商う家柄だったと言いますが、今までに拝見した町屋の中でも、とびきり豪奢だったように感じます。

例えばこの井戸。
0327_honmachi_5.jpg

でけぇ(^^ゞ

桶との比率を見ていただければ、井戸の間口が広いことを感じ取れるんじゃないでしょうか。
こんなに大きく作っても意味があるのかな(^^ゞ?

一度、中の水をすべて出し、洗おうかという話もあったそうですが、汲んでも汲んでも底が見えないんで諦めた……と、管理人さんはおっしゃってました。

中が豪華なのは見ての通りですが、興味深いのは、ここが、「超リッチな商人の家」であることかもしれません。

例えば、屋根を見てください。
0327_honmachi_4.jpg

これは、「錣屋根」と呼ばれる作り方だそうです。

「錣」というのは、兜の下からでている部分……って言ったらわかりますかねぇ?
えっと、兜は頭を守るものですから、頭部分の「ボウル」は頑丈に作られていますよね?
だけど、これだけじゃ、後ろ頭や首を保護できません。
そのために、「ボウル」部分から、垂れさがった板状のものがあるでしょう?
あれが「錣」です。

ここ新川家の屋根は、上下二段になっていることがおわかりいただけると思います。
横から見ると、角度も微妙に違っていることに気付きます。
つまり、下段を「錣」に見立てて、「錣屋根」と呼ぶわけですね。

が、なぜわざわざこんな風に屋根を作るんでしょう?
装飾のため?
もちろんそれもあるでしょうが、もっと、実利的な理由があるようです。

四民制度は、絵にかいた餅であり、実態はそれほど厳しくなかった。
そうは言っても、建前上は、いろいろな制限があったらしいんです。

一つ。
商家は四間(よんま)以上の部屋が存在してはいけない。

一つ。
屋根の幅は三間(さんげん)以上あってはいけない。
など。

つまり、屋根の幅を三間に抑えるために、二段に作るわけですね。

そして下段の屋根を、
「これは『屋根』じゃあござんせん。『軒』でございますだ、お代官様」
と言い張った……らしいです。

いや~、大阪商人って、たくましゅうござんすねぇ(^^ゞ

四間の方も、
「ほたら、四間やったらええんやな?」
てなわけで、一部屋一部屋が結構でかい(笑)

0327_honmachi_2.jpg

しかも、「食い違い四間取り」という間取りになっているようで。
同じ四間でも、整然と「田」の形に作るより、互い違いに作る方が、全体的な面積は広くなりますよね?

管理人さんに寄れば、この町ができたのは、遅くても室町時代。
もしかしたら縄文時代からこのあたりは、「栄えた町」だったかもしれないとおっしゃります。

泉佐野の近くには貝塚で有名な貝塚市がありますから、それは充分あり得る話だと思います。

私は古い町並みを見るのが好きなんですが、その多くは、環濠集落だったり、寺内町だったりと、町は最初から「町」として作られていたように思うんです。

その「町」は当然、地の利が良い場所に作られますし、当初から、外敵から守られるような工夫がしてあります。
環濠はその一つ。
その他、道を曲がりくねらせ、一直線に攻め込まれないように工夫がされています。

ここ泉佐野の「さの町場」の道もかな~り曲がりくねっていましたから、当然そういう理由からなんだと思ってました。

こんな感じ↓↓↓
0327_honmachi_1.jpg



が。

違うんですって。

「さの町場」は、自然発生的に生まれた町で、少しずつ広がって行ったが故に計画性がなく、その結果道が曲がりくねってしまったんだそうで。

家の壁まで曲がっているのは、
「とにかく道のギリギリのところまで壁を広げ、少しでも大きな家を建てようとしたから」
なんだとか(^^ゞ

なんつぅか、かんつぅか。
いやはや、逞しい(笑)

そんなわけで、町の精神的リーダーにあたるお寺なんかも特にない。

……なんというか、少し不思議な町なのです。

でも確かに、この町が富み栄える理由はわかります。
ここから徒歩5分ほどで、泉佐野漁港があり、今でもうまい魚が水揚げされます。

昔からこの町には、海外の珍しいものが運ばれてきたのでしょうね。

だから、この町の商人は、かなり羽振りが良かったんだとかで。

0327_honmachi_3.jpg

これは江戸時代の長者番付です。

右側の欄は「三津」の長者。
「三津」とは、江戸・大阪・京都のこと。

京都に「津」はないだろうと思ってしまいますが、木津川をさかのぼり、船が届いていたため「津」と考えられていたんだそうです。

泉州の長者は左側の欄。
「総田舎」……って、ちょっとあんまりじゃないの(^^ゞ??

そこの「大関」とされている飯野さん。
この町の商人です。

千石船を20隻。
富財宝は数知れず所有すると書かれています。

管理人さんによれば、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、船と船頭を融通したような家柄だとか。

つまり、船で財をなした人々が、この町に住んでいたということですね。

飯野家だけじゃありません。
唐金家という豪商もここにはいました。

唐金家は、大阪……現在のアメリカ村あたりの土地を丸ごと所有し、家を建てて人びとに貸出していたそうな。

「唐金」という名前から、鉄砲を作っていたとかそういう話があるか聞いてみたんですが、
「鉄砲が必要だったのは、江戸時代以前ですわなぁ。唐金の名が出るのは江戸時代なんで……」
とのこと。

残念(^^ゞ

でも、ここは和歌山とも近いですからねぇ。
鉄砲を作っていた人たちとも交流があったんじゃないのかなぁと思うんだけど。

ただこの町は、「文化的資料」としては、さほど有名ではないように思います。
私たちみたいに、「街並みを見たい」と訪ねる人も、他の地区よりは少ないみたい。
これからいろいろなことが研究され、わかっていくかもしれないですね。

ただ、ほんまに道が曲がりくねってて狭いんで、車で行きづらいからなぁ(^^ゞ
それが難点かも。

私たちはその後、泉佐野漁港青空市場でご飯を食べ、魚を買って帰ってきました。

「はまち二尾千円」
に釣られて近づいたら、店の姉ちゃんに引き寄せられ、
「このまぐろもつけて二千円にしとくで。調理もしたるやん」
とささやかれてしまい、ついつい三尾も購入。

「二人なら、刺身で食べきれるやろ」
と思ってたんですが、家に持って帰ったら、まぐろ半身でもしんどいぐらい(^^ゞ
思った以上にでかい(^^ゞ

なので、まぐろとはまちを半身ずつ。
とりあえず晩御飯に半分。
夜に半分食べました。

新鮮でうま~い(#^.^#)

この日は、ウニ一船1000円也。
ちりめんじゃこ二袋と明太子で1000円也。

を購入しましたが、ウニもまた、甘くてトロトロッ!!!

う~ん、漁港はいいねぇ(#^.^#)

この日、私の体調がイマイチだったのと、私たち二人だけじゃなく友人も一緒だったこと。
それから、町屋館でお茶会が開かれていたこと……という条件が重なって、あんまり想像力が働きませんでした。
新しいことをいろいろと教えていただいたから、想像力がついていかなかったってのもあるかも。

ってことで、さの町場。
また近いうちに再訪しようと思います。
そしてまた多分、魚を買ってきます(笑)
プロフィール

のりちゃん1968

Author:のりちゃん1968
大阪生まれ、大阪育ちのおばちゃんです。
40の大台を超えて、ますますおばちゃんに磨きがかかってます。

HP:http://www.norichan.jp/
Mail:norichan★norichan.jp
(★を@に替えてください)

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